ADHDかも!?
**「ADHDは個性?」**
うちの子、もしかしてADHDかも?
そんな風に思うようになったのは、息子が小学3年生になった頃。
幼稚園の時から確かに忘れ物は多かったけど、小学校に入ってからはそれが顕著になった。
忘れ物をしないように何度も注意するけど、全く改善の兆しがない。
これってちょっと普通じゃないかも?と思い、
ADHDについて調べ始めたら…
「もしかして、私もADHDなんじゃない?」と気づいてしまった話。
**ADHDあるある=私あるある**
例えば、子供の弁当を忘れたのなんて、日常茶飯事。
参観日の時間を間違えるのもお約束。
洗濯物を片付けようとしたら、
おもちゃが目に入ってそれを片付け始め、
途中でメールが気になってチェックし始め、
気づいたらお腹が空いて料理を始めて、
また洗濯物が目に入って、料理を中断する。
結局すべてが中途半端。(爆)
会社員時代は、
みんな残業しているのに定時退社したり、
繁忙期に有給をとったりして、
よく上司に「みんながまだ仕事してるのに」とか
「みんな有給取ってないのに」とかネチネチ言われた。
でもさ、
何かにつけて「みんな」を基準にするのっておかしくない?
私はそんな風に「みんなと同じ」にしたがる日本の風習が嫌。
**例え話 - 同調圧力**
こんな例え話がある
船が沈没しそうな時、
各国の乗客に飛び込むよう説得する方法が違うって話。
アメリカ人には
「飛び込めばヒーローになれる」と伝えると、
勇気を奮い立たせて飛び込む。
イギリス人には
「紳士であるなら飛び込むべきだ」と伝えると、
紳士らしさを守るため飛び込む。
ドイツ人には
「これは規則だ」と言えば、
規律に従い飛び込む。
フランス人には
「飛び込むな」と言うと、逆に飛び込む。
そして、日本人には
「みんなが飛び込んでいる」と伝えると、
みんなと同じ行動をとるために飛び込む。
この話を聞いた時は、ウケた。
たしかに的を得てると思った。
日本人は「みんながやっているからやる」
「みんながやっていないからやらない」っていう人が多いよね。
私は自分の人生なんだから、
自分で考えて、自分らしく行動しろよ!って思ちゃう。
**みんな違ってみんなイイ**
そもそも「みんなと同じ」なんてありえない。
すべてが平均点で「THE フツウ」な人間なんて存在しないし、
もしそんな人がいたら、それこそ普通じゃないよね。
顔も身長も体重も違うし、得意・不得意だって違う。
例えば、目が見えない人は触覚や聴覚が敏感に発達するというじゃない。
私の祖父は耳が聞こえなかったけど、
視覚が発達していて、相手の表情を見ればコミュニケーションが取れたし、わずかな振動で、後ろからの気配を感じることができた。
だから、
耳の聞こえない祖父と一緒に暮らしていたし、
よく旅行にも行ったけど、不自由だと思ったことは一度もなかった。
人は短所があるからこそ、長所が引き立つんだと思うんだよね。
ちなみに私は、コツコツ努力を積み重ねるのは苦手。
だけど、瞬発力を活かしてイベントの企画やアイデア出しは得意。
不得意な部分があるからこそ、得意な部分が引き立つものだと思う。
そして、お互いの凸凹を補い合ってこそ、強いチームができる。
もしみんなが同じ正方形のピースだったら、
ちょっとした衝撃で簡単に崩れてしまうチームになってしまう。
それに、この「みんなと同じ」が、
いじめや「マスク警察」みたいな同調圧力に繋がるんじゃないかと思う。
**自分らしく生きることの大切さ**
もし周りと違う行動をとることがADHDの特徴だとするなら、
それの何が悪い?
むしろ「みんなと同じ」なんてつまらない。
「みんなと違う」がイイ!
それぞれが自分らしく生きるって素晴らしい!
フツウじゃない人、"Let's enjoy life together."
余談
うちの主人も普通じゃないと思う。(笑)