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武蔵野の月と縄文

学校を卒業して就職のために関西から東京に来た頃、山がなくてとても不安な気持ちがしたのを覚えています。
全方位どこまでも果てしなく続く平野。いったい何を頼りにすればいいのでしょう。

六本木ヒルズ屋上から西の方角

関西の碁盤の目で鍛えた東西南北の方向感覚は、円環と放射を形作っている東京の道では使い物にならなくて、東西南北がわからず、ずっと樹海にいるような気がしているままなのです。
ずっとふわふわした心地。それは今もちょっと続いています。

そして小さな夕焼け空

2021.3.1 17:14 西の方角

向こうに広がっているはずの大きな夕焼けの空は、想像するしかないので、想像すれば良いのですが、東京に来てから、実はあんまり太陽を見たことがないかもしれません。ビルに囲まれたところでは、実物の太陽の光ではなくて、ビルのガラスに反射している太陽の光もあるので、もう万華鏡の世界。
先日、この角度でこの限られた時間にだけ見ることのできた夕陽が、とても貴重に思えました。そして、向こうが西なんだと。

太陽が意識しにくいもう一つの理由として、東京の神社の向きがあります。関西では、ほとんどの神社が南を向いていますが、東京の神社は向きがバラバラなのです。それも東西南北の方向感覚を惑わせる原因となっていました。

でも、それはもっと原初的な理由があることが後にわかって、それから、この関東平野がとても好きになっていきました。

『アースダイバー』中沢新一 講談社

この本に付録でついている6000年前の地図で、行ったことのある神社の場所を確かめると、ほぼみんな縄文時代の岬の突端にあって、海に向かって鎮座しています。

『アースダイバー』折り込み Earth Diving Map

東京って縄文! 地図って、とっても大事!
これは大発見で、縄文海進の頃、海抜が現在よりも25m上にあったと、何かで読んだのですが、街のあちこちに表示されている「海抜●●m」という情報がとてもリアルに感じられます。

「ここは海の中で、あの坂の上が岬」とか、想像するだけでめちゃくちゃ楽しい。
糸魚川-静岡構造線のフォッサマグナを越えた世界は、全く別世界が残っているのです。

特別展「縄文VS弥生」 国立科学博物館 2005.7.16~8.31
*リンク先は、国立科学博物館の当展覧会のHP

この展覧会を見て、ああ、自分の中には縄文も弥生もあるなぁ。と、それが決定的な対立ではなく、長い年月をかけてゆっくりと混淆してきたことに、なにかとてもかけがえのなさを感じました。

そして、noteにこの展覧会の撮影を担当された方の記事がありました!

キュンキュンが止まりません!

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そして「武蔵野の月」。

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武蔵野は月の入るべき山もなし
草より出でて草にこそ入れ
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20年ほど前に、根津美術館で武蔵野の月を題材にした屏風を目にしたとき、なんともいえない驚きとワクワクと切なさが混じったものを感じました。「山がない」とは、こういうことになるのかと。

「草の中にお月様がコロンと転がっているの?!」
「お月様と一緒に寝っ転がれちゃうの?!」

京の人にとっては「なんとしても見たい」景色だったと思います。
(私も見てみたい!)

サントリー美術館「日本美術の裏の裏」展 2020.9.30~11.29
*このInstagramでは、当時京都の人がどれだけ武蔵野に憧れを抱いていたかが綴られています。是非、見てみてください。


東京はもう薄野はなくて、方位磁石も役に立たないけど、それとは別の空間感覚みたいなものを獲得して行ってるのかも知れません。

2021.2.28 19:00 東の空

山もなくてビルより月が出るのが、今の武蔵野です。



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