国葬に対する考え方

エリザベス女王の国葬がウェストミンスター寺院で始まった。

その開始よりも前に、東京の代々木公園では、安倍元総理の国葬反対デモが行われた。

イギリスの国葬は、その規模からしても、巨額の経費が支出されていると実感できる。

安倍氏の国葬も、一般庶民から見れば、巨額に値する。

私は、かねてから自分の立場は一貫して中立的であると言ってきた。安倍氏の国葬についても、賛否どちらの立場でもない。

私個人の考えでは、そもそも、国葬を実施する条件のひとつとして、「誰もが認める人格者であったか」を入れる必要があると思うのだ。

昨日の記事でも触れたが、故人のことを表立って悪く言う人はいない。強いて言うならば、「故人の良かったところを見つけて、生前の功績を讃える」ことが、死者を弔う最低限のマナーである。

「人格者」というのは、なかなかなれるものではない。

偽善の心ではなく、純粋に相手を思いやり、隠し立てをすることなく自分自身や他者に向き合える人。

そして、そういう人になろうと意識するのではなく、常に謙虚でいられるかどうかが問われるのである。

エリザベス女王は、多くのイギリス国民に愛されたのだろう。

安倍元総理は、たしかに国民の喪失感は大きかったが、多くの日本国民に愛されたのだろうか。

そこが、私たちがどこかしっくりこない違和感の原因なのである。








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