New moon Practice
今日は新月。
ムーンディとしてアシュタンガヴィンヤーサヨーガでは通常アーサナの練習はお休み。でも以前から私は自練もクラス指導も特に関係なく行っている。いろんな事情からそうしている。ただ「今日はムーンディだな」という意識はしてます。
今朝は12月1日で新月、始まりのエネルギーが高い。
そんな中、日曜朝のみなみかたマイソールクラスは無事開催でき、良いスタートが切れた。
練習後は、ヨガカードリーディング。
新月はメッセージを受け取るタイミングとしては良い機会。
私は「サッティアン」を引きました。
初めてきく言葉でした。
「その人が行うすべてのことは彼自身の欲望や願望から自由である。彼のカルマは真実の火によって焼かれている。人はその人のことを(真のヨーギー、賢者)と呼ぶ。」
ギータの一節でしょうか、、引用されてました。
私達はすべて映画の中でさまざまな「役」を演じて生きている。まるでそれが自分だと思い込んでいる。でもほんとうの自分は映画を観ている存在でそれが真実だと説く。自分が自分だと思っているのはただの演技してる「役」に過ぎない。それに気づき、その「役」を全うしながらも、それを俯瞰しながら楽しんでいる。それが真のヨーギー、賢者、サッティアンと呼ばれると説いてました。
この一節やそこからのメッセージが、今の私にどういった意味をなすのかはまだわからない。すぐには理解できずにいます。これから月が満ちる頃までゆっくり思いふけってみようかと、、。
その後は「グルジ」読書会。前回の続きを読みました。
今回のテーマは「アーサナ」。グルジは八段階の三つ目、「アーサナ」を重視し、先ず生徒に教えていた。「アーサナがスタート地点」という考え方。それについてのロルフの見解を読み、それを話し合いました。
私達にとってアーサナは一番馴染みのあるものです。各々にそれについての想いがあることを知りました。また他者の想いを聴く、また考える、そのキャッチボールが面白かったです。
もう一つのテーマは家庭や家族を持ちながら修行していくことと、人里離れ山へ篭り修行するサドゥ(世捨て人)をどう見るか?という話。
ロルフはサドゥ達とグルジやその師クリシュナマチャリヤのような家庭生活を送りながら修行されていたヨーギーとの相違点に触れながらも彼なりの答えを出していました。ふと以前ゴアでロルフの集中合宿を受けた時の彼の様子を思い出しました。彼は二つを合わせ持つかのような人だと感じたのを覚えています。
このお題はなかなか考えさせられます。家庭を持ち、社会で働きながら練習している私達にそれぞれ悩みを持ち、工夫しながら練習を続けています。その様子を皆の話から知れました。同じだを思えると力をもらえますね。
ま、なんだかんだと話しながらもお茶やお菓子と共に楽しい時間でした。
また次回が楽しみです。