世田谷区太子堂円泉寺 と 橿原市久米寺
私、不思議だったんです。
世田谷区太子堂
という地名。
世田谷区太子堂の最寄りの駅は三軒茶屋駅。渋谷から二駅のところです。仕事でこのあたりに縁があるのですが、堂々と
とあるから、あの太子で間違いないですよね?
しかしこの界隈育ちの同世代友人、どうも歴史への興味が皆無で、「聖徳太子が来たことあるんやろ」くらいな感じなのですね。でもね、それは、ないと思うわ。
仕方がないから世田谷区HPなどでみてみると、南北朝時代に大和久米寺の賢恵(けんけい)さんという僧が聖徳太子像を担いで(←?!)布教活動していた時に、夢で聖徳太子が現れたことでこの地に堂宇を建てることにしたとか。現在、当該聖徳太子像は円泉寺というところに祀られているようです。
近くに「太子堂」と名の付く小学校、中学校もあります。それはそうかと思うのですが、近くに「多聞」とつく小学校もあります。ををー!多聞ね!
聖徳太子といえば毘沙門天。毘沙門天=多聞天。この近くの三宿神社は毘沙門天祀りです。そうか、ここは相当な太子信仰の土地か!
丁未の乱(ていびのらん)のときに聖徳太子が感得したのが毘沙門天。その加護で聖徳太子属する蘇我軍が勝利しています。
聖徳太子といえば「和以貴」かもしれませんけど、実際は587年丁未の乱でしっかり蘇我軍で戦って物部守屋を討伐しています。そう、蘇我軍やに。
円泉寺、弘法様もいらっしゃいますし、期待通りに真言宗豊山派。
まさしく蘇我系、聖徳太子、聖武天皇の系列ですね。
景教が真言宗にどれほどの影響をあたえているか、というのが私の中で相当な興味対象なのですが、そもそも総本山たる高野山へはまだ機会がありません。
この近くには八幡神社もあります。八幡神社といえば応神天皇なのですが、太子堂八幡神社のもともとの祭神は違っていた可能性が高いようです。どちら様だったのでしょうか。ご存じの方がいたら教えてください。
🦌
一方、久米寺は奈良県橿原市です。
橿原市といえば橿原神宮、大和三山、入鹿神社。
ここを統べるご当地キャラはさららちゃん。
この土地の歴史の立ち位置を雄弁に語っています。
久米寺はkumokichiさんのところの記事できれいに写真が観られます。
鎌倉と奈良は明確につながりを感じますが、世田谷と橿原市のつながりが私には新鮮でした。近隣にお住いのかたには当たり前のお話なのでしょうか?
古墳やら寺やら昔話やら妖怪やらと今も共存する近鉄沿線の人に比べて、江戸の人は郷土史はじめ歴史にあまり興味がないのかな?と思うことが多いのですが、私の周りの江戸の人がそうなだけなのでしょうか。
もしよろしかったら、飛鳥も寄り道してみてください。