拠り所を持つということ
八条目
「大学」をまとめた学団の筆頭であり、師である曾子は、
孔子の教えを忠実に実践した人でした。
ここで思い出したのは、今年(2023年)の7月にお伺いした、
池上実相寺での「論語を楽しむ」講座でのお話です。
温故知新
古い記憶(教え)をぐつぐつ温めていると
新しい知が生まれる。
それを温故知新という。
講師の安田登先生がおっしゃっていた解釈が、
頭の中に響きました。
「故き知」は何を指すのかを自分なりにまとめてみると
①古典(長年読み継がれてきた良書=真理に近い教訓)
②先人・先輩(豊富に経験を積んできた人)からの教え
③自分(経験を蓄え、内側で「知」をぐつぐつ温めるための器)
この三つから生み出されるもの…だと思っています。
慮るとは、周囲の情報を知覚するために全身をつかうことだと思います。
そして、「明徳を明らかにする」ためには、
当事者意識を持つことが必要不可欠だとも思っています。
その場に入れ込む…「生命に入ら」なければ、
「概念の遊戯や気分の満足に終わってしまう」からです。
物事を正しく…つまり、
「もっとも調和のとれる選択」、
英断ができるようになるには
目前の課題を、「ノイズ」を払って見る必要がある。
このノイズは、思考停止であり、「過去の遺物」でもある。
「遺物」の手放し方は、自己対話しかない。
「我」や「私」の雲はいつだって側に控えているものだからです。
これが、日々を新たにする工夫だと思う。