現代版・徒然草【69】(第74段・働きアリ)
歳を取ったら、自分の人生を達観できるようになるのだろうが、若いうちは、がむしゃらに生きているほうが幸せなのだろうか。
しかし、自分の人生に意味を持たせることは必要である。
路上を駆け回る働きアリを見ていると、人間社会の縮図が、働きアリと自分の境遇を重ねることで見えてくるようだ。
では、原文を読んでみよう。
①蟻(あり)の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る人、高きあり、賤しきあり。
②老いたるあり、若きあり。
③行く所あり、帰る家あり。
④夕べに寝て、朝に起く。
⑤いとなむ所何事ぞや。
⑥生を貪(むさぼ)り、利を求めて、止(や)む時なし。
⑦身を養ひて、何事をか待つ。
⑧期(ご)する処(ところ)、たゞ、老いと死とにあり。
⑨その来たる事速やかにして、念々の間に止(とど)まらず。
⑩これを待つ間、何の楽しびかあらん。
⑪惑へる者は、これを恐れず。
⑫名利(みょうり)に溺れて、先途(せんど)の近き事を顧りみねばなり。
⑬愚かなる人は、また、これを悲しぶ。
⑭常住(じょうじゅう)ならんことを思ひて、変化(へんげ)の理(ことわり)を知らねばなり。
以上である。
①から⑤までまとめると、身分の高い人も低い人も、老いも若きも、東西南北に蟻のように駆け回り、毎日寝ては起き、行く所や帰る家がある。何のための人生なのだろうかと投げかけている。
⑥から⑩までまとめると、こうである。
「生きることに執着し、ひたすら利益を求め続け、健康に留意して何を待つというのか。老いと死が迫りくるだけであり、それはあっという間のことだし、待っている間の楽しみなどあるだろうか。」
⑪⑫と⑬⑭は、「惑える人」と「愚かな人」に分けて論じている。
惑える人は、目先の名誉や利益に溺れているのが、まさに「惑わされている」状態なのだが、迫りくる死というものには無自覚であるため、そもそも老いや死を恐れない。
愚かな人は、万物流転の理を知らず、常住(=永遠に死なないこと)を願おうとするばかりで、迫りくる死を前に悲しんでいる。
前者は名誉や利益にすがり、後者は生への執着を捨てられない。要は、自分がかわいいのである。
人のために生きることこそ、正しい生き方なのではないだろうか。
子どもが生まれると、子どものために生きようとするのは、蟻をはじめ、動物の世界にいる我々人間にとっては、当たり前の営みなのである。
子どもがいなくとも、未来の社会を担う子どもは、赤の他人であっても、大切に見守り、育てていく。
それが、今を生きる現役世代にとっての生きる意味なのである。