一を聞いて十を知る【巻一⑩】

斉の桓公の部下だった鮑叔の助言で、管仲は桓公に殺されずに済んだところまで、昨日の記事で分かったことだろう。

この巻一の最終回となる今日は、まず「仁」の意味について確認しておきたい。

「仁」とは、他人への思いやりや礼儀のことであり、孔子の教えにおいては、この「仁」を重んじて権力者が政治を行うことが理想であるとされた。

『論語』の本文に立ち返ると、子路は孔子に「(桓公が管仲を殺さなかったのは)仁ではないですよね?」と聞いたのだが、これは、桓公が管仲の身を思いやって殺さないことを決めたわけではないですよね?と孔子に確認したのである。

大昔のことなので、どこまでが真実なのかを私たちは判断することはできないが、桓公が鮑叔の助言を受けて、管仲を殺さなかったのが本当だとしたら、鮑叔はどんな助言をしたのだろうか。

答えは、「もし今のまま、斉の君主でありたいのであれば、私(=鮑叔)を宰相に任命してもよいが、そうではなくて中国全土の君主を目指すならば、管仲を宰相に任命するのが良いでしょう。」と、鮑叔は助言したのである。

権力者の野望をくすぐり、管仲の有能さを保証するとともに、親友の窮地を救った鮑叔の行動力は、素晴らしい。

孔子は、鮑叔のことには触れていないが、斉の桓公が他の諸侯たちを兵車を以てせず(=戦争をせず)に、うまくまとめたのは管仲の力だと答えている。

一度は命を狙った相手に対して、宰相として仕えて、君主(=桓公)の政治を最後まで献身的に支えた管仲の「仁」に、桓公の「仁」(=子路が尋ねたこと)が及ぶだろうか、いや及ばないだろうと孔子は評価したのである。

子路の問いに対しての答えにはなっていないが、相手の行動に対して白黒つけるような回答を避けて、むしろ管仲の「仁」の素晴らしさを説いたわけである。

実際に、管仲が亡くなってしまったあと、斉の桓公の権力は一気に衰退したといわれている。

この子路と孔子のやり取りに続いて、あの子貢と孔子のやり取りも、次の章に書かれている。

興味がある人は、その部分も読んでみると良いだろう。やり取りの内容は、子路が孔子に尋ねたことと同じような内容である。

巻一の①から⑩までお読みいただき、ありがとうございます。

最初、「一を聞いて十を知る」ということわざから出発して、気づいたら百の知識が身に付いたのではないだろうか。

ぜひ巻二も、引き続きお楽しみいただけるとうれしい。




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