印欧祖語の道 ー 母なるドナウ
この本を読んでいたら、移住の原因をめぐる話の中で、"ユリウス・カエサルが書き残している"という記述に出会いました。(p.167)
そこで、ユリウス・カエサルが書き残しているのは、もしかしたらこの本かもと思って、本棚から『ガリア戦記』取り出してきました。
『ガリア戦記』は何年も前から本棚に入れたままだったのですが、こうして手に取る日が来るのかと、かなり嬉しいです。
ヘルウェティイ族の名はすぐに見つかりました。
そして、ヘルウェティイ族の首長の演説はこんな様子でした。
四方を完全に自然の障壁で取り囲まれているとか、武力に自信があるとか、この演説の内容とかから、どこかで同じようなことがあったと思ったら、甲斐の武田信玄・武田軍団の状況となにか似ているような気が・・・。
カエサルの時代と日本の戦国時代と比べると、時代も土地のスケールも全然かけ離れていますが、演説をしたオルゲトリクスの気持ちも、「そうだそうだ!」と賛同した人たちの気分や、その場の盛り上がりも、なんとなく想像がつきます。
日本史はそれなりにバラエティに富んでいて、いわば世界史のミニチュアがいっぱいあるのかもしれません。
講談社学術文庫の『ガリア戦記』は、付録に地図や絵入りの専門語略解もついているのが素晴らしくて、ガリア戦記が描いている時代(紀元前58-50)のヨーロッパ(ガリア)には、こんなにたくさんの部族がひしめき合っていたことが一目瞭然です。
そしてガリアの各民族の特徴が書かれていて、特にその位置と武力の関係についての見解が興味深いので、地図上に追記してみました。
大きくゲルマニアとガリアを分けるのが今のライン川(レヌス川)で、さらにガリアの中を3つに分けるのが、北のセーヌ川(セクアナ川)、南のガロンヌ川(ガルンナ川)です。
敵に隣接していて常に臨戦状態にあることが戦力に磨きをかけ、それが「好戦的」という性格を作ってしまうこと、また、贅沢品が人心を柔弱にするという2つの見方をカエサルが書いているのがちょっと驚きでした。
この世界において「敵の存在」と「贅沢」が戦争と深く関わるということを示唆しているようで、興味深いです。
そして、このアルプスの北麓に押し込められていて(いるように感じていて)、隣の芝生の様子に魅力を感じた好戦的なヘルウェティイ族が、意を決して、自らの土地の家も備蓄していた食料もなにもかも全て焼き払い、部族全員で広々とした土地を目指し出した「事件」から、『ガリア戦記』が始まります。
話を戻しましょう。
まだ人為的な「境界線」がなかったこの時代は、部族の名前が川筋ごとに記されていますので、古代からずっと山や川が「境界」のもととなっていたのでしょう。
今の地図は地面の上の情報が多すぎて、ヨーロッパの川筋をみたことがありませんので、この地図の「川筋」だけを写してみました。
「青い線」は北海と大西洋側に流れ出る川、「緑の線」は地中海側に流れ出る川です。
この地図の姿も、日本海側と瀬戸内海や太平洋側へ流れる川筋が、日本の風土を形づくってきた歴史と重なります。
おそらく現在のヨーロッパの各主要都市も、こうした太古から流れ続ける川近くにあるのでしょう。
そして、地図の中に、違う色の川が一本。
右側の真ん中あたりの「紫の線」は、黒海へ流れ出るダヌヴィウス川、今のドナウ川です。
つまり、黒海からヨーロッパに通じている川は1つで、ドナウ川をどんどん遡るとゲルマニアの森に辿り着くのです。
この『馬・車輪・言語』の主題になっている「印欧語族」には、他の語族には見られない共通する特徴がありますが、こうして2000年前の『ガリア戦記』の様子と重ね合わせると、「印欧語族の構造」になった事情が伝わってくるような気がします。
ゲルマン語もケルト語もローマ語(ラテン語)もみんな印欧語族の仲間です。
その特徴というのは、屈折言語(inflectional language)と呼ばれるもので、単語の語尾や語幹を変化させることで、その単語の文中における働きを表します。
例えば古代ギリシア語では、名詞の場合は、性別と数と格によって名詞の形が変わります。
つまり、語尾や語幹を「ちょっと」変えてその名を叫ぶだけで、男なのか女なのか、数はどのくらいで、相手とはどういう関係なのかを、即座に伝えることが出来る構造をしているのです。
「格」というのは、その時のケースや関係性のことで、主格、呼格、属格、与格、対格、奪格、具格、地格という名前の種類があります。こうして並ぶと、かなり「対立的」な気分が全面に出ているような印象を受けます。
英語では名詞の格変化はなくなってしまって、of、on、fromなどの前置詞に「関係性を表す役目」を渡していますが、古代ギリシャ語を含む印欧語族では、名詞の単語だけでこの「関係性」まで含めて伝えることが出来るのです。
さらに、動詞の場合は、人称と数(双数(ペア)という概念もある)と、時制には7つ(命令形にも3つ)あって、さらに態には3つ(能動態、中動態、受動態)あって、それごとの組合せの数だけ動詞の形を変化させますので、この言語を話す人にとって、「するのか/されるのか」そして「いつ」というのが、最重要情報だったことが滲み出ています。
こうした構造をもつ印欧語族はいったいどこで生まれたのか。
この『馬・車輪・言語』によると、
ということだ、そうです。
そして、この原郷のすぐ南に黒海があり、黒海へ西から流れ込んでいるドナウ川を遡っていくと、ゲルマニアへは一直線。
ゲルマン語派への分岐がイタリック語派やケルト語派やギリシヤ語に先行して速いタイミングで伝わったことも、ドナウ川の存在があったからなのでしょう。
(もしかしたら、この本を読み進めるとそうしたことも書いてあるかもしれないので、見つけられるか楽しみです)
また、ドイツ語がラテン系のイタリア語やフランス語とは遠い感じがするのも、地中海を経由しないで(ギリシアやローマを経由しないで)、印欧祖語がダイレクトにゲルマン語に注入された証かもしれません。
そして、
ドナウ川に「母なる」という形容がつくのは、この川の流れに重なる「原郷」のイメージが、太古からずっと変わることなく此処へやってきた人々の奥底に脈々と横たわっているからなのでしょう。
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