「副籍」制度と公教育の本当の理想
学校ってなんだっけ
フィリピンで2年間学校に通っていなかった重症心身障害児の次女ハルは、小学2年生も終盤になって、日本の小学校に1日体験入学したわけだが、実はその少し前から、来年度以降の日本での就学について、教育委員会と相談を始めていた。
運動機能の発達も知的発達も生まれつき限られていたハルについて、学びについてもあまり期待していなかった。もちろんリハビリや療育を通じてトライしてみたことはあれど、一番はハルが心地よく暮らせればそれでいいと思っていた。だから学校は、別に行っても行かなくてもいいかな、ぐらいに考えていたのだ。
それでも、「学校に行くようになって生活リズムが整った」とか「甘えがなくなって夜泣きがなくなった」とかいう話を聞くたび、ハルにとっての教育について考え、学校に行けていない今の現状と照らし合わせて、チクリと胸が痛んだ。
もちろん、やり方さえ教えてもらえれば、自分たちでやってもよいかもしれない。でも、学校ってそもそも、勉強するだけの場所じゃないはず。どうしても家庭だけではできないことに、同世代の子どもたちとの交流や刺激、そしてそこから広がるかもしれない社会性、がある。そう考えるとますますハルも学校にいあかせてあげたいと思う気持ちが生まれた。
でも、フィリピンではなかなか難しかった。
それならやっぱり日本に呼び戻すのがよい?
ハル含めて4人の子育て、ワンオペでいける?
どうやって?
ハルにとって、家族にとって、なにが一番いい?
教育を受ける権利というけれど、教育ってなんや。教育を受けさせる義務というけれど、学校にいけばそれは義務を果たすことになるんやろか。
学校って、そもそもなんだっけーーーーー!?
そんな気持ちを携えたまま、学校の就学制度や福祉について調べ始めると、一人では抱えきれない大きな課題や問題点が浮かび上がってきた。もう一人じゃ訳が分からなくて、だからどうか、みんな一緒に考えてくれよな!という願いを込めて、書いていく。
そして課題はあれど、それぞれの現場で奮闘してくださっているすべての方々に、まずは心からの感謝と、敬意を表したい。日本の公教育や義務教育制度は、本当に素晴らしいとも思う。
現場のみなさん、そしてここまで教育を構築してきてくださった先人の皆様、本当にすごい。心から、ありがとうございます。
「副籍」制度という”技”
ハルを学校に通わせてあげたいけれど、ハル本人も、ハルのきょうだいたちも、そして私自身も、あんまり無理しない形がいい。そのためには、何をどうしていったらいいのだろう…。
そんな漠然とした不安についてまず相談したのは、広域佐久地域の障害者支援センターに2021年4月から配置された「医療的ケア児コーディネーター」(※)のMさんだ。
ハルの就学について、Mさんがつないで下さったのが、教育委員会の就学支援専門員、U先生である。U先生は、長い教員生活の中で多くの障害児教育にも携わった経験をお持ちの熱意ある先生だ。就学年齢であるにもかかわらず、学校教育を受けていないハルの現状に対してまず怒ってくださったことがとても印象的だった。いや、誰も悪くないんだけどね、でもなんか、本気の人がここにいる、と思えるのは心強かったんです。
ハルが就学することの目的を、できることを増やす可能性を模索することと、社会との接点だという私達夫婦の考えを理解してくれ、U先生は副学籍制度について丁寧に説明してくれた。
副学籍制度とは、特別支援学校に通う児童生徒が、地域の小中学校にも籍を置くという仕組みを言う。長野県では「副学籍」と呼ばれるが、副籍・副学籍・交流籍・支援籍など、さまざまな名称で全国各地で実践されている。県内では、2005年に駒ヶ根市が全国に先駆けて導入したのが制度としては最初だが、それ以前も制度化していなかっただけでそのような取り組みは各地であったとU先生は言う。
令和4年度現在、佐久市でもすんなり副学籍を案内していただいたことを考えても、その広がりを実感できる。ただし、上田市の友人が副学籍を希望したところ、制度としての案内はなく、理解して認めてもらうまでに長期に及ぶ話し合いが必要だったということも耳にした。副学籍の認知度や実施状況は、地域ごと、担当する教員ごとにかなり差があるようだ。
とにかくこの副学籍制度を使えば、特別支援学校での手厚い体制や蓄積されてきた特別教育というソフトを享受しながら、地域の学校というハードを一部お借りして、同世代の子たちに交じることができそうだ。とはいえ、この後の記事で詳しく書くが、付き添い問題などの様々な課題も残る。
本当の理想を語る
でもね。でも、敢えて本当のことをいっちゃうと、本当の理想は、地域の学校に様々な特性を持った子が普通に通うことができて、勉強する内容や時間に応じて個別対応をしたり、特別支援学校で実現しているような手厚い体制が状況に応じて取れるのが、個人的にはやっぱりいいな、と思う。
だって、学校生活はそのまま社会につながっているから。いろいろな人がいて、いろいろな特性のある人達がお互いを支え合いながら得意を生かした仕事をしたり、関わり合ったりする方法を知るには、まずは学校での試行錯誤や経験ということが圧倒的に必要だと思うから。
ちなみに大阪府豊中市では、1970年代から地域の学校に障害のある子も普通に通学しているという。もちろん保護者の付き添いは必要ない。
TBSの報道特集で取り上げられている映像を見たけど、身体障害や知的障害だけでなく、人工呼吸器が必要な子も看護師が配置されて通常学級で時間をともにしている様子に驚いた。
(動画↓豊中市については14分30秒ごろ〜)
教員配置や指導方法をどのように設計しているのか。そのやり方がわかれば、他の地域でも実現できる可能性があるんじゃないかと単純に思ってしまう。経験やノウハウを集合知にするだけの余力が国や自治体にないなら、私やります。取材して、書き起こして、提案書つくればできますか?
時々会うお客さんとして、あるいは”特別にケアしてあげなきゃいけない”対象としてではなく、日常的に”そこにいるクラスメイト”っていうことが、ものすごく大事なのだ。そして、過ごす空間が異なると、どうしてもそれが難しくなる。
たとえばハルのきょうだいたちにとって、日々感じているハルの魅力と大変さを、友達が理解してくれなかったら、「うちのはるるんは可愛いんだ」と、どうやって表現するんだろう。「うちのはるるんは大変なんだ」と、誰に分かってもらえるんだろう。
そして、ハル自身はどうだろう。特別支援学校では、新型コロナの影響で、重度心身障害児のクラスと小学部のクラスとの交流でさえ、この3年オンラインのみになっているという。いわんや、地域の学校との交流をや。目が見えないハルにとって、オンラインの交流というのは、あんこの入っていない大福をたべるような、味気ないものに違いない。
頼むからあんこ、入れてくれ!
もちろん特別支援学校に通う子の中には、ただの風邪でも重症化してしまうような子もいるのも事実。そういった子たちへの配慮や権利を守ることも忘れてはならない。そして、同じような困難を抱える友人とつながることも、心理的・社会的な安心感につながるのはわかる。(特に、親である私がね!)
ただ、それと同時に、地域の多様な子どもたちの中で過ごすこと、そしてその中で受ける刺激も、同じようにとんでもなく重要だ。ハルのことしかわからないからハルを想定して言っているけど、体験入学をしたあの日のハルを見るにつけ、どうしたってそう思えてならない。
実は過去にもハルは、弟の出産にあたって、1年間地域の保育園に通ったことがあった。加配の先生がついてくださり、他の子達と混じっておはようの挨拶をし、ご飯を食べ、みんなと同じダンスをして、散歩に行き、運動会にはバギーで走り、みんなと一緒に畑の土を触る。
そんな1年間の生活の中で、「リハビリ」としてやっていた時はできなかったことが、メキメキできるようになった。友達と関わるということが目的になった瞬間、彼女の中で大きな変化が生まれたのだと思う。一生忘れられない、宝物のような金ピカな1年だった。
地域の一員として社会に関わる上で、同じ場所で空気を共にすることの意義は計り知れない。障害のある子もない子も、多様な子たちの中で、関係性を築き、お互いに影響を与え合ってほしい。少なくとも、それが選択できる仕組みができたらいいなと思う。
だって、それが社会じゃないのかな。
もちろん制度的・経済的・リソース的な課題が山積みなことはよくわかる。調べれば調べるほどよくわかるのだ。同時に特別支援学校が現状果たしている様々な機能や、歴史的な存在意義についても、調べれば調べるほど理解できる。何より先生方は熱意ある方々ばかり。今の段階で、特別支援学校はハルにとってこれ以上ない環境なのだろう。
でも、理想をどこにおくかってすごく大事だと思うの。だからあえて、まずは理想を声高らかに叫びたい。そして、その理想をすり合わせたい。
これ、一体誰とすり合わせれば、いいんだろう…?
次の記事(2023年2月4日公開予定)では、教育の理想に対する現状と伸びしろ、そして素人ながらの提案を書く。