この記事で
辻氏の中国への(意地のような)信頼が危ういと感じたのには、
それ以前に読んでいた本の内容が記憶に残っていたからです。
私が若い時に心酔した師が、こう言っていたんです。
この本は、私が2019年9月12日に読んでいたものです。
この時の記憶から、
日本の“純朴な”兄弟観で、海千山千の中国を見るのは危うい…
と感じたんだと思います。
私自身は、
子どもの頃に唯一あった訪中の機会を
全力で拒否した身なので、
実際的なことは何にも言えません。
もしかしたら前世のいつかに、
中原進出を目論んで痛い目を見たのかもしれませんね。懺悔懺悔。
冗談はさておいて、ひとつ留意したいことがあります。
それは、安岡先生もまた、
辻氏の師である石原莞爾氏と同じような方針をお持ちだったことです。
これは数年ぶりに再読しての発見でした。
どうやら中国側にも、この
「中国と日本は相携えて共同合作をする」
「満州に理想の国を造る」
という理想をもつ同志はいらしたようで、
安岡先生は幸にして、こういう方達と縁づいて行かれたようです。
辻政信氏には、支那派遣軍総司令部時代に
蒋介石総統のお母様の法要を執行された
というお話しがあります。
辻氏の言う、「決して騙さない中国人」とは、
こういう方たちを言うんだろうと思います。
…一転して、『潜行三千里』には、
こういうエピソードも収録されていました。
📙 『潜行三千里』
辻氏が親しくなり、ざっくばらんに語り合った方は
長い目、広い目で全体を見渡すような視点を
お持ちではなかったようですが、
「試験勉強さ、食うための理論だよ」という考え方をする人に
「兄弟よ、ともに手を取り合って理想の世界を築こう」と
握手を求めると、だいたいにして
握手ついでにこちらの懐にある
金目のものを全て抜き取られ、
こっちが弱りきったところを
突き放される気がしてなりません。
…偏見は良くないですかね。懺悔懺悔。六根清浄。
時代背景の深掘り
辻政信氏は1902年10月11日生まれ、
1961年4月4日に日本を発ち、その後失踪、
1968年7月20日付で死亡宣告されています。
安岡正篤先生は、1898年2月13日生まれ、
1983年12月13日に亡くなられています。
(個人的に、十年ほど前から著書を読んでいたため
話題に挙げさせていただきました)
今回、同時代を生きたお二人に
「東亜連盟」(極東連盟、東洋連盟)を理想とする
という共通点を見出しました。
辻氏の『亜細亜の共感』では、
石原莞爾氏から、この理想を
こんこんと教えられた経緯が書かれていたと記憶しています。
『自衛中立』とともに再読の必要があるという事で、
今後も考察を続けていこうと思います。
2024年3月22日 拝