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Mysore & Led
先週日曜にトゥリィで初めてレッドクラスを開催。
よく考えてみると今まで勤め先のヴィオラトリコロール本町以外ですることはほぼなかった。だからか始まると場との感応を探すような…微かな緊張感が湧き上がってきた。少しいつもより集中力がいった。
終わった後、インヨガを受けながら
レッドクラスのことが頭に浮かんでいた。
アシュタンガヴィンヤーサの練習を始めた頃は、宅練しつつ、近くでマイソールクラスはなかったからレッドクラスをよく受けていた。
英語がよくわからなかったから「red class 」だと思い込み、なんで赤なんや?とあれこれ考えた記憶がある。「lead 」(導く)からくる「Led class」と後に知り。納得。
その後マイソールクラスを受け始めるとレッドクラスは受ける事は少なくなっていった。
自分のペースで練習するマイソールクラスと
指導者のペースに合わせて練習するレッドクラス。
同じ練習内容でも二つのクラスで身体の反応は異なる。
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マイソールクラスは一般的なヨガクラスに慣れている人は自分のペースで練習を覚えて進めていくのに戸惑いを感じやすい。人によるが覚えることが苦手な人はしんどいようだ。でも慣れるとペースが調整できるから楽に動けるような自由さがある。
レッドクラスはインストラクターについていけばいいから、それに慣れている人は苦にならない。流れにのって動きやすい。
逆にいつもマイソールクラスで練習してる人は他者のペースが不得手に感じる人もいるし、そういう時もある。
でも自分のペースでずっと練習続けると癖が強くなったり、無意識に手順を変形させていくこともある。そうするとこだわりが強くなったりもする。
そういったことの修正にレッドクラスは役立つし、「任せる」ことの大切さを知る機会にもなる。
どちらも一長一短だ。
それについて良し悪しを語ってもあんまり意味がない気がする。
指導する側としては、レッドは流れやカウント等を覚えていればできる。それを正確に伝えればいいし、カタチを見せればいい。音声のみでも出来るから機械でも代用はきく。誰だってできる簡単な指導だねと昔、言われたこともある。
でも私はそうは思ってない。
レッドクラスを受ける身(生徒)となればそうは感じない。
練習始めた当初は宅練時にシャラートのレッドクラスのCDでよく練習していた。音声相手に必死でやっていたがついていけない時も多くてストレスがたまってたのを覚えてる。
その後、対面で色んな先生のクラスを受けたが感じ方は全然違った。同じ先生でもその都度感じ方は違う。それが面白かったし、心に残る思い出になったレッドもある。
指導する先生そのものを感じる。またはその場が一つになる感覚が生じる。
だから簡単ではないと思えてしまう。
ま、でも尽きるところ、
数十年前にヨーガというものに初めて出会った時に「アーサナは内観を大切にしなさい」と言われた。
また、高齢の先生には「若いうちは教室での練習も大切ですが、最終的にヨーガは一人行なのよ」とも言われた。
その言葉を自分なりに解釈すると、
どんな流派のヨーガであれ、
自分のペースで進行するのがヨーガというものの基盤なんだと思う。
アシュタンガヴィンヤーサの場合はマイソールクラスになるかなと。
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そんなことを、
ふわ〜っとしたインヨガのゆるみの中でぼんやり考えていた。
どちらも練習。
やる、それのみ。