一を聞いて十を知る【巻一⑨】

斉の桓公、公子糾、召忽、管仲の人名が、おとといの記事で紹介した『論語』の一場面に登場した。

読み下し文では、

子路曰く、桓公、公子糾(こうしきゅう)を殺す、召忽(しょうこつ)之に死し、管仲(かんちゅう)は死せず。

という感じになっている。

つまり、公子糾が桓公に殺されて、召忽は自殺し、管仲は死ななくて済んだ(=殺されずに済んだ)ということだが、いくら日本語に訳せても、なぜ桓公が公子糾を殺して、召忽が自殺し、管仲は死を免れたのかが分からないと意味がない。

そして、子路はそれが「仁」ではないですよね?と孔子に尋ね、孔子がどう答えたのか、なぜそう答えたのかを考えるのが、本当の意味での理解である。

そのためには、まず桓公たちがどんな関係にあったのか、なぜ殺されたり死を免れたりする運命だったのかを調べなければならない。

おとといも確認したが、孔子が生きた時代は、春秋時代の終わりであり、戦国時代に入る一歩手前だった。

孔子が生まれる前から、周王朝は、同じ中国各地の権力者(=「諸侯」と呼ばれた)たちの争いに巻き込まれており、斉の桓公などが覇権を争っていたのだから、その争いに敗れる側に死者が出るのは必然のことだった。

斉の桓公は、紀元前643年に亡くなっている。

孔子が生まれたのは紀元前551年なので、1世紀前の出来事について、子路と孔子は話していたのである。

現代の私たちが、明治時代の話をするのと同じだと思えば、納得できるだろう。

実は、公子糾は、当時の権力者であり、その公子糾に仕えていた部下が召忽と管仲であった。

また、桓公には、鮑叔(ほうしゅく)という部下が当初は仕えていた。

管仲と鮑叔は、深い友情で結ばれていた。ただ、仕えていた主君が違っていて、しかも公子糾と桓公は兄弟であり、身内で覇権争いをしていたわけだから、複雑な状況の中で友人どうしお互いに助け合う必要があった。

鮑叔は、斉の桓公に助言をしたことで、最終的に管仲の命を救うことになる。

さて、桓公はなぜ兄の公子糾を殺すことになったのかということだが、それより先に、公子糾のほうが部下の管仲に桓公を殺せと命じていた。

管仲は、命令に従って、桓公の腹に弓を射たところ、命中して桓公はその場で倒れた。

管仲は、てっきり桓公が即死したものと思って公子糾に報告したのだが、実は、桓公は死んだふりをしていて、弓矢は腰帯の留め金に当たって、体には刺さっていなかった。

兄の公子糾は、これで自分が斉の君主になれると喜んで戻ったのだが、そこに死んだはずの桓公が先回りして待ち構えていたため、あわてて自分が亡命していた魯(ろ)の国に逃げ帰った。

だが、桓公は、魯の国に、公子糾を殺せと要求し、公子糾の部下の召忽と管仲は桓公のところに引き渡された。

主君の公子糾が殺されたことを知った召忽は自決を図り、桓公は管仲も自分の命を狙ったから殺そうと思ったが、そこを部下の鮑叔が説得して引き留めたのである。

以上である。

これだけの背景理解がなかったら、子路と孔子の会話の意味は分からないということが実感できただろうか。

明日は、「仁」とは何かを考えて、巻一のまとめにしたい。

影の立役者は、鮑叔であった。





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