ジンバブエ25

僕がラグビー登山家になるまで 26歳 | 青年海外協力隊へ応募した時の話。

世界を旅をしていると、先進国と途上国の不条理に否が応でも見る機会があり、こんな僕でもささやかながら何かしらの貢献を一生に一度はしてみたいとの思いがフツフツと芽生えはじめていた。そのようなタイミングでボリビアを放浪していた時にたまたま青年海外協力隊の方とお会いした。アレコレ聞くうちに青年海外協力隊という今までチラッとだけ聞いた言葉であったものが具体的にイメージが湧き、いつしか憧れに変わっていた。内定を頂いた会社は昔からJICAに人を送る制度があり、僕はそれを知っていたのでいつかは行こうと思っていた。

入社3年目。新人社員の時から参画していたプロジェクトが一旦終わり、僕が応募するにはちょうど良いタイミングであった。

その頃というのは仕事に対しての向き合い方に僕自身、色々と悩んでいた頃であった。入社当初はITスキルや英語、いろいろな自己啓発に身を投じてはいたが、次第にこの業界にい続けることが自分が求めていることなのだろうかとそもそもの所で迷っていた。

「今応募しないと、おそらくズルズルやらないままで終わってしまう」との思いで、上司に応募するとの旨を伝えた。

「戻ってきた時に出世に影響はあるかもしれないから」とヤンワリ嫌味を言われたが、一応、僕の応募を認めてくれた。

比較的大きな企業に勤めていたこともあり、僕一人いなくてもなんとでもなるのに関わらず、職場のメンバーはどちらかというと反対であった。僕の餞けの席で、お酒も入り、みんなから本音がこぼれた。

「一人でできることには限界があり、お前が行っても意味がない」

「何も変えれない」

「ジンバブエに行くことは死にに行くようなものだ」

僕は今でもそうだが、青臭いところがあって「行かないとわからないじゃないですか!?」と突っぱねていた。

先に言ってしまったが、僕の赴任先はジンバブエであった。当時の日本国内におけるジンバブエの情報は「独裁国家」「ハイパーインフレ」「100兆ジンバブエドル札」「失業率90%以上」とのことで話題になっていた。しかし、僕は数ある赴任国の候補の中から、あえてジンバブエを赴任先として希望していた。それは赴任先での活動内容が僕のスキルとマッチしていたこともあるが、世界の全てを見ることを自分の人生に課しており、一番過酷な環境に行かなければ、その志を成し遂げられないとの思いに至ったからだ。

その思いに駆り立てられたのは、以前記事で書いた中国マフィアに監禁されたことに起因する。「とにかく僕は世界にあるリアルに触れなければ」との思いの延長線上にある。

ジンバブエは当時の日本において、過酷極める修羅の国であるとネット上には書かれており、アニメ『北斗の拳』のケンシロウのように僕が救世主となってジンバブエを救うイメージを膨らませていた。赴任後、JICAのスタッフから聞いた話によると、ハイパーインフレを受け、JICA事務所を一度撤退した後にジンバブエを希望したのは、唯一僕だけだったらしい。

僕はこれからの2年間において、ジンバブエで数多くの挑戦を行い、自分自身を鍛え上げ、日本に帰ってきた時にはもっと大きいことができる人間になっていたかった。


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