現代版・徒然草【31】(第133段・北枕)
私は、子どもの頃から親に「北枕は縁起が悪い」と、よく言い聞かされたものである。
その「北枕」の話が、実は900年も昔から語り継がれていたとは、びっくりである。
今日は、第133段の話であるが、兼好法師は白河上皇の時代のことを書いている。
白河上皇は、歴史好きな人ならご存じだろう。歴史上、院政を初めて行った天皇であり、平安時代末期に生きた人物である。1100年頃が全盛期であった。
兼好法師が生きた時代は、鎌倉時代末期から室町時代初期なので、200年も前のことを書いているのである。
では、読んでみよう。
夜の御殿(おとど)は、東御枕(みまくら)なり。大方(おおかた)、東を枕として陽気を受くべき故に、孔子も東首(とうしゅ)し給へり。寝殿のしつらひ、或は南枕、常の事なり。白河院は、北首(ほくしゅ)に御寝(ぎょしん)なりけり。「北は忌む事なり。また、伊勢は南なり。太神宮の御方(おんかた)を御跡(おんあと)にせさせ給ふ事いかゞ」と、人申しけり。たゞし、太神宮の遥拝(ようはい)は、巽(たつみ)に向はせ給ふ。南にはあらず。
以上である。読みやすいだろう。
「夜の御殿」というのは、天皇の寝殿のことを指す。だいたい「東枕」のほうが、日の出のときに陽光を(顔が真っ先に)浴びるから、かの孔子も東枕で寝ていたという。
だから、寝殿の枕の位置は、南であることが一般的だった。
ところが、白河上皇は、北枕でお休みになっていた。
ある人が、「北は忌むべき方角である。また、伊勢神宮は京都から見て南である。伊勢神宮のほうに足を向けて寝るのはいかがなものだろうか。」と言った。
ただ、白河上皇は、伊勢神宮のほうを拝まれるときは、巽(=たつみとは、南東のこと。)の方角に向かって手を合わせていた。南ではない。
つまり、兼好法師が言いたいのは、白河上皇は、伊勢神宮は南東だと理解していて、あえて北枕で寝ていたということなのである。
今から考えれば、伊勢神宮に足を向けて寝るなというなら、九州の人は西枕はダメで、関東の人は東枕はダメなのかという話になる。
鹿児島なんて、ほぼ南枕はダメである。(厳密には南西の位置に枕を置くことになる)
さて、みなさんはどうしているだろうか。