戦場に棲む山椒魚
今回お話しするのは、
前田啓介氏著『辻政信の真実』を読んで感じた
辻さんの人物像についてです。
彼の人生を貫いていたテーゼは「戦場常在」。
私が本書を読んで辻さんに抱いている印象は、
家族からの命をかけた期待を背負い、
その責任を果たすために決死の努力をしてきたひと
です。
私はまっすぐなひとが好きなので、
彼が潔癖になるくらい真剣に大真面目に生きてきた時点で
すっかりファンになっています。あしからずです。
背負うものの重圧に応え続けた生い立ち
辻さんは、
炭焼きを生業としている家に、
五人兄弟の次男として生まれたそうです。
強靭な精神力と、頑強な肉体をこの時分に養ったとされています。
小学校には毎日、幼い弟妹をおぶって通い、それを囃されると
「二宮尊徳を見ろ、薪を担いで勉強して偉くなったんだ。
だからわしも幼児をおんぶして勉強するんじゃ」
とやり返したそうです。
この時、辻さんは「当時30倍といわれた倍率を突破して幼年学校に入学」しており、「圧倒的不利な状況から現状を打破するという、終生貫いたスタイルの出発点はこの時の体験にあった」とされています。
家庭の経済状況が芳しくないにも関わらず、
学ぶ道を進ませてもらった経験は、私にもあります。
私の場合は、自分のことは自分でする約束で
学費をアルバイトで稼ぎつつ、
奨学金の補助をもらいながらやっていたので
辻さんほど強迫的な努力とは言えません。
受けたい授業は単位を無視して楽しく受講していたし、
興味がない授業は「及第点」ラインをやり過ごしました。
むしろ、両親の苦労に見合うような
苦しい思いや、わかりやすい努力ができていないことへの
(勝手な)負い目の方が大きかったように思います。
私が、受け入れられない誰かを責めるようになるまでに
長い時間をかけるのは、これまでの人生で
「人のことをとやかく言えるほど私は立派にことを成し遂げてきたか」
を省みて悄然とすることが多かったからです。
逆に、私がよく受け入れられなくなる相手は、常態的に
「自分を棚上げにして他者を批判している(ように見える)人」
なのですが、彼らをサンドバックにする時はだいたい
「てめえ人のこと言えるほどご立派かよ」
というセリフを(頭の中で)吐きます。
(対立は疲れるので面と向かっては言いません)
辻さんには、
「本当に、自負にできるくらい成し遂げてきたんだろうな」
という羨望と敬意を抱きます。
サンショウウオというあだ名
これを読んだとき、なんだか泣きたくなりました。
なまじ実行力のある、不器用でまっすぐな正義漢となれば、
孤独に耐えることは多かったと思います。
彼にはちゃんと自制心と思いやりがあった。
死地や負け戦を突破してきた経験が
偏った価値観になりうる可能性は、自分の経験から想像していました。
でも、彼はちゃんと、他者を尊重することも知っていた。
こういうエピソードを知ると、
もう「ちゃんとしてる人じゃん」としか言えません。
本書を読み進めていると、
辻さんの生い立ちや人となりが、
私を構成している一部の自己像と重なって、
必要以上に入れ込んでしまった気がします。
「悪」と呼ばれる要素
『これでよいのか』という著書が地元の図書館に所蔵されていて、
それを読んでみたことがあります。
岸政権への強めの批判が書かれていて、
「明け透けな人だなあ」というのが
彼への当時の印象でした。
政界に入った辻さんを悪様に罵り続けた一人に、
川口清健という方がいます。
ガダルカナルで戦った川口支隊の支隊長をされていた方で、
どうやら、すれ違いがあった…というか、
辻さんの自信過剰の犠牲になられた一人のようです。
川口さんは、
辻さんが議員をやっているときに、
辞職を求める勧告書を持って面会を求めています。
「お前人のこと言えるんか」という強いメッセージを感じます。
(私のフィルターを通すとこうなります。)
辻さん自身、なまじ「時の人」となり
神格化されるレベルの応援を受けている中で
岸首相を悪役に正義を振りかざす戦法をやっていたので、
その反撃にあったようにも見えます。
戦後彼を批判する声が高いのは
彼が生涯身を置いた戦場で、
常に自らを「正義」として
「敵」を淘汰していたからかもしれません。
→彼の心情を惻隠する