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シュライン#23.夢の中で水神は我を呼ぶ/貴船と京北賀茂神社の高龗(たかおかみ)
そもそも話は4年前に遡る。夢の中の話なので夢のような話なのだが津波が来る夢だった。津波だけど波の色が沖縄や宮古島の海のような綺麗なターコイズで透き通っていた。その神社はなんか崖っぽいところにあって、波から逃げて鳥居を潜ったときにそこに文字を見た。「貴飴神社(きあめ)」と書かれていた。以前こちらでも「おおくまごう」に行った話を抽象的なボイスレコードで語ったが、わたしの夢に神社や社の類が出てきてわたしを呼び始めたのはおそらくこの2021年が最初だと思う。夢の中で見た場所に行くという経験——その場所に行って「これ夢で見た!」とおもいだす経験——はかつてモンサンミッシェルやアラビヤのヘリテッジビレッジなどであったけど、
神道関連はここから始まったように記憶している。
その時、起きてすぐに「貴飴神社」というのを探したけれど、全然見つからず、いろんなスピリチュアル有識者に連絡を取った結果「それは貴船(きふね)神社」だろうということになった。そして貴船に行った。
その時の様子などはわたしの分身と言っていい存在「小説家ナカジマ」がYoutubeで細かく語っているので、こちらを見てもらいたいのだが、
どことなく(本当にここでいいのだろうか)という気持ちが拭えないまま、
バスに乗る直前に「飴にまつわるものを何か手に入れたい」と思い、飴を買って、バスに乗ってからこれに気づいたというわけ。
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こういう時に夢でもおそらくちゃんとそこに呼ばれてるんだと感じる。
つまりは夢の中で自分が「読み間違え」をしているというリアルを知った時。夢の中で鳥居を潜ったのは一瞬の出来事で立ち止まって言葉を確認する時間がなかった。だから飴だと思っていたけどこれは「船」だったんだな。
(貴船の敷地内じゃないところでこれを読んでもまた飴と読んでしまいそうなくらい似てる….旧字なのかな)
で、この話が何に繋がるかというと、ちょうどこれから1年後くらい(だったと記憶している)にまた妙な神社の夢を見た。その神社は名前がわからなくて探しようがなかった。ただその鳥居の周辺の映像の記憶だけがあるだけで、全国津々浦々のどこかもわからない。けれどもなぜかそれが昨年の9月末、滋賀での同窓会を控えたわたしが見た、一見神道となんの関係もないようなローランドグループのホスト密着動画でどこの神社が明らかになった。京都かよ、ちょうど数週間以内にいけるやん。
そしてその神社へ行ったことが奈良五條のラジオ出演に繋がるというもう確実に「呼ばれ案件」だったことは明白なのだが、この「呼ばれ案件」に関して大変困るのは自分にそういう透視能力はないので「何の用で誰に呼ばれた」のかなどさっぱりわからないので一般社会で生きている大人の人間としては「夢に出てきた神社を店を休んでも参拝し」「そこで出会った人のラジオ局へ店を休んで収録に出かける」妙なやつということになってしまうが、これまたあらがうことはできない。
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ともあれ「京北」というところにある山の「賀茂神社」(皆が一般的に知っており陛下が”うけい”をされるというその賀茂神社ではない)がその場所だということはわかったが行ってみて大変びっくりしたのは祭神が「高龗」だったことだ。まじか。また貴船やん。わたしを夢で呼ぶのはいつだって貴船の高龗だということがわかりました。そしてなんと主祭神の賀茂別雷大神(かもわけいかづちおおかみ)というのは饒速日の別名であったこともわかりました。なるほど、出雲か。それでふと思った。あのホストのウルくんて子、わざわざここを選んで参拝するなんて何かしらを知っている子ではないのかな。そう思って名前を調べたら古代シュメールの主要都市の一つと同じでこれは絶対偶然ではないだろうと思うも、本人には確認できず。
この神社のレポはこちらからわたしの分身、分け御霊のナカジマの動画です。その他12月に行った日吉大社および延暦寺の様子などもこのシリーズにありますので彼女のレポをごらんください。
🌝ラム子注「分け御霊ナカジマ」🌝
このラム子のnoteを始めて8年目になり、いよいよ世界の雰囲気としても別に分けてやらなくても良くなった感じはあるのですが、このページの持つ「神秘性」のようなものって、なんていうのかな、このページが持つ「魔法」みたいなものを発動するのに必要な要素だと思っているので、2025年度はこのページで小説家のナカジマに関して語るとき”わたし”のようであり”わたし”ではないもの、みたいな扱いで語ってゆきたいと思います。その方が何か大事な”何か”が起動するので
思うのだけど「お遣い」を受ける方としては「どなたからどのような用事を仰せつかっておるのか」知りたいんですが「お遣い」を頼む方はおそらくなんかとんでもなく重要で秘密に満ちた用事を頼んでいるのだろうと思うので、わたしくらいの感度の人間がちょうどいいのかなと思ったりする。
(つまりすごいお遣いだと遣われる方がわかれば怖気付いてしまうこともあるだろうしなんかニュートラルなバイアスにならないんだろうな。遣われる方はそれが世界の何かしらの攻防の一部とかつゆ知らずに、夢でみたから参拝しているくらいのノリであることが良いのかもしれない)
こう書いてしまうと「誰かの知らない用事に振り回されている」ような感じに聞こえたりするかもしれないんだけど、多分その用事は「自分の役割だと思ってやった方がいいことなんだ」と思っている。もちろん「おつかれさまね〜ありがとう〜」みたいなものを”存在”たちはくれるのだけど、それらもこの三次元的な世界においての謝礼とはまた違うものであるし「謝礼」という概念ではなく「縁起」の一つを分けてくれるような感じなので、
なんか帰宅したら宝くじが当たりました、みたいなことにはならない。
同時に帰宅して引いた神様カードがこれだったりして、
「われわれは圧倒的にここにおるのじゃ」的な神託はくれる。
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でもこういった用事で一番自分がありがたいなぁと思うのは、
やっぱり自身では祓いきれない何かを「ドン!!!!」と一瞬にして”存在たち”先日の場合であったら高龗が祓ってくれることだろうか。
神道は祓いに始まり祓いに終わるというけどまさにその通りで、
穢れというグラビティ(重力)がなければ人はパワースポットなどに行かなくてもいつだって瞬時に飛躍できるし前に進める。けれどもその穢れという重力がまた三次元世界ならではのハードルであると同時に肉体を持つということの醍醐味なんだろうけど、こう曇ってる鏡があって、自分で一生懸命拭くんだけど、なんかまだ澄み切ってない、どこか曇ってる感じがする、みたいなものを一瞬でぴかぴかにするような感じのことをやっぱ神はしてくれるなあと感じます。そういう意味では日吉大社は凄かった!!!
このシュラインのシリーズは2018年と2019年に最も多く更新しておりますが、実際のところ2022年、2023年、2024年とまあまああちこち行っております。けれどその神社の丁寧なレポやアーカイブはこのnoteにおいてもわたしより丁寧にまとめてくれている方々がたくさんおらして、そちらをわたしも大変参考にしたりもしてるので、そういうレポにはしないかなと思う。
そういうレポにはしないと思うけれど、必要なことを必要なタイミングで綴って、起動力がそちらの方があると思えば小説家ナカジマに動画にしてもらったりしつつ、続けていこうと思います。
それではみなさま「かんながら たま ちわえませ!」
(文字で書くと”たま ちはえませ”)なのですがそのせいでみんなが「わ」を「は」と発音してしまい祝詞の霊力が起動してないと感じるので、
こう書いておきます。
たま ちわえませ!
それではまた次回!
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(2022年1月、前年の御礼参り)
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