現代版・徒然草【36】(第119段・鎌倉の鰹)
兼好法師は、鎌倉時代と室町時代の2つの時代を生きていたから、鎌倉の話も出てくる。
今日は、今では「湘南」と呼ばれている鎌倉の海の話題である。
では、原文を読んでみよう。
①鎌倉の海に、鰹(かつお)と言ふ魚は、かの境(さかい)には、さうなきものにて、この比(ごろ)もてなすものなり。
②それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭(かしら)は、下部(しもべ)も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。
③かやうの物も、世の末になれば、上(かみ)ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。
以上である。
①の文から分かるように、カツオが「さうなき」(=双なき=無双)ものである、最高の魚としてもてはやされていた。
ところが、②の文で、地元の高齢者が言うには、「このカツオは、私らが若いときは、身分の高い人へお出しすることはなかった。カツオの頭は、身分の低い人でも、食べずに捨てていた。」とのことである。
③の文で締めくくっているように、世も末になれば(=仏教で言う「末法の世」になれば)、上流階級の食卓にも並ぶのだと言っているわけである。
先週は、鮭とばの話をしたが、天皇に出すとはけしからんという人に、料理人の家系に生まれた藤原隆親が反論したということであった。(第34回参照)
魚の優劣ではなく、調理法次第で絶品ものに変わるわけであり、今から700年前には、こうした食の革命が起こっていたのであろう。
それにしても、鮭といい、鮎といい、鰹といい、こんな昔から現代まで食べ継がれているのは、魚も人間も、長い長い共存関係にあるものだなと、しみじみ思う。
今や海洋汚染が懸念され、海水温も温暖化の影響で上昇している。
北朝鮮のミサイルが何度も日本近海に落ちていると、魚も悪影響を受けている可能性があるかもしれないのだ。
鮭や鮎や鰹が、変わりなく私たちの食卓に並び続けるためには、私たち自身の海や川を守ろうとする努力も不可欠なのである。