古典100選(20)世間胸算用

今の時代でも一部の人たちに当てはまることだと思うが、年の瀬の買い物のし過ぎで、新年早々、懐が寒い状況に毎年のようになってしまうのは、江戸時代の商売人も同じだった。

今日は、江戸時代の文学作品である井原西鶴の『世間胸算用』(せけんむねさんよう)を紹介しよう。

この作品が世に出たのは、5代将軍の綱吉の時代である。

では、原文を読んでみよう。

①宵の年の切なきことを忘れがたく、「来年からは、三ヶ日過ぎたらば、四日より商売に油断せず、万事を当座払ひにして、銭のない時は肴も買はぬがよし。諸事を、五節供(ごせっく)切り」と、胸算用を極め、借銭乞ひのこはい心をすぐに正月になりける。
②「今年は今までの嘉例(かれい)を祝ひ替へる」とて、十日の帳綴ぢを二日に取り越し、五日にせし棚下ろしを三日にして、俄かに身の取りまはし賢く、「とかく宿を出るからに、思ひよらぬ銀(かね)をも使ひ、物見、もの参りに誘はれ、大事の日をむなしう暮らすこと、無分別」と思ひ定めて、商売のことより外には人とものをも言はず、毎日心算用(こころさんよう)して、「諸事に付きて利を得ることの少なき世なれば、内証に物の要らざる思案第一」と心得て、三月の出替りより食炊(めした)きを置かず、女房に前垂(まえだれ)させ、我も、昼は旦那と言はれて見世(みせ)に居て、夜は門の戸を閉め置きて、丁稚(でっち)が踏み碓(うす)を助けてとらせ、足も、おほかたは、汲みたての水で洗ふほどに気を付けけれども、これかや、煽(あお)ち貧乏といふなるべし。
③また、それほどに商ひことなくて、いよいよ日向(ひなた)に氷のごとし。
④「何としても一升入る柄杓(ひしゃく)へは一升よりは入らず」と、昔の人の申し伝へし。

以上である。

①の文は、「当座払い」「五節供」「胸算用」の意味が分かっていれば、内容は分かると思うが、当座払いはその場で支払うこと(ツケはなし)、五節供は七草粥を食べる人日の節句と桃・端午の節句、七夕、菊の節句(重陽)のことである。

この作品のタイトルにもなっている「胸算用」は、心づもりという意味である。

来年からは正月三が日が終わって4日の仕事始めから万事を当座払いにし、お金がないときは酒の肴も買わない。ぜいたくをするのは五節句のときだけと決めて、借金取りにおびえた1年も終わり、正月になった。

こんな書き出しである。

②③④は訳すのを省略するが、「煽ち貧乏」というのは、稼いでも稼いでも貧乏から(間断なく扇で煽られるように)抜け切れない状況をいう。

「とかく宿を出るからに、思ひよらぬ銀(かね)をも使ひ、物見、もの参りに誘はれ、大事の日をむなしう暮らすこと、無分別」と書いてあるように、お出かけをしたら思わぬ出費があり、物見などに人から誘われ、それがゆえにお金を使ってしまって、大事な日を無駄に過ごすことになってしまうのは、本当に馬鹿だと言っている。

歓送迎会で出費がかさむシーズンがやってくる。

それだけのお金を使って参加する意義があるかどうかを考え、職場でもプライベートでも人との距離をうまく取り、ゴールデンウィークで思いっきりお金を使えるように節約したほうが良いだろう。


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