法の下に生きる人間〈第39日〉
国民学校令によって、教科書も全面改訂された。のちに、GHQによって墨塗りの指示が出され、戦後の新しい教科書ができるまでは、「墨塗り教科書」で学ぶことになった当時の子どもたちは、どんな思いで教科書を読んでいただろうか。
習字の教科書では、「部隊」「敗敵」といったような手本が掲載されていたのが、戦争を想起させる言葉であるため、墨塗り対象となった。
音楽の教科書からは、『君が代』に次ぐ第二の国歌ともいわれていた『海ゆかば』の歌詞が、すべて墨塗りの対象となった。
歌詞は、『君が代』と同様に短いものであるが、次のとおりである。
〈歌詞〉
海ゆかば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山ゆかば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かえりみはせじ
〈※長閑(のど)には死なじ〉
以上である。
上記の歌詞の意味は、なんとなく分かるだろうか。
「海ゆかば」の「ゆく」は、まさに戦いに征くことであり、我が身は海水に浸かった屍となる。(=戦死する)
「山ゆかば」も同様であり、屍が土と化し、(植物の養分となり)そこに草が生える。
そして、大君は天皇のことであるから、天皇陛下のおそばで死ぬのだという決意のもと、「かえりみはせじ」(=自分のことは顧みない)で戦いに行くのである。
これは、1937年に作曲されたものであるが、この歌詞は、実は、三十六歌仙で有名な歌人である大伴家持(おおとものやかもち)の長歌(=万葉集の歌)の一節である。
大伴家持は、聖武天皇を警護するために仕えていた(=現代版SP)ので、「大君」は聖武天皇を指す。また、兵部省(ひょうぶしょう)の高級官僚だったこともあり、彼の作品は軍歌のイメージに合っていたのである。
今では、めったに歌われなくなったが、この作曲をした人は、信時潔(のぶとき・きよし)である。
この曲のメロディをネット検索して聴いてみると分かるが、非常に高揚感あふれるメロディである。
国民の士気を高めるべく、音楽の力で戦意高揚を図る教育が、小学生に対して行われていたことが、今の時代では考えられないだろう。
今でも歌われている『われは海の子』の歌詞は、たしか7番まであったのだが、「軍艦」など戦争を想起させる言葉があるため、3番までしか歌われなくなっている。
興味がある方は、7番までの歌詞をチェックしてみるとよいだろう。