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連載短編小説 Bar Nicoal (1) ネグローニ
名古屋の栄の高速道路の高架の下に広がる、風俗店と多国籍料理屋がひしめくあたりにそのバーはあった。
他の都市の繁華街だと中華系、アジア系が幅をきかせているが、ここ名古屋はバブルの頃から中南米の日系人が労働力として流れ込んできたせいか、ペルーやブラジルの店もある。
オーナー・バーテンの名は、風間壮太。酒好きで、テキーラのクラフト版であるメスカル酒の虜になり、それが高じて脱サラ、3年前に店を開いた。
金属商社に30年働いていた。6年前にはシンガポール駐在を5年やって、帰国後は出世競争に勝ち抜いて部長昇格。非鉄金属のマイナーではあるがいくつかの金属のトレードで業界でも一目置かれていた。
俳優歌手の福山雅治を浅黒くしてちょっと陰気にしたようなルックスで、女にはモテた。でも、小綺麗にして自分のスタイルや空間を日々貫いて生きていくのが一番性に合っていて、同棲はしたことがあったが50過ぎても一度も結婚はしたことがなかった。ゲイかと思われたこともあったが、いつもつきあう彼女はいた。
店の名前は、ニコアル。商社で扱っていた、ニッケル、コバルト、アルミの元素記号、Ni Co Alからとった。Bar Nicoal 。
そんなバーでのある日の会話。
「あ、シンさん、お久しぶり。また出張ですか」
「そうなんだよね、今回は、東京で1週間、名古屋は1泊だけ」
「何にしますか?今日はソトルっていう、テキーラやメスカルとはちょっと違った風味の、アガペが原料じゃないがありますけど」
「うまい?」
「まあ好みわかれるとおもいますけど、けっこういけますよ」
「じゃあ、それ。ストレートでチェイサーで」
「はい」
「その後、シンガポール、どうですか?バンドはもう活動中止しちゃったんですよね」
「そうそう。あのソータとやったブルースバンドは解散状態。まあ、スピンオフとかいって何人か別の名前でやってたりするけどね」
「懐かしいなあ。あの屋上で弾くギター、気持ちよかったなあ」
「あのペントハウスね、あの後で買った中国人が屋上に部屋つくっちゃってシングル用のレンタルにしちゃってる。もったいないよね、ペントハウスだからよかったのにね。。。この店の方はどう?もう3年くらいたったか」
「ぼちぼちです。まだ生き延びてます。まあ、辛いところもありますね」
「へえ、そうなんだ。今日はいないけど、いつもくるとカウンターはいっぱいになるくらい客はいってるよね。」
「波がありますね。うちは、禁酒法時代のスピークイージーみたいな隠れ家的存在を目指してそれが好きな客もいらっしゃるんですが、ある程度認知もしてもらわないといけないし、ジレンマです」
「たしかにジレンマ。まじ、まジレンマ。まんまでジレンマ、じれじれするなあ」
「あいかわらずおやじ駄洒落が健在ですね」
「まあ、それくらいしか人生楽しみ無いしね。あ、このソトル、美味いね」
「でしょ。北部のチワワ州の酒で、ダシリリオンっていうアガペに似てるんですが植物学的にアガペとは別種の原料から作られた酒なんですよ」
「ダシシリリオン?出汁がとれそうなシリリオンだな」
「あ、駄洒落、くどい」
「そぅとらないでよ、そーとる、だけに」
「更に上乗せ、かんべん。冗談ともかく、けっこうバーやってると面白い気づきもあったりしますね」
「たとえば?」
「日誌付け始めたんですが、まあ、何人きてどんな酒でてとか、そんなんですが。あるバー経営の大先輩に聞いた話でもあるんですが、年に数回くる客で、名前も知らない人で常連ではないんですが、不思議に同じ日に必ずきて、そして同じ飲み物を飲んで帰っていく。そんなことがあるよと聞いてたんですが、うちでもあったんですよ」
「へえ。3年やってると、じゃあ3回リピートか」
「そうなんですよ。8月20日、お盆明けの暑い頃です。暑いのにいつも背広上下着て来る、中年の客。いつも1人で。さくっと2杯くらい飲んで誰とも喋らず帰っていく。来るのは年に数回なんですが」
「へえ。真夏にね。同じ日というと、考えられるのは命日で墓参りとか?」
「かもしれないですね。お盆のあたりだし。シンさんみたいに名古屋は年に数回しか来ないどこかほかのところに住んでいる人かもしれない」
「誰さんっていうの?支払いのカードでわかるでしょ」
「個人情報は教えられません。じゃなくて、いつも現金なんですよね」
「現金があとで葉っぱに化けるという狐だったり、実は幽霊だったとか?」
「ないないない。飲み物をゆっくり味わいながら、店でかけてるレコードのブルースとか楽しんで聴いているようで。時々スマホをだして眺めてる。まあ普通の1人客ですね」
「まあ、俺も時々1人でバーで邪魔されずに飲みたいときはあるよな。同じ日、なんかの記念日とかそういうのはないけどなあ。で、その人いつもなに飲むの?」
「ちょっと変わってます」
「出汁りりおんとか?そーとるとか?」
「ネグローニなんです」
「ああ、あのカンパリとジンにベルモットのやつね。去年のイタリア出張で毎晩飲んでた。あれ、はまるよね」
「何故か、8月20日の遅めの時間に来て、ネグローニを2杯、ゆっくり飲んで帰っていく」
「ネグローニが好きだった故人の墓参りをした後に、故人を偲んで飲んでるとかかなあ?順当に考えると」
「でしょうかねえ。来る時間は夜10時すぎとかなんで墓参り後って感じじゃないけどなあ。今度、さりげなく聞いてみようかなあ。ネグローニお好きですね?とか」
「。。。あ、わかった。ソータ、なぜネグローニかわかったよ。そうか、何故それを思いつかなかったんだろう」
「え、なんですか?ネグローニといえば、イタリアのフィレンツェでネグローニ伯爵が好きだった、ちょっとビターな定番カクテル。。。」
「真夏だろ。お盆明けだろ。その人」
「?」
「暑いんだよ」
「?」
「家にエアコンないんだよ。すぐ家帰っても暑くてしょうがない」
「まあ此処はエアコンはあるけどここでなくても」
「すぐ帰っても熱帯夜でね、寝苦しい、寝るのにひと苦労、寝ぐるし、寝ぐろう、ねぐろーに」
「あ、また駄洒落(失笑)。
座布団じゃなくて、スツール没収」
■
(他のカクテルで連載予定、かな?)
ネグローニ
ジン、ベルモット、カンパリを合わせたカクテル。 元々は、フィレンツェの老舗リストランテ「カソーニ」の常連客、カミーロ・ネグローニ伯爵がアペリティフとして愛飲していたカクテル
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