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la la la 74. 「大祓詞」(おおはらえのことば)の、少し手前【祓い清め給えシリーズ⑤】

こんにちは。先日とうとう伊勢神宮を参拝して参りました。(とうとう、というのもおかしな話ですが 笑)
この「ラララ世界」ではマガジンに「la la la シュライン」がありますので神社仏閣ものはそちらに投稿するようにしているのですが、いろいろ掘り下げてわかったことが、まさに【祓い清め給えシリーズ】の真髄とも言えることなので、こちらでお伝えします。今日お伝えすることは「〜しよう!」というようなアプローチではなくて「こうなんですよ〜」という知識や歴史の出来事です、大祓詞(おおはらえのことば)の、少し手前。

今日新しく知ったことは基本的に「神道」に関することたちです。
けれども別にわたしはこの「ラララ世界」の読者を「神道」という一つの信仰に導こうと思っていないし、わたしも別に神道ではないことをお伝えしておきます。わたしが信仰しているのはわたし自身と世界の繋がりであって、それらをわたしは「ラララ世界」と名付けたわけですから簡単に言うと「ラララ教」の創始者であります。笑。けれどもこの”ラララ”は、おのおのと世界の繋がりをコンセプトにしていますから横には繋がりません。よって信者を増やすこともありません。(信仰というものはプライベートであり個人的であり極めてInterlnal=内なるところに宿る、というのがラララ世界の主軸なのでね!)

神社ではお参りする時に「祓い給え 清め給え 幸き給え」と唱えるようになっていますと【祓い清め給えシリーズ】の最初の方にお伝えしましたが、最近わたしはわたしの唱え詞をそこでは唱えています。このラララ世界を始めるきっかけとなった言葉を呪文風にアレンジしたもので、わたしは基本的には神社でも必要性を感じればラララ詞を唱えています。
そんな具合なので、わたしが「大祓詞」や神道の極意について知ったのが今日であっても、ご容赦いただきたいし、笑、このエピソードを通じて言いたいことも、信仰は個の中に宿るもので、制限や ”こうじゃなきゃだめだ” とか統制されるものではないと言うことです。

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神道の極意、それは「祓いに始まり、祓いに終わる」というものです。
「祓い」を重んじる、という部分においては「東の魔女の暮らし」は神道を踏襲していると言えるかもしれません。

なぜわたしが伊勢神宮からそこへ急に辿り着いたか。
ここから物語はまた「ラララ世界」に戻っていくのですが、わたしは天照大神(アマテラス)は女神ではなく男神で、后(おきさき)、つまり妻がいたという説を掘り下げて考えて行きたい人間です。またダヴィンチコードで語られた、イエスキリストにも奥様がいて、それがマグダラのマリアだったという説も一考の価値ありだなぁと思っています。歴史では習いませんね。
そうなのです、歴史ではイエスキリストに妻はいませんし、天照大神の后の存在も基本的には跡形なく消えています。けれど”軌跡”は残っている。
それが「瀬織津姫(せおりつひめ)」という名前です。今は日本の至る所の神社からその名が消えた瀬織津姫。けれどもわたしはその”軌跡”を探している。今回、日本の神社の至高至貴である伊勢神宮、そこには太陽神として「天照大御神」をお祀りしている。もしわたしの考えている歴史が正しければ、当然伊勢神宮には当然、后である「瀬織津姫」の軌跡、つまり瀬織津姫が祀られている御宮もあるはずなのです。もちろんそれは「表札を変えて」存在しているでしょう。伊勢神宮参拝の折には基本的には外宮→内宮という順番で行くらしいのですが、わたしはそれ以上の情報は入れていきませんでした。答えは現地にある。感じることが何より大事。が、わたしのやり方です。

結論から言うとわたしが外宮・内宮をお参りして一番強く惹かれたのは、
外宮の境内別宮の多賀宮(たがのみや)でした。御祭神は「豊受大神宮」という穀物や食を司る神さまの「荒魂」となっていました。荒魂というのは神の持つ2つの霊魂(顔)のうち荒ぶる側面という意味です。

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多賀宮には石階段を登って行くのですが、この翡翠にも似た美しい石たちが並ぶ階段や、宮さまのところにすっとおらっしゃった神木もとても美しく穏やかで、何か神秘に満ちた気配を感じました。(くわしくはまたシュラインで)それで、わたしはふと「瀬織津姫」を想い、帰りの電車で調べてみました。答えから言うと、瀬織津姫関連の記事ではほぼほぼ「瀬織津姫が祀られているのは、伊勢神宮内宮の別宮の中でも他とは全く違う扱いを受けている”荒祭宮(あらまつりのみや)”」とありました。アマテラスの荒ぶる魂、つまり荒魂(あらたま)を祀っているとされているこの場所に「瀬織津姫」は祀られている。と。
しかし実はわたしはここには参りませんでした。笑。あまり、わたしには重要性を感じなくて。笑。
結果的にはそこを参らなくても近々瀬織津姫にお会いしにゆくこととなり、万事オーライとなり、それが「大祓詞」に繋がるのですが、
わたしはそれでも多賀宮に瀬織津姫を感じたなあ、かたつむりもいたし・・・とか思っていて(瀬織津姫の化身は基本的には黒アゲハなのでかたつむりは関係ないのですがなんか気になっていて)、しつこく調べていたら、一つだけですが「多賀宮」に瀬織津姫はいるという記事を見つけました。そしてそれが、わたしの故郷である琵琶湖に繋がり、また伊勢神宮に一緒に行った幼馴染が「ほんとうはそこにも連れて行ってあげたかった」と言っていた「椿大社」にも繋がっていたので、わたしの中のラララ解釈で、やはり瀬織津姫は多賀宮に紐づくと言う結論をしました。

(一応その記事がこちらです。笑)

そしてその後にわかったことがこんな感じです。

1. 古代日本では瀬織津姫というのはおそらく誰もが知っているような神様であり、日本中の神社あちこちで「瀬織津姫」は祀られていた。
2.けれども大化の改新以降に始まる「天皇を中心とする政治の時代」の流れの中で、天智天皇の娘であり天武天皇の后であった”持統天皇”が、天武天皇亡き後、初の女帝として即位し世を統治していくにあたり、女帝の正当性を裏付けるために、天照大神を男性ではなく「女神」だったとし、古事記や日本書記を改ざんした。その時に天照大神の后であった「瀬織津姫」は歴史から抹殺されることとなり、持統天皇は日本の隅々の神社の「祭神」から瀬織津姫の名前を消した。(当然諸説あり)
3. つまり今の日本には「瀬織津姫」を主祭神として大々的に祀っている神社はとても少ない。
4. しかしなんとその神社の一つが、実家のある滋賀県にある!
5. わざわざ伊勢まで出かけたけど、近所に「瀬織津姫」いた!
6. だったら名前を伏せて祀ってある伊勢神宮の内宮別宮(荒祭宮)より、ちゃんとお名前を掲げてお祀りしてある滋賀の神社にわたしは行きたい!

・・・とまあ、こういう経緯です。笑。

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わたしの大好きな本に「楽園のカンヴァス」という本があるのですが、
「瀬織津姫」の物語に人が惹かれる感じと、この「楽園のカンヴァス」が愛される理由って似ていると思うのですね。(以下ネタバレ含みます)「楽園のカンヴァス」はルソーとピカソを巡る物語で、生涯貧しかった画家のルソーの晩年に、ルソーを高く評価していたピカソが「描きたいものがあるんだったらこれを塗りつぶすくらいのことを」と自らの絵を「カンヴァス」にするようルソーに渡した、だからルソーの「楽園」の絵の奥には、ピカソの「青の時代」の作品が眠っている・・・みたいなところから始まる話なのですが、ルソーの絵の奥にもう1枚ピカソが眠っているなんて、絵が好きな人だったらすごく惹かれる話だと思うのです。瀬織津姫の話はそれと似ています。神様の名前って難しいし、わたしも今ようやく細胞がそれらを理解するよう開かれてきたのですがずっーと”ちんぷんかんぷん”だったので、絵に例えてみました。

神様をお祀りするって、わたしは実はこういうシンプルなことだったんだなって思います。日本中のいろんなところにいろんな神が祀られていて、わたしなんかは「神様って分身の術が使えるの? 実際はどこにいるの?! 頭がこんがらがる!」と思っていたけれど、シンプルに考えると絵の話と同じことなのです。ピカソ神とルソー神がいたとして(マイケルジャクソン神と忌野清志郎神でもよし 笑)きっとそれぞれの人生(神生)にちなんだところーー生まれた場所や、最後を過ごしたところや、その神にゆかりのあるモチーフーーなんかが、その神を慕った人間によってそれぞれの神社に祀られ、その神が司ったものがご利益になる。マイケル神は音楽の神様となり、清志郎神は「愛し合ってるかい?」が転じて結びの神となるかもしれないし、笑、または平和の神とも言えるかもしれません。

滋賀県の石山にある佐久奈度神社に祀られている「瀬織津姫」は、あらゆる罪・穢を祓い去る「祓戸四神」としての瀬織津姫です。つまり神の、どの側面を大きく切り取るかというところでいうと、天照大神の后、もしくは対であったこという側面が抹殺されたあと、瀬織津姫は水の神=龍神としての側面として、神道でもっとも重んじられている祝詞(のりと)の中に出てくる「祓神」として、人の心にも記録にも刻まれて行ったということです。
そしてこの佐久奈度神社は瀬織津姫を「天照の后」として祀ったわけでないから、名を消されずに今もなお残っているということなのだと思います。それにどれだけ大きな力を持っていたとしても人間が神の存在を抹消するって、きっとやっていて自分でも恐ろしかったとわたしは思うのです。まして祓いどころでの存在まで封じたら、自分が恐ろしいものを祓いたいときはどうすれば? 持統天皇は個人的な恨みが瀬織津姫という神に対してにあったわけではないはずです。便宜上隠蔽せざるをえなかった。

また、佐久奈戸神社は持統天皇が即位するより前の669年からその歴史が始まっており、瀬織津姫だけでなく祓戸四神をお祀りしてあるので、
瀬織津姫がれっきとした祓い神であることも事実だと思います。
「れっきとした」の指す意味としては、適当な役割を与えたわけではないということ。例えば仮に、3.11のはるか昔から清志郎神は原発を訓告する歌をたくさん歌っていたという事実を抹消したい国の政治的動きがあったとしても、清志郎神を突然スポーツの神にレッテル替えしたりはしない、やはり音楽や平和という側面を残したまま、政治にとってまずい部分だけを伏せて行くだろうと思うと、瀬織津姫もそうだと考えるのが妥当かなと思っています。

なぜこう書いたかというと物事にはすべて「側面」があって裏と表だけではないからです。オセロが裏がえる時、そこには複雑な事情と側面があって、何かを隠蔽したとしてもそれを「悪」という一色で捉えてしまうのはきっと乱暴なのだと思います。持統天皇ーー本名「鸕野讚良(うののさらら)」さんのことは、また少しづつ深掘りして行きたいと思います。

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ともあれ、わたしは祓い神としての「瀬織津姫」に直ちに会いに行くことにしました。そしてその過程で見つけた「大祓詞」にあまりにも強い言霊の力を感じたので、シュライン案件だけどもこの「東の魔女の暮らし」でぜひ皆様に紹介したいなと思った次第なのです。

明日は具体的に「大祓詞」に焦点を絞って紹介します。
佐久奈度神社で感じたことや神社の写真などは「La La Laシュライン」の方で紹介しますね。「大祓詞」に行くまでのストロークが長くなりましたが、割愛するのは違うなと思ったので、書きました。おつきあいありがとう!

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それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ