『陰陽師』 安倍晴明の故郷
先日、古本の頒布会があって、何冊かの本を譲り受けました。
古本というけれども、私にとっては新しい世界との出会いになる本たちばかり。今日は、午前中に大掃除をしたあとからずっと、1100年前の平安の京に旅するように1巻から3巻まで。
今から22年前、京都に10ヶ月だけ住んでいたことがありました。
その頃ちょうどITの世界では2000年問題にかかりっきりで、無事に2000年1月1日の日付をコンピュータのプログラムは処理できるのか。という問題に対応していたんですね。そんなドキドキする瞬間となった1999年から2000年への年越しを京都で迎えたのですが、今日のような師走の押し迫った寒い日には、京都のどこまでも底なし沼のように冷えてゆく年の瀬の夜を思い出します。
ご存知のように京都は碁盤の目のような道が、平安時代からの通りの名前のまま残っていますので、『陰陽師』に出てくる通りの名前にも親近感があって、とてもリアルです。
西京極や梅小路とかでてきました。
なので、古語辞典に載っている「平安京図」がそのまま、今も地図として(だいたい)つかえてしまいます。(五条通など、秀吉が通りを変えてしまったところもありますが)
旺文社『古語辞典』より
因みに住んでいたのは西洞院の東にある「紅梅殿」のそばでした。
紅梅殿というのは、
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
と詠んだ菅原道真の屋敷のことで、今は「菅大臣神社」となっていて、春の初めになると紅の「飛梅」が花を咲かせます。
平安の頃、鬼が出没するのはだいたい、朱雀大路よりも西ばかりだったようで、この図をみても、西半分には、ほとんど建物がありません。(朱雀大路は現在の千本通の位置)
そして、大内裏から堀川をわたる一条戻橋を東に渡ったところに、「安倍晴明館」という印がありますが、ここは帝の住まいである内裏の艮(うしとら:東北)にあたりますので、安倍晴明は鬼門を守るところに居を構えていた(構えさせられていた?)ことになります。
夢枕獏の『陰陽師』の主人公、安倍晴明。
そして彼の生誕の地と伝えられるのが、天王寺の南、大阪の阿倍野区にある安倍清明神社。
『陰陽師』の1巻の冒頭には、清明のことを「狐の子」と噂されていることが書かれていますが、母親である「葛の葉」の物語が説経節の『信太妻』(しのだづま)です。
信太というのは、和泉市の北東部にある標高50~80mの信太山の森のことで、この森の西側を熊野古道(小栗街道)がとおっています。
さきほどの安倍清明神社も「九十九王子」の一つである安倍王子神社のそばにありますので、熊野古道にゆかりのある物語なのですね。
安倍王子の安倍晴明神社から信太山の篠田(しのだ)王子まで、おおよそ16kmぐらい。正体がわかってしまった葛の葉が、子供の童子丸を残して信太の森に帰って行った道のり。
恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉
信太の森の近くには、弥生時代中期の環濠集落遺跡である「池上曽根遺跡」があります。現在の大阪市や河内のほとんどがまだ水に浸っていた時代、人が住むのに適した場所だったのでしょう。
またもや国土地理院の地図をみていると「そうか。」と思いました。