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印欧祖語の道 ー 母なるドナウ
この本を読んでいたら、移住の原因をめぐる話の中で、"ユリウス・カエサルが書き残している"という記述に出会いました。(p.167)
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ディビット・W・アンソニー
東郷えりか(訳) 筑摩書房
「プッシュ」がどう定義されようと、どんな移住も「プッシュ」だけでは充分に説明が付かない。どんな移住も同じくらい「プル」要因(本当であるにせよ、ないにせよ、目的地の魅力とされるもの)や移住希望者に情報をもたらす通信網や、交通費の影響も受けるからだ。
これらのいずれの要因に変化が生じても、移住が魅力ある選択肢となるための敷居を上下することになる。移住者はこうした力学を検討する。なぜなら、人口過剰にたいする本能的は反応とはまるで異なり、移住は地位や富をめぐって競争するなかで、移住者の立場を改善するための意識的な社会戦略であることが多いからだ。
移住者は可能であれば、故郷の人びとから顧客や同行者を募り、一緒に移住するよう説得する。スイスからガリアへの移住に先立って、ヘルウェティイ族の首長が同行者を募る演説をした旨を、ユリウス・カエサルが書き残している。
ディビット・W・アンソニー /東郷えりか(訳)
そこで、ユリウス・カエサルが書き残しているのは、もしかしたらこの本かもと思って、本棚から『ガリア戦記』取り出してきました。
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カエサル/國原吉之助 (訳)
講談社学術文庫
『ガリア戦記』は何年も前から本棚に入れたままだったのですが、こうして手に取る日が来るのかと、かなり嬉しいです。
ヘルウェティイ族の名はすぐに見つかりました。
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『ガリア戦記』
講談社学術文庫
そして、ヘルウェティイ族の首長の演説はこんな様子でした。
ヘルウェティイ族のうちで、群を抜いて、高貴な血統と資産を誇っていたのは、オルゲトリクスである。彼は、メッサラとピソが執政官であった年、すなわち紀元前六一年、王位を手に入れたいという欲望にとりつかれ、他の名門の者たちとひそかに示し合わせておき、同胞をこう説得した。
「われわれは、全部族をあげて、この領土より出て行こうではないか、武勇の点で、われわれはあらゆる部族にたちまさっているのだから、ガリア全土の統治権を所有することは、造作もないことだ」と。
この提案は、ヘルウェティイ族が四方を完全に自然の障壁で取り囲まれているだけに、なおさら、あっさりと承認された。
(中略)
こうした事情から、彼らの行動範囲もせばめられているし、周辺部族を攻撃するにも思うようにまかせない、というわけであった。この点で好戦部族の彼らは、じつに歯がゆい思いをしていた。「われわれの大きな人口と比べても、戦争と武勇とでこれまで勝ち得た栄光と比べても、この居住地は狭すぎる」と考えていた。土地の面積は、長さが三百六十キロ、幅が二百七十キロであった。
講談社学術文庫
四方を完全に自然の障壁で取り囲まれているとか、武力に自信があるとか、この演説の内容とかから、どこかで同じようなことがあったと思ったら、甲斐の武田信玄・武田軍団の状況となにか似ているような気が・・・。
カエサルの時代と日本の戦国時代と比べると、時代も土地のスケールも全然かけ離れていますが、演説をしたオルゲトリクスの気持ちも、「そうだそうだ!」と賛同した人たちの気分や、その場の盛り上がりも、なんとなく想像がつきます。
日本史はそれなりにバラエティに富んでいて、いわば世界史のミニチュアがいっぱいあるのかもしれません。
講談社学術文庫の『ガリア戦記』は、付録に地図や絵入りの専門語略解もついているのが素晴らしくて、ガリア戦記が描いている時代(紀元前58-50)のヨーロッパ(ガリア)には、こんなにたくさんの部族がひしめき合っていたことが一目瞭然です。
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『ガリア戦記』講談社学術文庫 p.423より
ガリア全体は、三つの部分に分かれていて、その一つにはベルガエ人が住み、もう一つにはアクィタニ人が住み、三つめには、その土地の人の言葉でケルタエ人とよばれ、われわれローマ人の言葉でガリア人とよばれる民族が住んでいる。
講談社学術文庫
そしてガリアの各民族の特徴が書かれていて、特にその位置と武力の関係についての見解が興味深いので、地図上に追記してみました。
大きくゲルマニアとガリアを分けるのが今のライン川(レヌス川)で、さらにガリアの中を3つに分けるのが、北のセーヌ川(セクアナ川)、南のガロンヌ川(ガルンナ川)です。
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『ガリア戦記』講談社学術文庫 p.423より
敵に隣接していて常に臨戦状態にあることが戦力に磨きをかけ、それが「好戦的」という性格を作ってしまうこと、また、贅沢品が人心を柔弱にするという2つの見方をカエサルが書いているのがちょっと驚きでした。
この世界において「敵の存在」と「贅沢」が戦争と深く関わるということを示唆しているようで、興味深いです。
そして、このアルプスの北麓に押し込められていて(いるように感じていて)、隣の芝生の様子に魅力を感じた好戦的なヘルウェティイ族が、意を決して、自らの土地の家も備蓄していた食料もなにもかも全て焼き払い、部族全員で広々とした土地を目指し出した「事件」から、『ガリア戦記』が始まります。
(余談)
移動を意味するmoveは、元の場所に跡を残さない。
ヘルウェティイ族は移住を決めた時にまず「持っていくもの」と「跡形もなく壊してしまうもの」をきっちり切り分けることがから始めています。
そういえば、移住を意味するマイグレーション(migration)は、ITシステム移行に対しても使われる言葉ですが、日本の企業では、このヘルウェティイ族のしているような徹底的な「旧」環境の破壊にはなかなか至らない。
日本では古来から、壊さずに打ち捨てたままにしておく感覚なのです。そしてあっという間に自然が自然に還してしまう。
話を戻しましょう。
まだ人為的な「境界線」がなかったこの時代は、部族の名前が川筋ごとに記されていますので、古代からずっと山や川が「境界」のもととなっていたのでしょう。
今の地図は地面の上の情報が多すぎて、ヨーロッパの川筋をみたことがありませんので、この地図の「川筋」だけを写してみました。
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「青い線」は北海と大西洋側に流れ出る川、「緑の線」は地中海側に流れ出る川です。
この地図の姿も、日本海側と瀬戸内海や太平洋側へ流れる川筋が、日本の風土を形づくってきた歴史と重なります。
おそらく現在のヨーロッパの各主要都市も、こうした太古から流れ続ける川近くにあるのでしょう。
そして、地図の中に、違う色の川が一本。
右側の真ん中あたりの「紫の線」は、黒海へ流れ出るダヌヴィウス川、今のドナウ川です。
つまり、黒海からヨーロッパに通じている川は1つで、ドナウ川をどんどん遡るとゲルマニアの森に辿り着くのです。
ドナウ川はゲルマニアに刺された注射の針のよう。
この『馬・車輪・言語』の主題になっている「印欧語族」には、他の語族には見られない共通する特徴がありますが、こうして2000年前の『ガリア戦記』の様子と重ね合わせると、「印欧語族の構造」になった事情が伝わってくるような気がします。
ゲルマン語もケルト語もローマ語(ラテン語)もみんな印欧語族の仲間です。
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その特徴というのは、屈折言語(inflectional language)と呼ばれるもので、単語の語尾や語幹を変化させることで、その単語の文中における働きを表します。
例えば古代ギリシア語では、名詞の場合は、性別と数と格によって名詞の形が変わります。
つまり、語尾や語幹を「ちょっと」変えてその名を叫ぶだけで、男なのか女なのか、数はどのくらいで、相手とはどういう関係なのかを、即座に伝えることが出来る構造をしているのです。
「格」というのは、その時のケースや関係性のことで、主格、呼格、属格、与格、対格、奪格、具格、地格という名前の種類があります。こうして並ぶと、かなり「対立的」な気分が全面に出ているような印象を受けます。
英語では名詞の格変化はなくなってしまって、of、on、fromなどの前置詞に「関係性を表す役目」を渡していますが、古代ギリシャ語を含む印欧語族では、名詞の単語だけでこの「関係性」まで含めて伝えることが出来るのです。
さらに、動詞の場合は、人称と数(双数(ペア)という概念もある)と、時制には7つ(命令形にも3つ)あって、さらに態には3つ(能動態、中動態、受動態)あって、それごとの組合せの数だけ動詞の形を変化させますので、この言語を話す人にとって、「するのか/されるのか」そして「いつ」というのが、最重要情報だったことが滲み出ています。
こうした構造をもつ印欧語族はいったいどこで生まれたのか。
この『馬・車輪・言語』によると、
「印欧語族」の祖先である「印欧祖語」の原郷は今日のウクライナとロシアの南部に相当する黒海とカスピ海の北のステップにあった。
ということだ、そうです。
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『馬・車輪・言語(上)』p.127より
そして、この原郷のすぐ南に黒海があり、黒海へ西から流れ込んでいるドナウ川を遡っていくと、ゲルマニアへは一直線。
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『馬・車輪・言語(上)』p.151 より
ゲルマン語派への分岐がイタリック語派やケルト語派やギリシヤ語に先行して速いタイミングで伝わったことも、ドナウ川の存在があったからなのでしょう。
(もしかしたら、この本を読み進めるとそうしたことも書いてあるかもしれないので、見つけられるか楽しみです)
また、ドイツ語がラテン系のイタリア語やフランス語とは遠い感じがするのも、地中海を経由しないで(ギリシアやローマを経由しないで)、印欧祖語がダイレクトにゲルマン語に注入された証かもしれません。
そして、
ドナウ川に「母なる」という形容がつくのは、この川の流れに重なる「原郷」のイメージが、太古からずっと変わることなく此処へやってきた人々の奥底に脈々と横たわっているからなのでしょう。
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