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la la la 3. 間取りの話(by ラム子)

こんにちは。昨日の続き、というわけではありませんが、人間の五感はすごいのだ、ということを強く感じた体験について書いてみます。
お香を焚いたりして場を清めることが、目に見えるほどわかりやすく必要なのだと感じた出来事について。
このマガジンは基本的に日本の人に向けて書いています。この場合の日本の人とは、民族のことではなくて、日本のことを知っている、または知りたい方全てであってつまりそういう意味ではイタリアの方もギリシャの方も、日本の人に含んでいますが、わざわざ世界にこれを拡散したいとは思っていません。なぜこんなことを書いたかと言うと、日本のスピリットに照準を合わせ、それを敬いながら”ラララ”に導いて行きたいからで、多少そのためにグローバルなものをカットしていく場合があります。そんなわけで今日も日本の家の間取りのことを肌感覚で感じていないとわからない部分があるかもしれません。(それでもこの日本語の記事を読んでくださっている海外の方いらっしゃたらありがとう、感謝します)

アラビヤに行って、日本の建物ってちゃんと作られているなあって改めて思いました。たまにすごく変な間取りの家とかもあると思うし、昨日書いたように、リノベの仕方がアレなせいで、変な位置にトイレがきている、みたいな家もあります。古くて湿気があって「なんか出そう」という不気味な部屋とかはあっても「ココ!何!?」と驚愕するようなエリアは日本の建築様式の中では、あまりないのではないでしょうか。
(それはやはり風水や気学に基づいて設計されているからだと思います)

アラビアにひと月いた時のことです。向こうの人たちってマネージメントが日本みたいに綿密じゃなくて全てが”インシャーラ(神のまにまに)”って感じで、その時のフィーリングで予定がどんどん変わるし、何時間も相手が遅刻するとかもザラにあって、そのおかげで、わたしたちは日本に例えると、
浜松行って一旦東京に戻ってまた名古屋、みたいなぐちゃぐちゃのスケジュールで動いていました。そんな先の見えない予定の中で、ツアーコンダクターも急にホテルを抑えないといけなかったりして、わたしたちは基本この仕事で出会うまで初対面ですから、ホテルの部屋は別々だったのですが、
予定が急な変更をしてどのホテルも取れなかった時に、とあるアパルトメントのようなホテルで数日、共同生活することになりました。男の子は同じホテルの上の階でしたが女性3人の部屋(我が部屋)がメゾネットの4LDKくらいで広かったので、そこで集合してミーティングしたりしていました。

この部屋が、本当に、本当に、奇っ怪な部屋だったのです。
なんていうかこう、身の毛がよだつほど恐ろしい気がする部屋が2つ(1つはトイレ)があって、わたしと、一緒に行ったキュレーターの方は、その部屋を開けることができませんでした。

「気のせいかな」と一人だったら思ったかもしれないけど、
わたしが変な気がする旨を伝えるとみんな「そう思う!」とのこと。
この「見えない気配」がちゃんと3人で共有できたことが、一つの確信になりました。まだ相手をよく知らない中で「オカルトがかってる」とか思われるのは嫌だなと思ったのですが、なんていうのですかね、みんな初めて体験するあの中東のイスラムの世界、モスク、そういう霊的であり精神論(スピリチュアリズム)大前提の中で、アラビヤの人たちと一緒に日々を過ごし、彼らは「神」という見えない存在を大前提に生きていますから、当然全て見えないものに目を凝らし聞こえないものを聴いて動きますので、スピリチュアルであるということが生活そのもの、そういう数日を送った後だったので、わたしたち日本人も、そういったことを自然に口にできるようになっていたのでした。

その日はとりあえず塩を自分の部屋の前に置いて、眠り、次の日、上の階で過ごした男性チームの一人にこのことを相談しました。
(わたしはなぜかその数ヶ月前に出雲大社に行くことになり、そこで買った神迎えの塩を、アラビヤに持って行っていたのです。一部はトランクに、一部はまさに麻薬の密輸のように肌に身につけて!笑 まるで出番を待っていたかのように出雲の塩は活躍の時を迎えました)

旅というのは不思議なもので、起こってみると全部がそう設定されていたかのようなことがあり、その彼はなんとお家が代々「視えたりする」家系の方で、その人自身にもそういった感性があり、さらに知識の造詣も深く、
すぐに対策をいろいろ教えてくれました。

「でもさこのあたりってまだ街ができて50年でしょう?」
霊って感じもしないんだけど、とわたしが言うと、彼は「これは間取りの問題だ」と答えました。
「気の流れとかを無視してガッチャガチャに作ってあるね」彼はそう言いました。だから、変な所に気が停滞して、そこが変なブラックボックスみたいになるのだと。

「どうしたらいいの?」わたしが聞くと彼は的確に指示してくれました。
「階段上がって左の奥のあの部屋、あの部屋はやばいからもう絶対扉を開けないで、使わないようにしよう」
(実際わたしたちは怖くて入れなかったので、前日はキュレーターの人とわたしが同じ部屋で眠っていました)

「あとあのトイレは、まあ使ってもいいけど、絶対開けっ放しにしないように」「この”気”が滞留しているところは、そうだね花とかアロマとかなんでもいいから置いてエネルギーのテンションを変えよう」
「部屋の外に塩を置いておくのはいいね」

わたしたちは彼の指示に従いながら、そこで数日を過ごしました。
そして段々と、その部屋の気の感じを変え、住みこなして行ったのです。

もちろん不思議なことは続いて、5人で部屋でデリバリーで夕食をとろうとした時、5人だとわかっているのに、なぜかお皿も6枚、グラスも6枚、無意識に用意されてしまうということがありました。

「え!? 何!?」
みんな怖がりましたが、その時も彼が「これ、怖いものとして処理するとそういうものになってしまうから、だったらもうポジティヴに変換して、ここにもビールをついじゃおう」と言いました。そしてそのグラスにビールが注がれた瞬間、招かれざる客は、わたしたちが招いたゲストの一人という扱いになりました。
そんなわけで、わたしたち5人は”誰か”を含む6人で乾杯をしたのです。
この時にわたしは「ああ、こうするといいんだな」とすごく納得したのです。それがわたしがプロローグから話している”想念によって軌道を変えて行くこと”なのです。そこに循環している流れが負の回転をしていたら、切り替えて逆回りに回すようなこと。

一周回ってお香を焚く話に戻りますが、つまりはそういうことなんです。
わたしはあの時「アロマや花を置く」という結論しか知りませんでしたが、その過程となぜ? を掘り下げて行くと、その場のエネルギーの流れを変えるってことなんです。「波動」と言うとなんか抵抗がある感じがする人も、エネルギーと言えば「それなら聞く気になる」ってなりませんか。
水力、風力、電子力、太陽、わたしたちはいろんなエネルギーを変換して、生活を送っていますね。心臓ですら電気で動いていることをわたしは不整脈の手術をするとき初めて知りました。
心臓すらも電気で動いているのですから、生きていること、形あることは、エネルギーの結晶状態とも言えますよね。そういった中で、なんか変なエネルギー循環になっているところに、花という生物のエネルギーを置いたり、お香を焚いて、空気感を変えたり、または美しい音楽を流したり、
新しくテンションの違うエネルギーを投入することで、その場全部が変化していくってことなのです。それはクラスにとってもパワフルな転校生がやってきて、その子が入ったことで、例えばいじめとかの流れがなくなったり、鬱々とした感じが急にキラキラしたものになったり、ひいてはクラス全体が生まれ変わったようになるとか、そういう感じに近いかなと思います。

今日はそんな不思議体験を元に、間取りのこと、話してみました。
外国であまりにひどい間取りと遭遇して五感が発動したお話。
それに比べると日本の間取りは素晴らしいので気づきにくいですが、
それでもその間取りの中に「弱い」部分というのはあります。

そこを見つけ、目をかけ、まずは綺麗に掃除をしてから、
時には塩や香りや音楽や植物というエネルギーの力を借りて緩和していく、そうやってより家を快適にして行ってみるというのはいかがでしょうか。

それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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<ラム子より不器用さんたちへ>
「東の魔女」に聞きたいことがあれば、気軽にコメントしてくださいな。
それをテーマに次の記事を書くなど、一緒にこのマガジンを作っていきたいと思っています♪ la la la♪

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