法の下に生きる人間〈第40日〉
『君が代』は、オリンピックでアスリートが必ず歌うので、誰でも知っているだろう。
そして、『君が代』が国歌であることも当たり前のように理解していると思うが、実は、『君が代』が国歌であるとする法的根拠は、平成10年(1998年)まで存在しなかったことをご存じだろうか。
法的根拠がなくとも、事実上の国歌として初めて扱われたのは1930年であり、満州事変が起こる1年前だった。
それから約70年の時を経て、『国旗及び国歌に関する法律』が1999年に成立した。条文は、下記のとおり、たったの2条だけである。
(国旗)
第1条 国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第1のとおりとする。
(国歌)
第2条 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第2のとおりとする。
以上である。
歌詞は、皆さんもご存じのとおりである。
「君が代は 千代に八千代に さざれ石の
巌となりて 苔のむすまで」
ところで、この歌詞の出典は何かご存じだろうか。
1000年以上も前の平安時代(10世紀初頭
)に編纂された『古今和歌集』に収録された「詠み人知らず」の和歌である。
元の和歌は、「わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」である。
当時の人々が、まさか1000年後も(厳密には1100年後)、この歌が受け継がれて、今なお天皇の代が途切れることなく続き、日本が存続していたと知ったら、感動ものだろう。
そういった意味では、古代のご先祖の遺志を受け継ぎながら、現代の私たちが歌い続けていることは、何も間違っていないのである。
軍国主義教育は否定されるべきではあるが、たまたま『君が代』が戦時中の国威発揚に利用されたという事実だけで、批判するのは違うと私は考える。
なぜなら、『君が代』は、明治13年(=1880年)明治天皇の28才の誕生日(=11月3日)に、初めて宮中で公にされた儀礼曲だからである。
その10年後に、明治天皇の教育勅語とともに、学校教育の現場で使われるようになったのが、普及のきっかけである。
しかし、現代では、1999年の国旗国歌法の成立後、君が代斉唱不起立問題が、東京都など全国各地の学校現場で反対教員らによって起こされた。
日本国憲法第19条の「思想・信条の自由」に反するとして、最高裁まで争われた有名な訴訟であるが、結果は原告敗訴であった。
次週は、引き続き、学校教育とは何なのか、君が代訴訟問題を通して考えていくとしよう。