現代版・徒然草【92】(第239段・十三夜)

今日は、日没のあと帰宅する途中、空に大きな満月が出ていた。

実は、今月は2回満月が見れている。そのことを知っている人は、どれだけいるだろうか。

今月は、1日と今日の2回が「十五夜」にあたった。
そうすると「十三夜」は、9月29日と10月27日となり、これが、旧暦の8月15日と9月13日にあたる。

それを頭に入れた上で、第239段の文章を読んでみると分かりやすいだろう。

では、原文を読んでみよう。

①八月十五日・九月十三日は、婁宿(ろうしゅく)なり。
②この宿、清明なる故に、月を翫(もてあそ)ぶに良夜とす。

以上である。

①の文では、旧暦の日付が挙げられているわけだが、これが「婁宿」だと言っている。

婁宿とは、中国の天文学でいう「二十八宿」の一つである。ほかの二十七の呼び名も「◯◯宿」となっているが、占星術などで利用されている。

この二十八宿は、月の満ち欠けの周期とほぼ対応していて、旧暦8月と9月以外にも、各月に1つずつ(今月の満月が2回あるように、月に2回のときもある)割り当てられている。

実は、28に13をかけると364日であり、これは1年365日とほぼ同じ長さになる。

だから、江戸時代は1年が13ヶ月だった年もある。今のように、12ヶ月で回すようになったのは、明治時代になってからである。

さて、説明が長くなったが、最後の②の文では、兼好法師は、この2つの婁宿の日が、月が清らかで明るいので、愛でるには良い夜だとと言っている。

私たちは、ついつい満月が一番素晴らしいと思いがちだが、実は、今年は旧暦8月15日と9月13日は、いずれも十三夜なのである。

そして、有名な「中秋の名月」=秋の満月だと勘違いしている人もいるが、今年の中秋の名月は、9月29日であり、十三夜だった。

もちろん、中秋の名月が満月と重なるときもある。

ただ、兼好法師が「清明なる故に」と言っているように、十五夜お月さんと十三夜の月が、とりわけ旧暦8月と9月は美しかったのだろう。

1年の中でも満月の見え方は違うし、満月よりも十三夜の月が美しい場合もある。

今の時代のように、街灯もなく夜は真っ暗な中で、毎日、月の満ち欠けの観察が当たり前だった昔の人の言うことは説得力がある。

しかし、やはり満月は100点。

藤原道長なら、そう言うだろうか。

この世をば我が世とぞ思う望月の
欠けたることのなしと思えば

道長がこの和歌を詠んだのは、1018年。今から1000年も昔である。

このときは、旧暦10月の満月の夜だった。




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