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短編小説「ドブリン市民(1) ジョン・ザ・ガイド 1/2」

ある秋深まるとある日、シンイチはふと、旅行を思いたった。

ドイツで業界の見本市があってそれにどさ周り的な出張するのだが、そういえば今年は夏休みをとっていなかった。カレンダーをみるとその出張の前の週は祝日があったりして、4日も休めばどこかドイツに数時間で飛んでいける欧州のどこかで休暇できるなと思う。その部分は自腹になるが。

そうだ、ダブリンだ。アイリッシュ・パブの本場を見なきゃ。

そう思って、欧州行きのオープンジョーのチケットをみてみると、ドイツ直行とあまり変わらない値段で往復がある。ダブリン・ドイツ間もなんとかリンガスという聞いたこと無い航空会社が2万円くらいで飛んでいる。よし!と思うと1週間の、シンイチにとっては初アイルランド休暇を計画していた。

*

「そう、日本からか。ウェルカム。でもなんでパブ・ホッピングのツアー参加を思いたったんだい?」

中年のツアーガイドのジョンが初対面のシンイチに聞く。ツアーといっても、民泊サイトに宣伝がでていた数人でやる小規模のもので、地元っ子がパブ3つはしごをつきあってくれてビール三杯ついているという簡単なもの。なんと、ローシーズンなのか、シンイチが予約したのは参加者1人でガイドとさしでのツアーとなった。

「話すと長くなるんだけど、コロナ前にね、京都でなんちゃってアイリッシュ・パブをやってたんだよね」シンイチが答える。

「5人の発起人がいてね、その中の一人がアイリッシュ・パブをよく知っているってことだったんだけど、よく聞くとアイルランドには行ったことが無かったって言うんだ。それで、本場のパブはどうかなと、一度来てみたかったんだ」

ジョンは笑う。

「そうだなあ。アメリカのアイリッシュ・パブはみんなインチキ、英国のパブの似ているようで全然違う。今日は面白いとこ連れてくよ」

ジャケットの下に緑のパブ・ガイドとかかれたシャツを着たジョンはかなりのビール腹で、頭も、体の他の部分がどちらかというとすらっとしているのでやたらその妊娠8か月くらいの腹が目立つ。筋金入りのビール・ドリンカーだなとシンイチは思う。シンイチも還暦をすぎて、あまり人のことを言えない腹まわりとなってきていたが。

「それとね、その僕らのパブの出資者っていうのが、バンド仲間なんだよね。そのバンドはブルースバンドでね、直接的にはあのブルースブラザーズの映画に触発されたというかそのコピーバンドで、もうひとつのインスピレーションがアイルランドの1991年の名作、ザ・コミッツメンツ。あのダブリンでブルースバンド結成する話」

「おいおい、ザ・コミッツメンツの筋書きについては俺に説明しなくていいよ。おれはダブリン出身っていうだけじゃなくて、あの映画のもとになった小説を書いた Roddy Doyle の弟が俺の近所でダチだったんだよ。あの主人公の家の設定となったダブリン北部の地域、あそこで俺は育ったんだ」

「えええ!オーサム!ほんもんのダブリナーズじゃないか。あの映画、5回くらい見たよ」

「へえ、そうかい。時々いるんだよね、あの映画好きっていうやつが。おれのガイドもパブ・ホップ・ツアー以外にも街歩きとかやってるんだけど、客の7割はアメリカ人なんだが、その中にあの映画ファンってやつが時々いる。あの映画のエンディングのほうであいつが歩いているシーンあっただろ、あれこのリッフィ川のあっちのほうの設定、もうかなり開発が進んで様変わりになっちゃったけどね」

そんな挨拶がてら、いろいろ話をして歩いていたら、最初のパブ、パレス・バーに着く。

「この Fleet Street 、ゲーリック語でいうとその上に書いてあるSráid na Toinneっていうんだが、これはね1801年にアイルランドが英国に統合されたときにね、ロンドンの同じ名前の通りにしてロンドンに真似して新聞会社がいくつか並ぶ通りを作ったのに始まるんだが、その新聞記者たちがたむろしてたので有名なのがこのパレス・バーさ」

「ところで、4人のアイルランド人のノーベル文学賞作家がいるんだが誰だか知ってるかい?」

「あはは、アイルランド人作家で知ってるのはジェームス・ジョイスだけなんだけど。ダブリン市民、いい短編集、あれは読んだ」

「ジョイス、はずれ。4人は、ウィリアム・イェイツ、ジョージ・バーナード・ショー、サミュエル・ベケット、そしてシェイマス・ヒーニー」

「え?バーナード・ショーとかベケットとかイギリス人じゃなかったのか?」

「それはここでは大きな声で言わないように。殴られるよ」

そのパレス・バーは不思議な場所だった。

内装は、シンイチにもなじみがある英国式と同じでレジみたいな酒を買う場所があって、かなり古風な応接みたいな調度品のテーブルがいくつかあった。驚きは、音楽がかかっていないこと。そして、な、なんと、フード・メニューが存在しなかった。

「これが、ザ・アイリッシュ・パブだよ。まあ、こんなスタイルはここくらいになってきているけどね。ひたすらビールを飲んでおしゃべりを楽しむ場所。フードなんてない。音楽はかけない。一応TVはあるが、国家レベルの競技があるときだけで普段はスポーツもかけない。酒はまあビールだね。ケグのが20くらいあそこにあるだろ」

「あ、ウィスキー飲んでる人もいるね」シンイチが周りを見回して言う。

「あれ外国人。ダブリンの人間はやはりビールだよね」

そのジョンのダブリンの発音が、「ドブリン」に聞こえる。ドブを想像させられてちっときたねぇなとシンイチは思うが、真似して言ってみる。「このドブリン・パブ・ツアー、酒飲めない人の参加もあるんの?その時はどうすんの?」

ジョンは笑っていう。「いるんだよね。まあ、あまり調べず参加したのか、文化に興味もってくれたんだかわからんけど、そういう人も一応ウェルカム、ジュースを飲んでもらっている。このパブ、紅茶とかコーヒーも出さないんだよ」

「へえ。でもよくビール数杯だけの客で、経営がなりたってるよなあ」

「そこら辺は良く知らないんだけど、1823年創業、UNESCO世界遺産だからね、勝手に店に手を加えちゃだめで、今のオーナーも有名なファミリーがずっと守って続けてくれている。いい店だよ。そうそう、壁の写真をみてくれよ、君が知ってるジョイスの写真はあの上のやつ。さっき言ったノーベル文学賞の4人も写真や絵があるよ」

「へえ、凄いなあ。博物館かよ。これが店として続いているというのが凄い。来たかいがあったよ」

「ところでその日本のアイリッシュ・パブというのはいまどうなんだい?」

ぐっとギネスを飲み干すと、シンイチは答える。

「コロナのね2020年夏に廃業。大家が家賃さげてくれなかったのが最大の理由だったけど、客は激減。前年秋のラグビーワールドカップで大盛況だったすぐ後の落ち込みだったから痛かったね。それにそもそも家賃が高いところで売上が少ない月でみたら月商の3割とか4割あったのであれはきつかった。訪問外人客がよく来てくれたんだけど、だいたいビール2杯くらいでさくっと遅めの夕食へと繰り出していく。客単価も想定より低めだったしね。いろいろ問題もあった」

「そうか、そりゃ残念だったね」

「鐘をならすと、その人がそこにいる客に酒1杯おごるっていうアイリッシュ的なこともやってたんだけどね」

「なにそれ?鐘といえばイギリス式だよ。アイルランドのパブには鐘なんてないよ。やつらはけっこう早い時間に鐘ならしてはいもう9時なので今晩はこれで店じまいとかやる。ドブリンではだいたいパブは朝10時半から深夜まであいてるよ」

「え!あの鐘はアイリッシュじゃなかったのか!いろいろ知らないことが多い。アイルランド来てよかった」

ジョンは笑って、そして腰をあげながら言う。

「じゃあ、そろそろ次のパブへと行こうかね。今度のも楽しいぞ。ライブ・ミュージックありだ」

(「ドブリン市民(1) ジョン・ザ・ガイド 2/2」へと続く)


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