「小鳥」と「お能」が重なってゆく
”ビィビィービィービィービィー”
”ツーピー ツツーピー”
今日、近くの梅が咲いていたので、写真を撮っていると、小さなメジロが一瞬飛んできて、すぐに次の場所へと飛び去っていきました。
メジロは雀よりも小さいのですね。
noteでいろんな人の投稿を読んでいると、いろんな連想が広がってとても楽しいです。
今日、読んだこの記事がきっかけで、何百年ぶりの発見をしたような気分です。(もしかしたら、発見ではなくて通説かもしれませんが)
鳥の鳴き声には二種類あるそうです。
一つは「地鳴き」と言って日常のやりとりをするための鳴き声。
もう一つは「囀(さえずり)」で、こちらはオスからメスへの求愛や縄張りを主張する時の鳴き声だそうです。
この「地鳴き」という言葉を見て、お能の「地謡(じうたい)」のことを思い出しました。シテやワキが心情を語る「謡」に対して、場面や情景を描写して進行を語るのが「地謡」です。
そういえば、鳥って目の動きや表情筋はないのに(無表情なのに)、鳥の気持ちがすごく伝わってくる。(ようにとても感じる)
【樹洞から顔を出すアオガラ】
写真は、N p holmes, CC BY-SA 3.0,ウィキメディア・コモンズより
このアオガラという小鳥の写真を見て、なんとも言えず胸がいっぱいになったのですが、この感じはシテの型や所作からうける印象にそっくり。
お能も、面(おもて)は無表情のはずなのに「なにか」がひしひしと伝わってくる。
もしかしたら、
お能の型は小鳥のしぐさを真似したのかもしれない。
そして、このアオガラの鳴き声の
ビィビィービィービィービィー は地鳴き
ツーピー ツツーピー はさえずり だそうで、
地謡(描写)とシテやワキの謡(心情)の二つがあるのも、小鳥の鳴き声の違いを真似たのかもしれません。
(両方ともに、ほんとうに「かもしれない」ですが)
白洲正子の『名人は危うきに遊ぶ』(平成7年・1995年)という本の中に
このおぢいさん、なにも考へてゐない。たゞ形をしてゐるだけに過ぎないのである。然るに実に美しい。あゝいふのはどうにもならない。たゞ美しいとよりほかに言ひやうがない。
という一節があります。
小鳥とお能の関係に気がついて、改めてこの「形をしているだけ」という事実の意味が、とめどなく強烈に迫ってきます。
次にお能を見るのがとても楽しみです。
きっとシテに小鳥が二重映しになることでしょう。