法の下に生きる人間〈第1日〉
日本がまともな国家になったと言えるのは、どの時代まで遡ればよいのか、それは、今を生きる私たちには分からない。
まともかどうかは、それぞれの人が持つ判断基準があり、例えば、いくら法律で保障されていたとしても、それがすべての人にとって有益であるとは限らない。
法律は正しいのではなく、法律に従って、まずは生きてみることが大事である。そうすると、この法律の条文は疑問だという点が見つかるかもしれない。
その疑問点が、私たちが知っているように、国会で法改正の議論につながり、あるいは、抜け穴があれば、それを埋めるべく、新たな法律が作られる。
さて、第二次世界大戦が終わったとき、私たち日本人は、それまでの明治憲法に代わる日本国憲法の下で、再出発の道を歩み始めた。
1946年の11月3日(文化の日)に、今は亡き昭和天皇(当時45才だった)の名において、99条から成る日本国憲法(厳密には103条だが、100条以下は補則の条文である)が公布された。
そのときから77年が経過しようというところであるが、いまだに憲法は一度も改正されたことがない。
その理由の一つは、憲法第九十八条に謳われているとおり、日本国の最高法規だからである。
【第九十八条】この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
この憲法が改正されることで、他の法律があらゆるケースで影響を受けることになり、その法改正も見据えた議論が必然的に生じることになる。
私たちが簡単に「憲法を変えろ」と言えても、その後は、国や自治体の公務員のみならず、企業も相当な影響を受ける。
現行憲法は、公布から施行まで半年の準備期間があったが、どの条文がどう変わるのか、あるいは新たに条文が追加されるのかどうかで、早くから私たちは見通しを持つ必要に迫られる。
改正憲法は、天皇の名において公布されてしまったら、もう決定となる。
だからこそ、本当に改正されても大丈夫なのかどうか、現行憲法をじっくりと見つめ直す必要がある。
今日から毎月2週間単位(6月は、最終週に第6日から第10日までを発信する)でお送りする新シリーズであるが、これからもご愛読よろしくお願いします。