歌い比べで時を忘れる
ドボルザークの交響曲第9番『新世界より』の第2楽章「家路」のメロディーにのせて、『遠き山に日は落ちて』を歌ってみる。
【1番】
遠き山に日は落ちて
星は空を散りばめぬ
今日の業(わざ)をなし終えて
心かろく安らえば
風は涼しこの夕べ
いざや楽しき団居(まどい)せん
団居せん
そして、キャンプファイヤーが始まる。次の歌は、『燃えろよ燃えろ』の1〜3番である。
燃えろよ燃えろよ
炎よ燃えろ
火の粉を巻き上げ
天まで焦がせ
照らせよ照らせよ
真昼のごとく
炎よ渦巻き
やみ夜を照らせ
燃えろよ照らせよ
明るく熱く
光と熱との元(もと)なる炎
お次は、クールダウンして、空を見上げて歌う『一日(ひとひ)の終わり』(別名∶星かげさやかに)
星かげさやかに
静かにふけぬ
集いの喜び
歌(うと)うは嬉し
名残りは尽きねど
団居(まどい)は果てぬ
今日の一日の幸(さち)
静かに思う
最後の締めくくりは、冒頭の『遠き山に日は落ちて』の2番である。
【2番】
やみに燃えしかがり火は
炎、今は鎮まりて
眠れやすく憩(いこ)えよと
誘うごとく消えゆけば
安き御手(みて)に守られて
いざや楽しき夢を見ん
夢を見ん
以上である。
最後は、キャンプファイヤーで遊び疲れて、子どもが夢を見ているのだろうか。
安き御手(みて)というのは、神様の手を意味する。「おて」とは言わない。「みて」と読むことで、神様の手の意になるのである。
さて、『燃えろよ燃えろ』と『一日の終わり(星かげさやかに)』のメロディーだが、完全に同じメロディーだということに気づいただろうか。
ハ長調で階名唱すると、次のようになる。
ソーファミソドレミードー
レドシレドラソー
ソーファミソドミレーラー
シーラソシドレドー
けっこう高音のメロディーだが、低音のミから高音のミまで1オクターブの高低差がちゃんと出れば問題ない。
リコーダーやヴァイオリンで弾いてみても良い。
歌うときや演奏するとき、『燃えろよ燃えろ』は力強さが求められ、『一日の終わり(星かげさやかに)』はしんみりとした雰囲気で歌ったり奏でたりする必要がある。
まったく同じメロディーでも、異なる印象をどのように聴き手に与えるか。
それが「表現力」である。
また、歌詞の中の言葉が紡ぎ出す「光景」を、どのように想起させるか。
音だけを聴かせて音色の美しさを感じてもらうのもアリ、音と言葉が一体となってインパクトを増大させるのもアリ。
あなたが「表現者」なら、どのように自分を癒やすだろうか。
たまには時を忘れて、一夜を過ごしてみるのも良い。