インター校の教育 戦争論
今日は、教育論というか戦争・平和論? 数年前の娘の作文をネタにしたつぶやき。
シンガポールでインターナショナル・スクールに行ってる娘が、日本でいうと小学校4年のときに学校のエッセイで、 child soldiers(アフリカなどでの少年兵の問題) について書いていた。
家に持って帰ってきたのを読んで、僕的には馬鹿うけだった。そしてちょっと考えさせられた。
その娘が書いた少年兵問題についてのエッセイの論旨としては、「子供は大人たちと違って、まだおいしいもの食べたり、いろんなところへ旅行したりして人生を楽しんでいないので、子供は戦争に駆り出されるべきじゃない」というもの。
よって、「戦争はそういうものを十分楽しんだ、大人だけでやればいいんだ」という結論。
そんな内容について、変な教育的指導をいれずに、合格点をつけているインター校の先生のおおらかさに脱帽。
ともすれば、戦争の悲惨さや平和の尊さについて考えてみましょう的な、優等生的な文章が求められて、そんな修正コメントがはいったり。それがないのがいい。無茶苦茶な意見ながら、発想の独創性と、それなりのロジックがあるなしについて評価してくれている感じか。
しかし、戦争論を考える時、アフリカの少年兵の問題は悲惨な例外問題として一旦議論の対象からはずしてみると、よく考えると、高度にハイテク化された近代の戦闘では、果たして軍隊にぴちぴちの若者は必要なのであろうか。
内戦激化した地域の市街戦みたいのは別として、戦闘自体が昔のような体力持久戦ばかりではなくなってきていると思う。軍事力が、その行使よりも、抑止力として見せつけて、有事になる前に交渉にもっていく意味合いが高まっていて、ミサイルや爆撃機やドローンのようなのは職業軍人がキャリアとして訓練を受けて担当する話だし、もはや鉄砲担いで行軍して山越えするような戦いの時代ではない。
予備兵としても、20代とかの若者でなくて、50すぎ、60すぎのおっさんでも体力的に対応できるのではないか。
まさに、20くらいの若者だと、娘のいうように、おいしいものもまだ十分食べてないし、楽しいこともまだまだしてないし、こころ焦がす恋もしてなかったり、深酒して二日酔いで死にそうになったりもしてないし、自分探しで世界を放浪したりしてなかったり、伴侶と出会い結婚して子育てを経験して結婚や子供には無縁な孤高な放浪人生と思っていたらあれっ俺って結構子供好きだなということに気がついたりするとかがまだだったり。
代わりに、50歳すぎで、子育ても大方おわって、でもまだ体力が残っているおっさんたちが徴兵されたらどうか、いうのは一理あるかもしれない。
戦争は最大限回避しないといけないが、いまだ世界では、中世みたいな封建時代みたいな政治社会体制があって、とんでもない人権侵害がある。人を奴隷みたいに扱ったり簡単に殺したり、王族みたいなアンタッチャブルな特権階級が無茶やっていたり、賄賂でなんでもまかり通ってしまったり、暴力的な略奪があったり。
まがりなりにも、人類としては、18世紀のヨーロッパの人権革命を経て近代社会が生まれて、日本もすくなくとも戦後はその近代社会の一員としてその価値を守ってきたので、とんでもないやつらには断固立ち上がる態度を示さないといけないんじゃないかとおもう。とくに海外いろいろ見てきて、とんでもない国をいくつか垣間見て、そうおもう。
50代以上のおっさんたちで集まって、年に何週間か基地で、ダイエットや糖尿病など成人病予防にもいい軍事訓練をやって、予備兵として次世代のために国を守っていく、なんて主張している人たちはいないのだろうか。おっさん達は筋力衰え、老眼だし、すぐへたるから用無しなのだろうか。変な戦争・平和論ですが。
(タイトル画像はNoteのクリエイター・ライブラリーからランダムにいい感じの写真を)
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