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VOL.23/ささやかな自分の変化、成長にちゃんと気付こう 、そして自分の傷[PTSD]のこと。(By いま伝えたい いくつかのことシリーズ)

こんにちは。
ささやかな自分の変化、成長に気付こう、そして自分の傷[PTSD]のこと。
昨日わたしはささやかな自分の変化に気がつきました。
知らない間に「剪定/ せんてい」の意味がわかるようになっていたのです。
去年「腕」や「足」のような気がしてなかなか思い切って切れなかった不要な茎や葉が、今年は「古い細胞なのだ」という風に認識できたのです。

この1年のうちにわたしは次第に「緑の手の人」になりつつあります。
それは入院中に頂いたお花を、上手に手入れできた上、家まで持って帰って来られた時に気づきました。これまでは花は必ず枯らしてしまうし手入れの仕方わからないし頂くと困っていた。でもわたしは「枯らしてしまう」ことで知られているので、今は誰もわたしが「緑の手の人」になりつつあることを知らないでしょう。そう、自分自身ですら変化していく自分を見落としていることがある。だとしたら、他人はもっと。

自分に置き換えて考えるとわかると思うのですが相手の変化、どこまで気づいていますか。意外と人間は最初の印象に縛られて生きています「わがままな人」って最初に思ったら、意外とずっとそのフィルターで相手を判断してしまう。もう何年も関わっている友人でも、出会った時の印象で見ていませんか? 子供への贈り物は変化が前提で「アンパンマンからエルサへ、エルサから可愛いバレエスカートへ」とか、プレゼントする方も変化するけど、大人に対してはどうだろう。決めつけてかかってない? あの人はおはぎが好き。とか。笑。それで旅先のお土産でも甘いものを買っていく。でもよく考えて見ると自分は最近はだんだん甘いものに疲れて、自身には漬物とかを買っている。もしかしたら相手もそうだったりして。

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もちろん逆も然りで、例えば今回のことーー植物を育てられないーーというのは知られる機会が少ない情報だからあまり知られていないけど、それを知っている人にはわたしがだんだん、緑の手になりつつあることは信じられないだろうし、いちいち伝えない限りはその情報は相手の中で更新されません。

でもねだからこそ自分だけは自分のささやかな変化に気づいてほしい。
これは自分自身というOSの最新のアップデートを認識する作業です。

なぜこれが大事かというと、この認識が、自分と他者の中に生まれる誤解を解く鍵にもなるからです。[Poppen22]で伝えた”じぶんの課題か相手の課題か見極める”ということに関係しています。

例えばだけれども、こんな感じにわたしがどんどん緑の手をアップデートしていって、もはや枯れかけたものすら再生させるティフィティ状態になっていったとして、ある時預かっていた知り合いの鉢植えが枯れたとします。
例えばこういう時。相手が自分を「緑の手」だと認識せず「手がかからない植物だから」と預けたとしても「全く植物を育てられない」と思われていたならきっと「すごいね、こんな簡単な植物も枯らすんだね」って思われるかもしれません。そしてわたしは他者にどう思われるかを気にしましょうって言っているのではないんです。自分の中の真実はじゃあどうかっていうことを、いつでも心の中で瞬時に答えられるようにしておきましょう、ということをお伝えしたいのです。

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相手の脳の中、相手が思うこと、相手の思考は相手のものであって、
「なんでそう思うのよ!」と言ったって、そう思っているものを変えることができないし、思考や気持ちは個人に帰属しその他誰のものではないからそれを修正する権利もわたしたちにまたありません。

でもだからこそ、自身の健康な暮らしのために、じぶんを常に認識して置くことは大切です。「あの鉢植えはわたしが枯らしたわけじゃない」ってじぶんが強く思えるか、そうじゃないかによって、相手に対する負い目に繋がったりする。先日も言ったけど、ゴッホは天才だったのに、売れないのは自分が悪いのだと思って、どんどんと先天的な病が悪化しました。

うれしいことや成長は讃える。すごい、わたし剪定ができるようになっている!!!すごい! わたし、1年経って緑の手になりつつある!
一つ感動。それからもう一つ。この1年、植物のことだけを集中してやっていたのではなく、ラララ世界全部のことをトータルで考えていろんな角度からアプローチしたり研究していくうちに、気づけば1段上がっていて「剪定」くらいはさささとできるようになっていたということにも感動しました。全てのものは繋がっているんだなあって。

同時にマイナス面のこともちゃんと見極めています。いまわたしちょっとしたPTSD[心的外傷後ストレス障害]があります。あるみたいだということに気づきました。大きな事件ではなく小さなことが長年積み重なってのことで、だいたいPTSDがそうであるように、その”さなか”ではなく終わってからじわじわときて、そして時間がかかります。これが癒えないとそれはトラウマという名前のものになります。
PTSDには波があって、2月それはひどく、3月4月で少し薄まってきていたけれど、今またそれが呼び起こされる出来事あって、強まっている。

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わたしがPTSDと使うことによって、みんなにも「これってそうかも」って感じてもらいたい。PTSDって大きな事件とか報道されるレベルの何かによってなるものじゃなくって、些細なことでもなります。例えば階段から落ちて大怪我して、それから階段が怖くなるのもPTSDなのです。
(以下もうそれを伝えたので"傷”とします。病名ってなんか読んでいて怖い気持ちになるかもしれないので)

わたしは5年前の大きな失恋によって”その状態”になりました。それは恋愛でよくあるもので、新しく出会った恋愛相手に、前の人の性格をなぞらえて疑ってしまうというものでした。わたしはその頃からちゃんとそれが自分の課題だとは理解していました。つまり相手には何も落ち度がないのに、わたしは過去の恋愛の傷を勝手に新しい彼に投影してありもしないことを妄想をして、それがまるで事実かのように勝手に傷ついている。それが自分の課題ー傷ーだと理解していても癒えるまでに3年ほどかかりました。

今回わたしが陥っているのはまた違う内容でそれは「じぶんの言葉が全部裏に取られるのではないか」という傷です。「思いやりを策略ととられるかもしれない」という恐怖です。
これは当然対象は知人や友人に限られ、ラララなどは含みません。
個人的な関わりがなければ生活に干渉しないし、ラララは無料だから利害がないからです。でもたとえばこの記事でも、これを読んだ知人や友人が「わたしのことを指してる!」って勘違いして不快に思ったらどうしよう、という恐怖はあったりします。
(しかしこの場に友人知人があまりいないからそれはほぼ杞憂なのだ)

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”書くこと” "話すこと” には常に相手に「誤解される」というリスクがあって、また同時に「誤解されるような書き方をした」という、自身の落ち度と向かいあう仕事でもあります。あえてそう書いて相手が怒っている場合はこっちも覚悟の上だから問題ない。でも伝わり方がねじれるのはよくない。だからわたしも書いたらそれで終わりじゃなくって、このラララもそのあとなんども改行したり、言葉を差し替えたりしながらなるべく正しく伝わるように、時間をかけて日々推敲しています。

だからわたしは自分を励ます。
わたしは他の人よりも「言葉」を丁寧に扱ってきた。デビューして11年、特に受賞時、江國さんが「言葉は刃物だ」とわたしに向かって言ってくれた言葉が衝撃的で ”え!言葉って刃物なの!?”
その日から11年もの間「刃物である言葉」について考え続けてきました。考えて考えて考え抜いて使った言葉や表現でもやっぱりモデル問題ではなんども揉めて、けれどそれを無視せず、またちゃんとその人と向き合い、その人が納得しなければ連載も中止し、出版も一旦停止にし、そうしながら、全国の書店で多種多様の価値観の人が読むことを前提とした本を書いてきた。
だからわたしが安易に「誤解される発言」や「裏にとられるような言い方」をすることは自分の職業の特性上、ないはずだ。

なぜなら人一倍そのことと向き合ってきた365日×11年だったからだ。
だからもしそんなわたしを糾弾する知人がいたら、わたしはもうその人と交点がとれない。It time to leave. そう考えます。

ただ今は傷の状態が少しひどいと思っているから、その影響で、わたし自体が多少全ての物事に猜疑的(さいぎてき)かもわからない。なのでわたしはこのシーズンが終わるまでは能動的に何かを勝手に決めたりせず、じっと過ごそうと思っています。女性ならわかるかな? 生理前後には大事な決め事とか、話し合いを人としない、みたいなやつです。笑。

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うまく言えないのですが、人はそう見えない人も体内に傷を持っているし、弱さを持っています。弱い人は相手の傷に過剰反応して、精神的に健康な人とだけ関わりたいと思うし、自分の傷と向き合ってちゃんとつどつど克服している強い人は、そばにそういう心の弱い人がいても、嫌がらない。むしろ根気よく関わっていく。じぶんはそういう意味では強い方だと思います。それはわたしのポテンシャルというよりは、あまりにいろんな意味で稀有な我が家族と妹たちの存在のおかげでしょう。
それでもこうして傷ついて閉じたい時もある。

なので傷がある人は隠さないで、飲み込まないで。
それを伝えた時に逃げていく人は、その人自身が弱い人なの。
だから逃げられたわたしに悩む必要なくって、
逆に傷ついている時は強くてやさしい人が必要だから、
それでいいの。ただ、これは次の回「いま伝えたい大切なこと」いよいよ本編で伝えますが、じぶんのためにそばにいてくれる相手をよくみてね。

メンヘラの人って[ザクっとこう言っちゃうね]やっぱちょっと破綻した彼氏がいたりする。そのバランスが悪いって言わないし、20代の頃はそれでもうまく循環していたりする。じぶんがどこか傷を持った同じ種類の人と寄り添いたい時は一時的にそれでもいいと思います。でももし自分が優しくて強い人をさがしていたら、自分の前に現れた人が「本当に優しくて強い人か」よく見極めて見て欲しい。

その見極める時に大事なのが、その前に自分をよく見極めておくってことなのです。”じぶんの課題か相手の課題か見極める”それからささやかな自分の変化、成長に気付こう、そして持ってる傷[PTSD]のこと。

じぶんのことをまずよく知っておくことが大切なことなのです。

わたしは剪定が得意な人になりました。笑。
じぶんの新しい情報は必ずじぶんに上書きしましょう。

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それではららら。
ラララ世界で会いましょう☆

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