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【流記屋の旅中記】彼は何を悔いているのか

2024.1.14〜2024.1.24 の手記

本稿は、
私が生きた日々の記録です。

【あらすじ】

「身のうちから湧き出る欲求に従うことで宇宙とつながり、
 宇宙のためになる仕事をする」
と宣言した3日後、
不思議なご縁を感じている尼僧さんから連絡があった。

太平洋戦争のころに生き、謎の残る死を遂げた
辻政信ツジマサノブ」さん

その追悼のために、
「彼の後悔は何か」を探る
という仕事が与えられたようだった。

関連書籍を読み漁るうち、
彼の人生や人となり、信念に
自分の過去の経験を見出す。

5月に行われる追悼法会に向けての、
彼の悔いを読み解く模索。


2024年1月14日

起き抜けに厭な夢を見た。
御器齧ごきかぶりが集められたお膳を匙でかき混ぜる夢。

後味の悪さを仕切り直そうと床に戻ったとき、
最近ご縁を感じているお寺の住職さんから
メッセンジャーに着信があった。  

「この間印度インドに行った時についてきたひとがいるの。
ツジマサノブさんという人なんだけど、
ラオスのメコン川あたりで亡くなられた方で…
今度の御霊祭で追悼法会をする予定なんだけど、
このかたの出身が石川県の山中温泉あたりなの。
ゆかりちゃん、地元近かったでしょ?
資料集めしてくれないかしら。
ライターとして彼を読み解く形で、追悼に参加してくれない?」  

私は二つ返事で了承した。
その後ネットで調べると、賛否両論ある人物らしいことはわかった。

追悼なら、世間からの評価より
当人の言い分を聴く方がいいんじゃなかろうか。
地元の図書館に、本人の著作が
いくつかあるらしいことが分かった。
明日は休みだから、明後日行ってみよう。
せっかく日本に帰ってきたんだから、故郷にも帰りたかろう。
生家や育った場所を調べて、
直接写真におさめてお持ちするのもいいか。
いろいろと「これをしよう」が膨らんでいく。
この感覚を懐かしく感じた。

2024年1月15日

特攻隊の遺書(を外国のお姉さんが観ている動画)を見た。
一緒になって泣いた。
ただ純粋に国のために命を賭した人の話を聴くと感情移入してしまう。
戦争に消費されていった人たちをなかったことにはできない。
辻政信さんの経歴がwikipediaにあった。

【ノモンハン事件、太平洋戦争中のマレー作戦、
 ポートモレスビー作戦、ガダルカナル島の戦いなどを
 参謀として指導した。
 軍事作戦指導では「作戦の神様」「軍の神様」と讃えられた。
 その一方で、非人道的残虐事件を巻き起こした
 指揮系統を無視した現場での独善的な指導、
 部下への責任押し付け、自決の強要、
 戦後の戦犯追及からの逃亡などについて批判がある。
 敗戦後は数年間を国内外で潜伏したのち戦記を上梓し、
 ベストセラーとなった。
 反共、反米、自衛独立を唱える政治団体の自衛同盟を結成後に
 政治家に転身し 衆議院議員(4期)、
 参議院議員(1期)を歴任した。
 参議院議員在任中の1961年(昭和36年)4月に
 視察先のラオスのジャール平原で行方不明となり、
 1968年(昭和43年)7月20日に死亡宣告がなされた。】

弔うために、感情的なジャッジはするべきじゃないと思い
ただ故郷の思い出と
生家の近くに銅像が建っていることをピックアップする頭でいたが、
当人にうれしいことだけ伝えるような対応は
誠実では無いんではないかとも思う。

…誰に対しての誠実?
このモヤモヤはわたしの感情だ。
彼は彼の人生を生きただけ。  

まだ本人のことをそこまで知らない。
明日図書館で著書を読みに行こうと思う。

2024年1月17日

辻政信さんについて、
2020年にテレビ石川が取材をしていた。
甥御さんも紹介されていて、
この方に連絡をしてみることもできるんじゃないかと思った。

ただ、なんと声をかけて良いか迷っている。
「霊魂が帰ってきている」と伝えたらなんと思われるだろう。

そういえば連絡くれた住職さんも
「やはり、帰ってきたのかな」と煮え切らなかった。
その辺の感覚は素人だから、なんとも言えない。
18日は準備をして再度地元の図書館へ行き、著書を借りよう。

→時間の配分を間違えて図書館へ行けず、19日に変更する。

2024年1月19日

地元の図書館より辻政信氏著作を借り出す。
Wikipediaを利用して概要を見ながら、
当時についての本人の回想を眺めてみようと思った。

【Wikipediaを参考に抽出した事実】
🔹二・二六事件後の1936年(昭和11年)4月に、
 片倉衷少佐の斡旋によって関東軍参謀部付となった。
 兵站を担当する第三課に配属され、
 満州事変の経過や戦術を詳細に解析している。

🔹満州国協和会の基本理念を固めるために上京した際、
 当時参謀本部で戦争指導課長を務めていた石原莞爾と面会。
 満蒙についての理念を石原から教示された。

🔸石原との出会いは辻にとって衝撃的だったようで、  
 これ以降、生涯にわたる石原崇拝が始まる。
 辻は石原のことを「導師」と呼び人生最大の尊敬を向けることになる。
🔹9月、公文書として
(植田謙吉関東軍司令官と板垣征四郎関東軍参謀長の名で)
「満州帝国協和会の根本精神」という声明をパンフレットにして
 配布する運びとなり、辻が執筆を担当したが
 職務として携わった公文書で石原信奉者ぶりを発揮したため、

・協和会を共産党のように「政府をも指導する機関」(法的に無根拠)
 と規定したり
・関東軍司令官を“哲人”と表現したりして
 このことへの抗議として当時の満州国総務庁長・大達茂雄が辞任し、
 関東軍がパンフレットを回収する騒ぎになった。

『亜細亜の共感』を読んだ初見時、
石原氏への賞賛が目について、
素直に感銘できる人なんだ
という印象を持ったのを思い出した。
一人の人に一生涯の敬意を持てるのは、
健全な精神を持っている証明になると思う。

ただ、周囲をよく慮るタイプじゃないのはわかった。
思ったことは素直に言っちゃうタイプなのかもしれない。
…これもレッテルかな。

2024年1月20日

前田啓介氏の『辻政信の真実』をKindle Unlimitedで読む。

【印象】

・失踪前の日本を立つ際、
 家族に手を振る姿の写真と描写で
 「職場のことも家族のことも大好きだったんじゃん(泣)」
 と感情移入。

・筆まめで感謝の言葉もちゃんと伝える人。

・辻氏を「絶対悪」と表現した作家は先入観の塊だと思った。
 見えない面の多すぎる他者を「絶対悪」と断じる時点で、
 人間のことを深く知る度量持ってると思えないんだよなあと思う。

 客間に通されておいて5分、10分話し聞いたくらいで
 相手を「絶対悪」と評する悪意。
 ハナから悪人にするつもりで行ったんだろうと
 勘繰る私の中が悪が疼く。

 批判派の意見には嫉妬も混じることがあるので要注意。
 慕う人があることの方が貴重。
 権謀術数渦巻く職場の意見と、
 平生の暮らしがわかるご近所と、
 どっちが為人を正確に表しているかを考えたら
 私は後者だと思う。

夜、住職さんから連絡が来る。
「彼が何を悔いているのかを思うように書いて」とのこと。
詳細を聞くと、
バンコクの日本人墓地に導かれるような出来事があり、
現地の信者さんからその名を知って、
帰国後も別の信者さんの口を伝って名前を聞いたので、
辻政信さんが弔って欲しいのだろうと思い至ったらしい。  
悔いが残っているから、住職さんを頼ったのだろう。

テーマは「悔いは何か」

うっかりかわいいおじさんの
一ファンみたいな記事を書くところだった。
明日から気を引き締めてかかる。

頭の中に浮かぶ「信ずるものがあれば良い」という言葉。
辻氏のものの気がしてならない。

2024年1月21日 辻氏の原動力を探る

 これは母から聞いたことですが、
 立身出世の志が念頭から離れなかったようです。
 国会へ出てからも、

〝国会議員は選挙区に橋を架けたり、
 道をつくるのに夢中になるもんじゃない、
 大所高所から国家をどうするか
 というところに使命がある。
 時には海外に出て日本を見つめるべきだ〟

 とよく言っていました。(『参謀辻政信・伝奇』)

 田々宮がこの本で言うように、
「辻政信の一面に触れた思い」がする話だ。
「参謀総長」を目指すというこのエピソードは、
 陸士時代の辻が、
 政良の言葉にあるように「青雲の志」を持ち、
 組織内の立身出世を果たそうとしていたことを
 示すものとして、興味深い。
 能力さえあれば、出自に関係なく、立身出世を遂げることが
 必ずしも不可能ではなかった近代において、
 それを極端なまでに体現したのが辻という人物だった。

 それは同時に家族の期待を一身に背負うということでもあった。
 辻にそう思わせる親の献身はすでに述べた通りだ。
 辻は終生、「北国ノ寒村」の持つ歴史や、そこに住む家族の期待を
 鎧のように身に纏っていた。
 それが辻の心に沈殿し、
 辻の軍人としてさえも過剰と見なされる積極果敢さ、
 厳格な行動に結びついたのではないだろうか

『辻政信の真実 ~失踪60年--伝説の作戦参謀の謎を追う~』前田啓介著
https://a.co/cXlL0hc  

真面目で実直で自分に厳しい。 だから人から慕われる。
真っ直ぐに自分の「正しさ」を信じられるくらい、努力してきた。
だから人とも対立する。
ただ真剣に生きてきた一人の人間がいるだけだ。
辻氏の著書への書評欄に自己陶酔の乗った批判を書く奴も、
彼の謹厳な姿を見たら、きっと何も、皮肉も言えない。

2024年1月23日

辻政信さんの現在の印象  

一家からの命をかけた期待を背負い、
その責任を果たすために決死の努力をしてきた大黒柱
という印象がある。

生真面目で謹厳で実直。 骨太で、飛び抜けた体力の持ち主。
生来ポテンシャルが高くて、
決めたことを実行するだけの力があった。
だから多少の無理が効いた。

大言壮語は、
その理想さえも実践してきた自負によるものだと感じた。

独善性は、反骨心と紙一重だと思った。

陸幼で受けた屈辱への復讐心が原動力なら、
ここまで一貫して
自分の目指したものを実践できていたことに敬意を抱く。

自分の尊厳を守るために努力してきたから、
人の尊厳のことにも気を遣うんだと思う。
おそらく「できない者を待つ」側の忍耐を
多く経験してきた人だと思う。
「待つ」側にい続ける努力をしてきた人でもあると思う。

2024年1月24日

佐藤は本科入校後、辻中隊長に直ちに傾倒した。
特にその訓話
「泥沼に陥ちた友は、自らそこへ飛び込まねば救えない」
ということに強く共感した。

前田氏『辻政信の真実』より

「泥沼に陥ちた友は、自らそこへ飛び込まねば救えない」への惻隠

私がこういうことをノートに書き殴っていた時に
考えていたこととして、

自分のこのどうしようもない苦しみを、
軽々しく救ってやろうなどと思われて堪るものか。
救おうというのなら、ここまで陥ちてこい。
私と同じものを背負ってこの苦しみを知れ。
その上でもがくなら、私もお前を認めてやる。
そうでないなら、烏滸がましくも口出しをしてくるな。

こういう意識から出発して、

「自分が人を助けるときは、
 苦しんでいる者の尊厳を身をもって知っている私なら、
 最低限の心がけとして、相手の苦しみを一緒に背負おう」

という心理で
世界(自己満足で干渉してきて恩に着せにくる奴ら)への
あてつけのために自分に課した約束事が
こういうセリフで湧き起こってきていた。彼もそうではないか。

住職さんからメッセージが来る
「辻氏には理想があった。
 理想に近づいていくうちに、
 無意識のうちについてしまう、自分への嘘があった。」

無意識に自分につく嘘は、
育つ過程でかかった制限によるものが多いと思う。
幼少期から青年期の辻氏の「らしい」逸話を
ピックアップしていこうと思う。
彼の信念にある
「『寄らば斬るぞ』の威厳によって、静謐を維持できる」
というのが気になっている。

陸幼時代からの、
誰も茶化せないような清廉潔白さが思い出された。
そうして自身の尊厳を守ってきていたのかもしれない
と思った。
おそらく彼は、
幼少期から長く垂範者をやっていたんだと思う。

越権行為をしてでも、なぜか見逃される彼の言動は
現場で戦う軍人たちが感激し嬉し涙を流すような激励になっていた。

「垂範者」はきつい。不自然なところがどうしても出てくる。
私もやろうとして、なり損なった経験がある。
自分につく嘘が出てくるとしたら、ここじゃないかと思う。

※本稿は全文公開の有料記事です。
 辻政信氏に関して調査し、自分が日々感じたことを率直に書いています。

つづく

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