心照古教〜『大学』を考える〜【七】
道に至るための「八原則」
「大学」を実践することで「至善に止する」…
小我的な、自分の都合による善悪の観念から離れて
絶対的な善に到達すると、
次第に定まってくる、安定してくる。
安定して初めて静かになる。雑音を出さなくなる。
静かになるということは、
純一であること、熟練しているということなので、
人間の精神作用が静かに純一になって初めて安らかでいられる。
心が安らかであれば、よく慮ることができる。
当人が学んだ知識だけではない、身体に備わった知恵が発揮されて、
精神活動が自由に行われる。
それができれば、つまり、「慮りてのち能く得」。
その人を取り巻く情報や、微細な変化を多く把握することができる。
実態を的確に捉えて、最も調和的な選択ができるようになる。
このことを念頭におきながら仕事をしていた間は、
こういう状態になるために、常に注意深くいようとしていました。
実感した効果としては、
日々の仕事の中で
ちゃんと仕事をしている人と、口先だけ・その場しのぎの人
の区別がついたことです。
周囲から寄せられる言葉から
適正な情報を選び出すことは、
仕事を進める上で大切なことだからです。
当時の私の問題点を振り返ると、
・エネルギーを供給する方法を知らず、
一方的に消耗するばかりでエネルギーが枯渇したこと
・日々の観察の中で目につく
「口先だけ・その場しのぎの対応」に
無駄な腹を立てたこと
なんですが、これは「八原則」を心掛けたからではなく
私の気質と好き嫌いによるものなので、
一旦は力尽きましたが、
まだまだ伸び代はたっぷりあると思っています。
→拠り所を持つということ
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