現代版・徒然草【88】(第21段・風流)
先日、中国で開催されたアジア大会は、中国の杭州というところだった。
その杭州を流れる川の名前が、この段に2つ登場するが、沅(げん)・湘(しょう)という。中国の漢詩を、兼好法師が引用したからである。
では、原文を読んでみよう。
①万(よろづ)のことは、月見るにこそ、慰さむものなれ。
②ある人の、「月ばかり面白きものはあらじ」と言ひしに、またひとり、「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。
③折にふれば、何かはあはれならざらん。
④月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。
⑤岩に砕けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。
⑥「沅・湘、日夜、東に流れ去る。愁人(しゅうじん)のために止まること少時(しばらく)もせず」といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。
⑦嵆康(けいこう)も、「山沢(さんたく)に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ」と言へり。
⑧人遠く、水草清き所にさまよひありきたるばかり、心慰さむことはあらじ。
以上である。
①の文では、月を見るとすべてのことを忘れられて癒やされると言っている。現代の私たちも、そこは共感できるだろう。
②では、ある人が「月ほど趣深いものはない」と言ったら、別の人が「いや、露のほうがもっと情趣がある」と言い合うこともあり、興味深いとのことである。
③では、②を受けて、折にふれて月や露も自然のものはみな趣深いのだとまとめている。
そして、④では、月や花の情趣は言うまでもないが、風もまた心を動かされると言っている。
また、⑤では、岩を砕くような川の水の流れる様子も、いつ見ても素晴らしいと言っており、引き続いて⑥では、中国の漢詩を例に挙げ、人間の愁いなど構わずにとうとうと東に流れる沅・湘のように感慨深いものだと言っている。
⑦では、中国の「竹林の七賢人」の一人である嵆康の言葉を取り上げて、山の中の沢を探索して、そこにいる魚や鳥を見れば、心が洗われると言っている。
最後に、⑧では、人里から離れて、河辺の水草などが清らかな所をのんびりと歩いて回ることほど癒やされるものはないと締めくくっている。
秋も深まり、まさに紅葉の見頃だという地域もあるだろう。
冬が来て寒くなる前に、天気の良い日は、すがすがしい空気を吸いに自然散策をして、これまでの蓄積した疲れなどを洗い落とすのも良いだろう。