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若者のすべてを聴いて

僕の大好きな曲の一つであるフジファブリックの「若者のすべて」についてちょっと書いてみようかなと思います。
あまり特定のバンドやグループに入れ込まない僕が、あえて色々な解釈や事実を見ずに自分なりの言葉で表現してみる、いわば自己満足のnoteですが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。



夏の終わりを歌ったこの曲。イントロを聴くだけで自分の中の郷愁のようなものが沸いてきます。

僕はたまたま夏は田舎にいることが多かったですが、都会に生まれて都会で育ち、夏を過ごした若者たちでもこの曲は響くものがあると思います。



真夏のピークが去ったようで去っていない日に天気の良い縁側でスイカなんかを食べ、蝉の鳴き声に包まれながら、外をぼんやり眺めている夏バテ気味の自分。

効果があるのか甚だ疑わしい蚊取り線香を焚きながら、地元の友達と夏の香りがする夜の公園で持ち寄った手持ち花火をし、火をつけたくない最後の一本に手を伸ばす瞬間。

夕暮れ時に疲れきった仲間たちと鉄の匂いがほんのり手につくお皿型滑り台の上で、そのときしか出来ない恋バナ、学校の愚痴、その他楽しい話をする刹那的な時間。



歌詞の中でこのように明確な言葉で表現はされていないですが、僕たちはこの音楽を聴くと、上で書いたようなそれぞれの心の中にあるノスタルジックな思い出や断片的な記憶を繋ぎ合わせ、ときには経験したことのない風景を思い浮かべることでしょう。


幸せなようで、終わってしまうのが悲しいような

戻りたくても戻れないのが歯痒いような

綺麗な思い出にしておくのがちょうど良いような


そんな表現し難い気持ちが巡ってくるのがとても不思議です。



特にこの歌は夏の「終わり」に焦点を合わせているようです。

ここが僕の1番の共感ポイントなんですが、騒がしく過ぎていった夏を愛しく思う気持ちと惜しむ気持ちが歌われているんです。

「惜しむ」とか「夏が終わる」とか安っぽい直接的な言葉を使わずに情景で表現するあたりがグッときます。

別に何か大きく環境が変わる訳でもないのに、夢みたいに楽しかった、嘘みたいに綺麗だった、自分を一歩成長させてくれた各々の「夏」に別れを告げるような、哀愁を帯びた感情を呼び起こしてくれる音楽です。


ここまで書いておいてなんですが、曲を聴くと僕の書いてることだったり、他の解釈してる人の言っていることがよく分かると思うので、聴いたことのない方はとにかく聴いてみてください。



そのときにはYouTubeで、コメント欄を見ながら聴いてもらうととっても心に染みると思います。



以上、出すかどうか迷ってメモに残しておいた「若者のすべて」の話でした。もっとましな文章が書けるように精進します。

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