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憂いがないのは備えていたから? もう一つの世界線[2025年VOL.2]
釈然としない気持ちに関してはとことん掘り下げてわたしなりの納得にいきあたりたい。そして行き当たった。たぶん(備えていたのだ)と。
そしてその世界線が回避された今、手放したのだろう、と。
抽象的に話していても仕方ない。ガレージの話である。
我が店が2年ぶりの黒字になった翌月、建前上は多目的ガレージとして、小さなビルの倉庫的スペースを借りた。トイレもない、空調もないガレージで、昨年の酷暑を凌ぐには熱く、涼しくなった頃にイベントでもと思っていたが店の赤字が留まるところを知らない感じになったので、いよいよ寒くなってきた11月の頭に解約届けを出し店舗扱いであったため3ヶ月後の2月の頭に無事明け渡しをした。結果ただ半年以上「借りていただけ」の不良債権であり、この場所で物理的に失ったお金は100万以上に上る。ガレージはサブなので、メインの酒場経営がしこたまピンチに陥った2024年、この損失は手痛いもの、のはずである。けれどわたしはこの出来事に関して、
どうしても(失敗した……)(悔しい)(100万以上の損をした 涙)みたいに思えなかったんである。そういう気持ちが湧いてくることが一つもなくて、
心の深淵を覗くに「あれは今後の人生のために絶対に通っておかねばならないステップだった」という感じが強まるだけなのである。
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顕在世界では全てがうまくいかなかった。
ガレージを使いたそうな人たちとことどとくタイミングがずれ、
帯での貸し出しはおろか、ピンポイントでの有効利用も、されなかった。
借りた際に大野百合子さんがおっしゃった「なんだか神聖な場所になる気がする」という言葉も顕在化されることはなく、なんとなく神聖な気配のまま、自分が日々「神聖さを保つための」儀式——お札を換えるであるとか、モノの配置を変えて気を動かすであるとか、人の気を入れるために自身がそこで過ごすなど——をしている以外には高まっていく神聖さもなかった。
けれども同時に解約した今も百合子さんのいう「神聖な場所に(ゆくゆく)なる気配」という言葉に強く納得している。ならなかった未来から振り返って納得しているのも極めて妙なのだけれど、つまりはきっと、別の世界線においては「そうなっていく」未来があの倉庫の軌道にはあったということなのだ。そしてその軌道を倉庫は逸れたのだが、それはきっと極めていい意味だったのだと今確信している。
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なんだかこの倉庫を借りている間、小説家であるわたしの脳内で進行していたもう一つの物語は「避難所」というものだった。物理的に考えると古いビルの一階の倉庫などが大きな”何か”が起きた時の避難所たりえるわけはないのだが、わたしの中にある漠然としたあるシーンのイメージはそういった感じで、なので水や物資の一部などはそこに置いておかねばならないし、
実際にそういうイメージで水などは多めにストックしておいた。
去年のわたしには家と店とガレージと3つの場所を「いざ」に備えて整えることを重要視しており、その中でもわたしにとって重要なのは、
命よりある意味大事と言える自身の著書「宵巴里」の分散であった。
わたしは水よりも先にガレージに「宵巴里」ダンボールを二つほど運び込んだ。この小説が「いざ」というときに同じ場所で一気に消滅するのは避けなければならない。
著者としての本能的な感覚だとずっと思っていたが今こうやって書いてみると自身のデビュー作が2011年の震災によって壊滅したことに起因しているのかもしれない。あのとき新潮社の倉庫が東北にあり、スプリンクラーの誤作動によってわたしのデビュー作の初版は全てずぶ濡れになり壊滅、世間に流通しているだけどなったが同時に「断裁」という不名誉からも逃れた。
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「備え」だとしたら何も起きなかったじゃないか。
「備え」だとしたら何も起きないうちに手放してしまっているじゃない。
そう感じていたゆえに自身の中の「後悔のなさ」と折り合いが付かぬまま過ごしていたある日あることに気づいた。多分だけど、世界線が変わり、
その備えは一旦必要なくなったのではないか、ということに。
きっかけは保江邦夫さんがとあるYoutubeでおっしゃっていた「7月5日は一旦はない」という話だった。元々保江さんは7月5日の件に関しては隕石の衝突を推しておられた方だけども「実はあれは隕石ではなく、バイデンと中近平の間における密約の軍事作戦だった」ということであった。
ほんとか嘘かはともかくそこで語られた内容は、
その日、本来であれば使っていない衛星を台湾沖に落として津波を起こす、それで台湾がてんやわんやするときに中国は台湾侵攻をする。しかしそうなると表向きはアメリカは中国を非難し軍を出さねばならない。そこで決めた日付が日本時間の7月5日の朝4時だった。その時間はアメリカ時間でいうところの独立記念日の14時。その日は式典で軍は休み。一報が入ってもすぐには動けない。けれども政権がトランプになったので、この計画は一旦は止まる。逆に中国はどの日付でも台湾侵攻をできるようになったけどね。という話だった。
なるほどなと思った。そういうこともあるのかもしれない。
自身が苦戦する売り上げの中、山崎を売ったり金(きん)を溶かしたりしてまでキープしていたガレージ。それの解約届けを出した11月は、世界線が変わるよりも少し早かったが、潜在世界の軌道はきっともうそっちに逸れはじめていたのではないか。そんなことをふと思った。
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世界線が変わるとき。一気にわかりやすく変わるのは悪いことが起きる時だけだ。もしくは革命の時。
そうではなく、誰かが世界をそっと救ってくれた時、わずかに世界線が変更した時。そのときに起きることというのは、ただただ朝日が昇り、あたりまえの朝を迎え、変わりばえのない日常が始まる。
そういうことなんではないか。
当たってしまった予言と違って、
起こらなかったことの証明は一生できない。
でもだからこそ心の奥の「たしかな感覚」を「気のせい」にしてはいけない。もしかしたら一生その理由はわからないかもしれないが、何かしらの心の叫びにより——あるいはそれはハイヤーセルフ的なものなのか未来からの伝言なのか今はここにいない友人や祖母のはからいなのかわからないけれど——去年の5月にガレージを借りて2月までそれを手元に置いていたことには、理由はわからないがけれど絶対に意味があった。
だからこそ今後も理由はわからないが「そうしたい」と思うこと、
「そうするべきだ」と思うことを、顕在世界との整合性がとれず妙な女主人、ぶっ飛んだ変な人に思われても続けていこうと思う。
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憂いがないのはきっと備えていたからだ。
今はもう見ることはないもう一つの世界線よ、アデユー!
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