【自己紹介】現在地の再確認
こんにちは。
新年度の始まりということで
今回は、自分の現在地の確認がてら、
自己紹介をしようと思います。
お時間のある方で、
なんとなくご興味のある方は
しばしお付き合いいただけると幸いです。
流記屋と申します。
流れを記す
流記屋というのは屋号です。
「流を記す」ということを、
仕事にしようと決めました。
「流れ」とはなにかというと、
自分のなかから聞こえてくる言葉や、
物理的な、もしくは時間的な
変遷の途上にある自分の現在地など、
流動の中にあって、
取りこぼしたくないと
私が感じているものを指しています。
これらを書き留めることで
そのひとつひとつを
自分の人生にしていきたいと思っています。
Q.何をしようとしているのか
まず、「noteに何を書こうか」以前の、
「今の私が何をしようとしているのか」
についてなのですが、
今現在の私は
俗に言う「社会のレール」から脱線して、
目前に広がる曠野を
寄り道しながら進んでいるような状態にいます。
私は前半生、
「お金を対価として受け取るために
会社の歯車になる」
という生き方を選んでいたのですが、
二年ほど前に
「物凄く厭だ」と感じることがあり、
いろいろと思い悩んだ末に
「限界を感じて断念する」という形で退職しました。
(引き継ぎは意地でしっかりやりました。)
そのとき
「この環境には二度と戻りたくない」
と感じたため、
そのまま違う生き方の模索に進み
現在に至っています。
今は、
断続的に起こる出来事を受けて
行き先を自分で決めて動き、
受け取った結果を咀嚼して
次の行き先を決める…
という循環の中に身を置いています。
身も蓋もない言い方をしてしまえば、
このnoteでしていることは
模索期の日記の公開です。
Q.何故しようとしているか。
私はわりと長い間、
「自己犠牲的な献身」を過度に理想化して
それを実践している状態に執着していました。
そして、それを続けていった結果、
ジリ貧になりました。
「一方的に搾取されている」
「割に合わねえ」という内発的な声と
「そんなこと思っちゃだめ」
「経験自体が財産」という天使だか悪夢だかの声との
葛藤を繰り返していくうち、
このままじゃ狂い死ぬと思うようになりました。
死ぬのも狂うのも嫌だったので、
自己犠牲をやめたかったのですが、
「この社会では他者ためにならないと生きていけない」
というルールが頭の奥深くに刻み込まれていたため
ここでまた、
「どっちにしろ生きていけないじゃん」と、
落とし所に悩むようになりました。
そんな中で出会った「自利利他」の言葉は、
当時の私にとって、ありがたい訓示でした。
自分本来の原動力を活かす方法でできる何かを提供して、
それを必要として求めてくれる人と繋がれれば
相互が望む循環ができる。
私にとっての
「自分本来の原動力を活かす方法」が、
「想いを言葉にすること」だったんです。
なのでこれは、前半生の延長で
「人の役に立たねば」意識を手放せなかった私が、
自分を殺さないために「自利利他」をやりたくて
思いついたことです。
「これをやったら、自利利他の実践になるんじゃないか」
という期待まじりにはじめた実験なんです。
……求められてなくても、
とりあえず出しておけば、欲しい人が受け取るだろう
という店頭陳列式でやろうとしています。
今取り組んでいること
「私」として生きる、の模索
《命の活かし方探究》
在るものすべて取りこぼさないための
《流記屋の旅中記》
今の私にとって、いちばん優勢な欲求は
自分を抑制したくない、というものです。
在るものすべてがネタになるように、
余白を持たせたくて、
人生という「旅」をテーマに選びました。
このnoteでは、
自分がそのときに興味があること
を書いていくつもりでいます。
目下、私の人生の1ページとして、
2024年5月3日の追悼法会に向けて、
辻政信さんの成仏を伴走するつもりで
調査考察を続けています。
※追記※
2024年4月13日をもって一区切りとさせていただきました
以上が、いまの私です。
2024年4月1日 拝
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
面白がってくださる方は、
ぜひ今後ともお付き合いのほどよろしくおねがいいたします。