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僕がラグビー登山家になるまで

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2017年3月9日にラグビー登山家が生まれるまでに焦点を当て、過去を丁寧に振り返ったエッセ集です。
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僕がラグビー登山家になるまで 28歳 | ジンバブエで何を学んだかという話。

大きいことができる男になりたいとの思いで、青年海外協力隊に応募し、修羅の国と呼ばれていたジンバブエに赴任した。現場で求められることは基本的にやってはいたが、その思いが達成されたかどうか自分自身わからない。しかし、僕はジンバブエのことを第二の故郷とも思えるぐらいに好きになっていて、ジンバブエに対してささやかならが貢献したこの2年間をおそらくこれからの人生の中でずっと誇りにするものだと思う。 昨今のご時世、テクノロジーの発達によって、昔では考えられないようなことが実現可能である

僕がラグビー登山家になるまで 27歳 | ジンバブエへ赴任した時の話。

2012年1月。僕がジンバブエに赴任した時というのは、自国通貨が廃止され、米ドルに移管されて2年後のことである。 そのため、ハイパーインフレであった経済混乱が一息つき、苦しくもあるが復興への希望に満ち溢れていたタイミングと重なる。 国内でのジンバブエのイメージはどちらかというと、悪いイメージしか持てないかもしれないが、予想に反して、ジンバブエは素敵な国であった。気候が良く、人も気さくで、行った人は誰もが良い国と言う。旧ローデシア時代、イギリス人が丹精込めてこの国を創り上げ

僕がラグビー登山家になるまで 26歳 | 青年海外協力隊へ応募した時の話。

世界を旅をしていると、先進国と途上国の不条理に否が応でも見る機会があり、こんな僕でもささやかながら何かしらの貢献を一生に一度はしてみたいとの思いがフツフツと芽生えはじめていた。そのようなタイミングでボリビアを放浪していた時にたまたま青年海外協力隊の方とお会いした。アレコレ聞くうちに青年海外協力隊という今までチラッとだけ聞いた言葉であったものが具体的にイメージが湧き、いつしか憧れに変わっていた。内定を頂いた会社は昔からJICAに人を送る制度があり、僕はそれを知っていたのでいつか