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VOL.8/Space、Cosmoにおける、スペース。(By 3/21満月回顧録)

こんにちは。引き続きコスミック(宇宙的)な回が続きますが、
ここのところPoppenに入ってから比較的地続きの、全部(Byも)でもいいような話が多かったと思うので、こういう宙に浮いたような話、
観念的哲学的な、スピリな話もよいのかなぁと。Space、Cosmoにおける、スペース、の話。

天秤座満月、東京は晴天というわけではなかったですが、長い時間、綺麗な月光を楽しむことができました、みなさまどうですか?
回顧録なので回顧していきますが、笑、このラララで満月のことを、記事にし続けて早10ヶ月、つまり10回満月を慈しんできたわけなのですが、とうとう「手離すもの」も「願うことも」なくなり「無」になってきました。笑。

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ここにも前回書いたと思うのですが、次第に満月の日の自分のルーティーンができてきつつあって、なんとなく直感で月の光に当てたらいいだろうな、と思うものを月光浴させるのがメインなのですが、月が出てから高く昇るまでの間はメゾネットになっている我が家の上の階の東の窓の方からさす月光で上の階のものを月光浴させ、その間電気を消して静かな夜を楽しみつつラララを書いたり、なにやら、日々のやることをします。

深夜になってくると月が西の方へ動くので、今度は下の階に降りて、西の方のベランダで下の階のものを月光浴させ、その間にわたしは、ベランダで月を見つめながら、お酒を片手に、数年前に好きな人からもらった細くて小さい葉巻を一服するという流れです。
この葉巻は4年前に小さな箱でもらったものなんだけど、吸いどきがわからずずっと取っておいたのですが、
このルーティーンになってから毎月2本ずつくらいなくなり、彼と出会った5月になるころには、ちょうどなくなる感じです。

それでこの時間が、わたしにとって静かで至福なひとときとなっています。それこそこの記事を書き始めた春〜秋のあたりまでは、わたしも書きながら読者と同じように、今回はこんなことを意識してとか、イメージして、とか、月光に向かってなにやら「リニューアル」するつもりで多少”挑んで”いたように思うのですが、いまはそれらが繰り返されることで、もう、じぶんの一部になっているのでしょう、特筆すべきことがなくなって、その時間は「0」テンションということになりました。笑。

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これはわたしが神社の参拝に慣れて行った流れにも似ているなあと思いました。参拝が日々のことになると、もう挨拶と感謝しかすることがなくなるのと同じで、満月にも慣れてきたんだなあって、満月を一つの「環」とし、
よりシンプルにじぶんを見つめて、また明日からのループに入るというのが、暮らしの一部になってきたんだと思います。

なにより一息つける時間の必要さよ。
そして思います。おーもう先月の満月から一ヶ月かあって。
どんなことがあったかなこのひと月。
具体的には去年の満月では3/31講演会(作家名の方)の準備を始めたばっかりだったなあ、弾き語りをしようと思ったけど弾きたい曲の歌詞の内容を満月を眺めながら調べたらちょっと講演会のベクトルとマッチしないからやめようと思ったり、したんだった。
あれからひと月、曲はその時予想もしなかった曲になって、今ではもうその練習もだいたい終わって録音した音源を聴きながら、ここはもう少しああしようかな、なんて思っている。

彼とのことも「考えても仕方ないんだから」という風に考えていた2ヶ月前くらいと考えると、本当に「考えても仕方ない」という気になって、もはやおとといの満月では考えもしなかった。笑。これがフラットに「考えても仕方ない」って思ってるってことなのね、「0」テンション面白い。

そして強く思ったことはこれです。
Spece, Cosmoにおけるスペースの絶対性について。

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この満月、西側のベランダに出るのが遅れたのですが、それは理由がありました。もうお分かりの方も多いかと思うのですがイチロー選手の引退会見を見ていたからです。イチロー選手は、いろんなことにちゃんと筋を持っていて、具体的な努力を積み重ねてきた方で、簡単にいえば占いとかで何かを決めたりしない人にわたしには見えるのですが、けれどもこのようなビッグスターが、昼と夜の長さが同じになる春分の日であり満月であり、宇宙元旦に一線を退くというのは、わたしにはとてもスピリチュアルな出来事に感じたんですね。ある意味イチロー選手が全うしたぶれない生き方は、中庸を行くということで、この春分の日、天秤座の満月に引退されたというのはとても彼らしいシンクロなのかもしれません。
どちらにしろこれまで彼が放ち続けた光によって埋められていたスペース(宇宙空間)は3/21にぽっかりと、穴になったわけです。

そしてまたその宇宙空間を、誰かが、埋めていくのだろう、
そんなことを、思ったんです。それは同じようなスターがまた出てくるというのとは少し違って、例えば歌舞伎界で言うと、勘三郎さんと団十郎さんが担っていたSpace(宇宙空間)はとてつもなく大きくて、誰か一人で埋められる人はいないわけだから、今こうやって海老蔵さんや勘九郎さんや七之助さんや獅童さんや、歌舞伎界のまだまだ若手と言われる人たちが力を合わせてそこを担っている。つまりサイズはおのおのなんだけど、

誰かの光によって満ちていたスペースは、Cosmo(全体宇宙)の中で、
いつしか誰かに置き換えられていく。
それが不思議と「環」として「円」として「球(キュウ)」としての法則というかなんなのかわからないけど、
無限に増え続けるということはなくって、宇宙や銀河は無限なのだと思うのだけど、その担う光のバランスってあるんだろうなって、
ふと思ったわけなんです。

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そしてなんていうかこう思いました。
じぶんもそのSpaceに飛び込んで行かねば、と。
イチローみたいになるということではなくって、誰かの光に照らしてもらっているわたしから、誰かを照らしだせるわたしになる、そういうシーズンにもう突入しているんだろう、そう思った感じです。

昔、若くしてもうその世界では活躍していたプロサーファーの彼(とまではいかず)がいて、たまたまその子と一緒にイチローの2004年の、歴史的偉業を成し遂げた時の会見を見ていたんですよね。その時に彼は同じアスリートだから、イチロー選手がバッドを前に突き出して睨むあのポーズを、波を今から捉える時の感覚に近い、集中するための儀式のようなものだと言っていました。「あの瞬間に凄まじい量のエネルギーが注入されてる」

当時わたしは26歳で役者志望、彼は「君は何かになれる人やと思う」と応援してくれていました。

昨日のことのように思えるけど、もう13年も前のことなんだ。

そしてこの13年もの間ずっと彼はこのコスミックの中である膨大なスペースを輝かせ続けてきんだ。

わたしはデビューしてからのこの11年間、ちょっと受け身でありすぎはしなかっただろうか。なんかそんなことを思ったんですね。
この宇宙元旦に、すべてをやりきった彼の会見を眺めながら。

それで考えたわけです。
Space, Cosmoにおける、スペースについて。

とにかくわたしは、飛び込んで行かねばならない。

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それでは、ラララ世界でもこの世界でも会いましょう、世界を繋いで。

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