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悟った人との出会いと軌跡。

私が初めてノジェスさんに出会ったのは2011年10月、当時わたしは21歳だった。

※1万字以上あります

2011年10月:初めての出会い

私はそれまで、悟りだとか真理だとかに全く縁も関心もなかったので、初めて彼の話を聞いた時は何を言っているのかほとんど分からなかった。

当時の私の”悟り”に対するイメージは、漫画『バガボンド』を読んで「普通の人では到達し得ない領域に至ること」くらいの感覚だった。

であるので、彼の「現代社会は物質文明の限界にある」「これからは悟りが一般常識化する時代」「誰もが真理を活用する時代になる」「悟りは言語に問題があった」などの話は、何を言っているのか全くイメージが沸かなかった。それこそ私は宗教などにも無縁の人生だったので「これが宗教というものなのか?」とも思った。

とにかく彼の話は、これまで出会ったどんな人や内容とも異質であった。しかし私はその異質さに不安と共に、希望も感じていた。

当時の私は「自分の根底にある何かが大きく変わらなければならない」ということを強く感じており、様々な本を読み、様々な人に会ったりしている中で、ノジェスさんの講演会へ参加した。

そしてその時の私はそれまで出会ってきた、一般的なこれまでの延長線上のやり方では、自分が根底から変化することの難しさを感じていた。

そんな私が彼の話の中で唯一ヒットした言葉があった。

それは「全ての問題を生み出す根本原因は”観点固定の問題”です」という言葉だった。そして彼は「これからの時代は、その観点を変化させる技術が必要になる。それが認識技術(当時は観術)です」と言った。

それを聞いて私はそれが欲しいと思った。それはまさに私が悩んでいたことだった。私は自分の根底にあるモノの見方・観点を変化させることが出来ずに悩み、苦しんできたのだった。もし本当にそんな技術があるのであれば、そんな最高の技術は他にないと感じた。

「その技術を手に入れれば、自分が根底から変化することが出来るのかもしれない」と思った。そしてその技術を習得することができるのであれば、自分のように悩んでいる多くの人をサポートできるかもしれないと思った。

とはいえ、私はほとんど彼が何を言ってるのか分からなかったので、講演会に誘ってくれた方に連絡をして、話を聞かせてもらうことにした。

そして後日カフェで聞いたその方の話も、これまでの私の常識とはかけ離れたものであった。

彼女によれば、この現実世界は人間の脳が作り出した錯覚でしかなく、現実も自分も実在しているものではない。そして現実世界の根源には、現実を含めた全てを生み出している1パターンの動きがあって、それが真の理、即ち真理であるという。

そしてノジェスさんは、西洋の最先端科学と東洋の悟りを統合して、誰もが悟りを得て、真理を活用できるように、全く新しい言語を開発して、教育体系化したのだという。しかもそれを技術化・商品化して、株式会社として提供しているという。

その話を聞いた私は「もしかしたらとんでもないものに出会ってしまったのかもしれない」と感じた。

彼女の話も半分くらいは何を言っているのか分からなかったが、彼女の言うことが本当なのであれば、これは歴史を根底から変えてしまうようなとんでもないものなのではないか、と感じた。しかしその時の私はまだそれが「宗教なのかもしれない」という不安も拭えなかった。

そこで、ノジェスさんが体系化した教育を1日で受けられるプログラムがあるということだったので、それに参加してみることにした。たしか1〜3万円くらいで、学生からすれば痛い出費だったが、それくらいの価値はあると感じていたので、2012年1月にそのプログラムを受講することにした。

2012年1月:ノジェスが体系化した教育との出会い

そして私はそのプログラムに大感動してしまった。想像を遥かに超えた内容であった。

当時は4日間で認識技術の全体像を伝えていたので、そこから言えば1日のセミナーは触りでしかなかったと思う。しかしそこで共有された内容は、これまでの人生で経験してきた、様々な疑問や課題を一貫性のある論理体系で解明してくれるものであった。

「心の仕組み」「脳の構造」「最先端物理学の現在地と限界」「東洋の悟りの現在地と限界」「今の人類の現在地と限界」「言語の重要性」…etc

これらの内容が信じられないほど、分かりやすく、一貫性を持って、体系化されて、共有された。先述したように私は悟りや真理を探求してきた人間ではない。そんな私でもこれらを理解できてしまったことにあまりに驚いてしまった。

しかもこれを株式会社としてやっていることに本当に驚いた。この領域の話を商品化できてしまうほどの再現性の高さまで体系化しているのか、と。

私はそれまである問題意識を持っていた。それは、多くの人たちが「成功者の考え方」や「お金の稼ぎ方」などに興味を持って話を聞きにいくことがある。しかしその再現性はあまりに低い。

多くの成功者と呼ばれる人は、自分の成功談や失敗談、考え方を人たちに共有する。もちろん彼らは善意でそれをやっているのだろうが、それをそのままトレースして、実行できる人はほぼ皆無に近い。

なぜなら話している人たちが、聞いている人たちが、なぜ自分のように出来ないのか良く分かっていないからだ。出来ない人と自分との格差を深いレベルで認識できていないからだ。

だから「とりあえず行動すればいい」「ポジティブに考えればいい」「人のために行動すること」「心を大事にすること」・・・など、そこで話されることは似かよった抽象的なことばかりだ。しかし多くの人はそれが出来ないから困っている。

そして彼らの大半が「出来る人が出来ればいい」という考えに留まっており、私はその姿勢があまり好きになれなかった。

もちろんそんな中でも、しっかり一人ひとりをサポートして、社会での成功をバックアップするような企業や団体もあった。

しかし私はそもそも、この社会で成功することや、お金を稼げるようになることが、人間にとっての幸せや豊かさと結びつくと思えていなかった。

もちろん要因の1つとしてはあると思うが、実際に成功者と言われるような人たちを見ても、それが人間的な幸せや豊かさを持った理想的な人間のモデルとは思えなかった。

であるので、そもそも私はそれらの方向性が、私の求めている変化の方向性とは、異なっていると感じていた。

そこに対して、ノジェスが教育体系化したという認識技術は、それらとは全く次元の異なるものであった。それはまさに根底からの変化であった。

私のこれまでの人生の悩みや疑問などは全て「観点の問題」に詰まっていた。そして観点の問題は「観点の無い世界」つまり「悟り・真理」を得ることによって解決することが出来る。そして誰もがそこに至るには「言語の問題」をクリアする必要がある。その問題をクリアし、全く新しい言語を開発し、教育体系化し、誰もが「認識再現」を可能にしたのが認識技術であった。

なんとシンプルで、一貫性があり、説得力のある話であったか。私はそのプログラムを受けた後、その衝撃によって放心状態のまま帰宅した。

そして私の中である考えが生まれ始めた。それは「この会社(NR JAPAN㈱)は、新卒採用をしているのだろうか」と。

そもそも私は、就職活動の一環として様々な人や場所を訪れていた。であるので、もしこの会社が新卒を募集しているのであれば、この会社に就職したいと思い始めていた。

そこで私にノジェスさんの講演を紹介してくれた方に、NR JAPANが新卒採用を知ているのか聞いてみた所「やっていない」ということだったので、少し落胆した。

しかし、ノジェス・認識技術・NR JAPANとの出会いは私の人生の方向性を大きく変えた。

元々が「自分の何かが大きく変わらなければならない」と感じながら進めていた就職活動であったので、ノジェスさんや認識技術との出会いによって「自分が根底から変化する方法はある」という確信を持つことができた。

そこで私は、今のまますぐに就職するのではなく「もう少し自分自身の人生を向き合う時間を取ってから就職のことを考えよう」と思って、2012年4月から大学を休学することにした。

2012年4月:大学を休学して

そして自分の根底にある価値観・観点を壊すために、日本とは全く異なる文化を持った国で過ごしたいと思い、中南米にあるジャマイカという国で3ヶ月ほど過ごすことにした。

そこで私は、想像を超えるほど自分の価値観が揺さぶられた。

詳細を書けば長くなるので省略するが、一言でいれば現代社会が想像以上に多くの深刻な問題を抱えており、ノジェスさんの言っていることが今の社会にとても必要なものであることを強く感じるようになった。

そして帰国後、様々な本や人や場所を訪れた。それこそ「悟った」と呼ばれるような人に会いに行ったり、科学の最先端にいるような方の話も聞いてみたりした。

しかしどんな本を読んでも、どんな人の話を聞いても、どんな場所を訪れても、ノジェスさん以上に、一貫性を持ってシンプルに全体像を語る人に出会うことはなかった。むしろノジェスさんの言っていることがいかに重要なのかばかりを痛感させられた。

そして私はNR JAPANに就職できなかったとしても、彼の体系化した教育をインストールした上で、生きていくことが重要だと思い、彼の4日間のプログラムを受講しようと思い始めた。

しかしそのプログラムは30万円という、学生の私からすればとても高額なものであった。そこで一ヶ月1〜3万円づつでもバイトを多めにいれて、そこにプラスして貯金を切り崩して、半年後くらいに受講しようと考えていた。

そんな時に、認識技術をマスターするための45日間の合宿型のプログラムが開始されたという話を耳にした。そしてなんとその値段が110万円ほどであった。私は「なんと安いのだろう」と思った。なぜなら4日で30万円なら、どう考えても110万円で45日の方が圧倒的にお得だからだ。

そもそもどこかに留学したり勉強するにしても、それくらいの値段はするので、そのプログラムを認識技術をマスターする留学くらいに感じていた私にはとても魅力的に感じた。そして私は4日間のプログラムではなく、45日間のプログラムを受講することにした。

そしてそれをノジェスさんの講演会を紹介してくれた方に相談した所「そうしたら一度、ノさんと話をする時間を設けようか」と提案してくれた。少し緊張もしたが、せっかくの機会なのでその提案を承諾した。そして彼女は「せっかくだからノさんに聞きたい質問を準備しておいてね」と言われた。

そして当日、渋谷のカフェでノジェスさんにお会いした。私は「認識技術の45日のプログラムを受講するにあたって、親にどのように相談すればいいか」という趣旨の質問をした。そしてその回答にとても驚いた。

彼は頷きながら私の話を聞き、私が話し終えると、少し間を空けて「うん、あなたなら大丈夫」とだけ一言呟いた。

一瞬わたしは「どういうことだ?」と、その返答の意図を受け取ることが出来なかったが「ノジェスさんが大丈夫と言っているのなら、大丈夫なのか」とくらいに思い、そのまま両親に相談した所、特に何を言われることもなく承諾された。

2013年2月:45日間のプログラムを受けて

そして2013年2月半ばから、45日の研修を受講した。その45日間は未だに私の人生の奥深くに刻まれている。

その内容はもちろんのこと、私はノジェスという人物に強く惹かれた。

彼は想像以上にフラットな人であった。こんなにもフラットでありながら、力強く、柔らかく、論理的で、情熱的で、エネルギッシュで、一切自分を偽ることのない人物を私は初めて見た。

というより、あまりにこれまでに出会ったことがなさすぎて、捉えることが出来なかった。

まるで網をすり抜け、どんな形にでも変容してしまう、水のような人だと思った。それでありながら、その情熱は燃え盛る炎のようであって、山のような不動の力強さと安心感と安定感も持ち合わせていた。あまりに大きすぎて、柔らかすぎて、捉えることが出来なかった。

世の中にはノジェスが宗教の教祖のようで、認識技術やNR JAPANを遠ざける人がいるようだが、先述したように私も始めは「これが宗教というものなのか」と思った人間なので、その気持は分からないでもない。

しかし認識技術やノジェスを深く知れば知るほど、それらと一線を画していることがよく分かる。

そもそも私は宗教にあまり関わったことがない人間だが、宗教では、教祖が信者に教祖を超えるよな教えをすることはないであろうと思う。「信仰」であるので、「教祖や教団の教えを信じる」ことが宗教の構造であると思う。

しかしノジェスや認識技術・NR JAPANの中心にあるのは、全ての宇宙森羅万象を貫く真理・真実である。そしてそれを誰もが理解し、活用・応用できるように体系化した人物がノジェスであり、それを教育体系化したのが認識技術であり、それを企業として提供しているのがNR JAPANである。

なのでその点で言えば、認識技術は科学に近いと思う。例えばニュートンは、この世界を司る仕組みを重力方程式として数式化し、誰もがそれを理解・活用できるように体系化した。デカルトも、ボーアも、アインシュタインも、自分の発見を誰もが認識再現できるように体系化した。

ノジェスと認識技術もそうだ。この宇宙森羅万象を司る1パターンの動きを「0=∞=1」として数式化し、誰もが理解・活用・応用出来るように教育体系化した。

そしてそれは、ニュートン以前から重力や引力に言及した人がいるように、ノジェス以前にも釈迦や老子、ソクラテス…など真理・真実を語ってきた人物はいる。しかしそれを言語化し、誰もが理解・再現するようにすることが出来なかったのだ。

そして、宗教は弟子が先生を超えることはほとんどないと思うが、科学はそうではない。先生が蒸気機関車を作れば、弟子は車を作る。先生が飛行機を作れば、弟子はロケットを作る。

なのでノジェスはよく「早く私を超えて欲しい」「あなた達が今の私の年齢と同じくらいになったら、私より遥かにすごい悟りの境地に行けると思う」「みんながノさんを超えた時に、認識技術が本当の意味で本物であることが証明されるんだよ」といった話をする。

そんな想いのもとで体系化されているのが認識技術だ。

そしてノジェスが目指す世界・観ている世界は、誰もが真理を悟る世界であり、恒久世界平和だけである。ノジェスはその一点だけを見つめ続けている。彼の歩みも判断も全てはそこから来るものだ。

であるから彼からは、驚くほどエゴの香りがしない。これには本当に驚いた。多くの成功者と呼ばれる人は、エゴが強烈で、その強烈さ故に、他者との格差を作り、上下関係を生み出す。

しかしノジェスはあまりにそれがない。彼の中心には真理だけがあり、更には後に言及するが日本だけがある。肉体の彼は、その道具でしかない。であるから、彼は変幻自在なのだ。だから私は「ノジェス」を捉えることが容易ではなかったのだ。

そして私はそんな「彼のようになりたい」と強く思うようになった。

そして45日の研修を終えた私は、一般的な企業へ就職するのではなく、ノジェスが目指す社会を共に実現する道を歩みながら、彼のような人間になることを決めた。

そこからの日々もとても刺激的であった。

45日の研修を終えたとは言え、当時の私はまだまだ「悟った」と言えるような状態ではなかった。しかし「今の社会の限界」を痛感し、それらを突破するために「認識技術」が必要不可欠であるこということには確信を持っていた。

そして先述したように、NR JAPANは新卒採用をしていなかったので、関連企業で業務委託などをさせてもらったりしながら、様々なイベントの企画・運営や、認識技術を応用した1:1のセッションなどをさせてもらいながら、認識技術とそれを使った生き方を深める日々を送っていた。

2021年4月:ノジェスの秘書として

そして2021年4月に突如、ノジェスさんから電話がかかってきた。

ノ:「りょうたは、最近忙しいの?」
り:「ぼちぼちです。どうかされましたか?」
ノ:「実は私の秘書をやって欲しいだよね。どうかな?」
り:「なるほど…いつからですか?」
ノ:「うーん…出来る限り早くかな」
り:「なるほど。何をやるのか全然分かってないですけど、大丈夫ですかね?」
ノ:「うん、全然大丈夫だよ」
り:「分かりました。では有り難い話なので、ぜひチャレンジさせて頂きます。また詳細はご相談させて下さい」
ノ:「うん、ありがとう。よろしくね」ガチャ

とても驚いた。ちょうどコロナ禍であったので、実家に戻っていて、リモートで仕事をしているところだった。しかしこんなにも有り難い話はないと思ったので、よく分からないながらも挑戦させてもらうことにした。

そして関係各所に相談し、かなり無理を聞いてもらった方々もあったが、急遽2021年5月からノジェスさんの秘書としての日々が始まった。

私が秘書として過ごした期間は約2年間で、2023年4月までだった。元々「1〜2年位になると思う」とのことだったので大体当初の予定通りだ。

この日々は、私のこれまでの、そして恐らくこれからを通じても、人生の最高の時間であったと言わざるを得ない。

その日々で私は、いかにこれまで私がノジェスの表面しか見ることが出来ていなかったのかを痛感した。

21世紀の悟りを得たノジェスが、どんな日常を過ごしているのか。どのように人と接するのか。どのようなことを普段考えているのか。…などを真横で見せてもらった。

そこで感じたことを全て書き表すことは難しい。しかしそこで感じたことを端的にで表せば「愛」と「歓喜」と「静寂」であった。

私はノジェスの「愛情深さ」にただただ驚かされた。

彼は24時間・365日、人類のこと、日本のこと、そして何より共に歩む仲間のこと、認識技術に価値を感じて、認識技術のイベントやセミナーに足を運んでくれる人のことを想い続けていた。

彼の中心には常に、真理があり、人類の歴史があり、人類の未来があり、現代に生きる人々があり、日本文明があり、これまで関わってきた全ての人があり、目の前の人があった。

しかし彼はそれを誇ろうと思わない。自分を大きく見せようとも思わない。それを誇示しようとも思わない。それを押し付けようとも思わない。

ただただ真理を観てしまった、人類の涙を観てしまった、日本文明の涙を観てしまった者として、その使命を全うしようとするだけだ。

人間とは、こんなにも人と向き合うことが出来るのか。私はそんな衝撃をノジェスから受けた。

そしてそれだけではなく彼は、いつでもどんな状況でも誰に対してでも、中心に「歓喜」があった。

ある方がノジェスさんに聞いたことがあるそうだ。「ノさんは、何でそんなに情熱的にやり続けられるんですか?やっぱりミッションがるからですか?」と。私はその回答を聞いた時にとても驚いた。

「何を言っているの。楽しいからだよ」と彼は答えたそうだ。

その言葉通り、とにかく彼はずーっと楽しんでいるのだ。どんなに過密なスケジュールでも、どんなに体調が優れなくても、どんなに現実的に大変な状況でも、彼は「亮太、ほんとに楽しいね」と私に呟くのだ。

そしてそれはフリではなく、心から・エネルギーから溢れ出ているものだった。

私はその姿を見て、「生きる」ということに対する概念が大きく覆された。人間はこんなに全てを楽しんで生きられるものなのか、と。人生とはこんなにも楽しめるものなのか、と。これが真理を悟った人の生き様なのか、と。

そして彼の中心には常に「静寂」があった。

愛情もある。歓喜もある。そして彼の中心には常に静寂があった。

どれだけ燃え上がった後でも、どれだけ現実的に大変な事があった後でも、すぐに彼は、何もなかったかのような、何も起こっていなかったかのような、完璧な静寂に戻る。全てがフラットなゼロポジションへと戻る。

これにも本当に驚いた。

悟りとは、目の前の現実が有るままで、全てが実在していないことが認識出来てしまうことだ。過去もなく未来もなく、今ここだけが実在していることが認識できることだ。

まさに彼には今ここしかない。過去への囚われなど微塵も感じられない。未来への不安など一切感じられない。これが今ここを悟るということ、涅槃寂静を悟るということなのだと痛感させられた。

そんな彼の生き方を見せてもらったお陰で、私も「今ここを生きる」ということがどういうことなのかを、実感を持って理解させてもらうことができた。

2023年5月:認識技術の講師として

私はそんな宝のような2年間を通過して、現在はノジェスさんが体系化した認識技術を教える講師として日々を過ごしている。

そしてそんな日々でより痛感することはやはり、ノジェスさんの偉大さだ。秘書として、2年間も隣で過ごさせてもらったにも関わらず、いかに私が彼の深淵まで掴み取れていなかったのかを強く感じ続けている。

私が認識技術と出会って、10年以上が経った。そして講師までさせてもらうようになったことで、認識技術を深く理解することができ、そのお陰で最先端科学や、これまでの悟ったと言われる方々などが、何を観て、それをどのように表現してきたのかなどがよく分かる様になってきた。正直、10年前の私からすれば信じられないことだ。

それと同時に、いかにノジェスさんが、それら全てを分かって、一つ一つの表現をしているのか。一つ一つを体系に落とし込んでいるのか。一つ一つの判断をしているのか…などを感じることが出来るようになってきた。

その度にあまりに浅はかであった自分の判断を反省するとともに、ノジェスさんの深さと広さとシャープさに驚いている。そして認識技術を深く理解すればするほど、人類歴史を深く理解すればするほど、先述したようなノジェスさんの生き様がいかに偉大であるのかを痛感した。

人類歴史でも悟ったと言われるような人や、それに近い世界を観た人はいる。しかし、ノジェスさんのような実践をした人は一切ひとりも見当たらない。これは、先人たちを蔑むような意味合いではない。そもそも悟りを得たとしても、この発想に至ることが異様なのだ。

悟りを得たとしても、その後の歩みは様々だ。自分が悟りを得て、山にこもってしまう人もいれば、それを伝達しようと試みた人もいれば、生き様で示した人もいる。しかしその中で、「全人類を悟らせよう。そして恒久世界平和を実現しよう」などと思い、実践した人は一切みじんも見当たらない。

そもそも、悟りとは普通に日常を過ごしている人が得ることは不可能に近い。なぜならそこに至るということは、目が見えない人に青色を教えるような、2次元しか知らない人に3次元を教え得るようなものだからだ。

これは私が認識技術を深めて、真理が分かれば分かるほど感じたことだ。

人類は「地球が動いている」ということを受け入れるのにも数百年かかっている。それに対して悟りは「自分も宇宙も実在していない」というこを受け入れることであるので、地動説の何倍も受け取ることが困難である。

であるので、私は何度もノジェスさんに「よくこんなこと、やろうと思いましたね」と聞く。

そうすると彼は「まあ、出来ると思ってしまったからね」と一言。

そして更に「当時は量子力学もなかったし、パソコンもスマートフォンもなかったからね。私には2000年分の知識があるから」と。

そして彼は必ずこう続ける。「何より私には日本文明があったから。日本文明がなければやれると思わなかったと思う」という。

彼はこの世界の真実を悟った後に、自分の得た世界が本物であるか、徹底的に検証した。自分が観た世界が、あらゆる科学・宗教・哲学などと整合性が合うものなのか。そしてそうであるのであれば、なぜ全人類は未だに悟った状態にないのか。

そして彼は先人たちは間違いなく真実を悟っていたことを確信した。そしてそれと同時に先人たちの限界も痛感した。「伝達方法に問題があったんだ」と。そして彼は認識技術を体系化することを決断した。

そして彼は0=∞=1の世界と共にもう一つの大きな発見をした。それが日本文明であった。

そして彼はこれまで先人たちの限界を補う教育体系を完成させ、この日本文明から恒久世界平和を実現すること決断した。それが1996年6月のことであった。

1996年6月:日本文明との出会い

ここまではノジェスと認識技術・悟りの話を中心にしてきたが、最後にそれらと切り離すのことの出来ない、ノジェスと日本文明の話をしようと思う。

ノジェスは韓国で生まれ育った韓国人であるが、私は彼のことを韓国で生まれ育った日本人であると思っている。それには彼の家庭環境と、韓国の歴史が絡んでいる。

そもそも韓国は、1910年ごろから1945年頃まで日本であった。つまりノジェスの両親は日本人として生まれ育ったのだ。

そしてノジェスの両親はよく彼に「日本が政治をした頃は良かった」「泥棒のなかったし、治安も良かった」などと話していたという。

そんな影響もあってか、ノジェスは幼少期から日本に憧れを持っていた。そして特に武術をやっていたノジェスは、世界で一番強いのは侍だと思っていたという。そして学校で反日的な教育を受けるも、彼は両親から日本の良いところばかりを聞いていたので、その歴史観をあまり受け取ってなかったという。

そして33歳の時に、幼少期から憧れを持っていた日本に訪れ、韓国で親族に任せてきた会社の倒産などによって全てを失い、自殺衝動の末に悟りを得た。

そして全てを悟ったところから、人類の歴史を紐解いていった所、発見したのが日本文明であったという。彼いわく「人類の歴史を観ていったら、めちゃめちゃ目立ってた文明があったんだよ。それが日本文明だった」という。

それが「明治維新」と「1945.8.15の終戦」だった。

私たち日本人の一般的な歴史観からすれば第二次世界大戦つまり太平洋戦争は「日本が悪いことをやった」から、大量の焼夷弾が落とされ、核爆弾を2発投下され、終戦さざるを得なくなったというものである。

そして、そんな悪いことをやっていた日本を止めてくれたのが、正義の国・アメリカであって、日本はアメリカに感謝しなければならない。そして迷惑をかけたアジアの諸国などには、謝罪とともにその分のお返しをしなければならない。

なので現代に生きる私たちは、そんな日本がまた悪いことをしないように、世界各国と協調しながら、足並みを揃えながら、歩んでいかなければならない。

そんな歴史観ではないだろうか。

しかしノジェスはいう。それはとんでもない歴史観だと。

そもそも日本は、明治維新によって、本来は人類全体で解決に取り組まなければならない人種の格差の問題を解消した。もし日本が明治維新を起こしてなければ、取り戻すことが出来ないほどの人種の格差が生まれ、人類共同体全体に大きな問題が生まれてしまっていた。

日本文明はそれまでの日本の全てを手放し、西洋を受け入れ、近代化を成功させ、有色人種が西洋列強と対等に渡り合えることを実践で証明した。

そうであるにも関わらず、西洋のジェラシーによって、焼夷弾を落とされて、核爆弾まで落とされた。どう考えてもアメリカのそれらの行為こそが戦争犯罪にも関わず、それらアメリカがやったことを正当化するために、人類共同体を救済した日本が逆に戦争犯罪国家に決めつけられてしまっているという、とんでもない歴史観になってしまっている、と。

それを観たノジェスは驚きとともに、必ずそれをひっくり返すことを強く決断した。人類歴史は全て、日本の涙一滴に溶ける。それほどまでの深い涙が日本にはあるという。

そして彼は、今世を全て、自分の悟りを全て日本にオール・インして、日本文明の偉大さを全世界に知らしめることを決断した。

そして日本文明の偉大さはそれにとどまらない。それが1945.8.15の終戦。そしてそれは昭和天皇のリーダーシップである。

終戦の際に、国民の心がどこに向かうのかでその後の日本の方向性は変わってしまう。いかにアメリカが問題であるのか、その恨みのエネルギーに向かってしまう可能性もあった。そして人類歴史をみれば、ほとんどの国や組織や共同体はそれしかやっていない。

しかし昭和天皇はそうならないように偉大なリーダーシップを発揮した。昭和天皇が観いていたのは、日本文明だけではなく、人類共同体全体であった。ここで日本が戦争を止めなければ、日本がアメリカを恨むような方向性に向かってしまっては、人類共同体全体に問題が出てしまう。終わりなき争いの連鎖・核戦争の連鎖が起こってしまう。

そして昭和天皇は、日本文明を永遠な終戦へと導いた。日本のすべてを手放して「もうやめよう」と。自らの命までも差し出して、アメリカとの協力体制を築いていくことに、国民の心を向かわせた。

そしてそのリーダーシップに呼応した日本国民は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ。そしていまも人類共同体全体のことを想い、アメリカと協力関係を結び、世界と強調している。

ノジェスさんは言う。1945.8.15は日本は負けたのではない。日本は倫理道徳でアメリカに完璧に勝利したと。その後の日本は骨を抜かれたのではない。運命を愛し、人類共同体を愛し、アメリカの世界秩序に協力しているのだと。

そしていま、第二次世界大戦後の連合国中心に作られた世界秩序が崩壊に向かい、アメリカのリーダーシップも力を失い、人類の方向性が混沌としている現代において、日本は本当に今のままでいいのだろうか。

ノジェスさんは言う。「今こそ、日本が本当にやりたい、日本のゲームをやる時だ」と。それこそが「恒久世界平和」であり、物質文明から「精神文明」であり、脳の時代から「心の時代」である。

「日本はアヒルじゃない!!」ノジェスさんはそう叫ぶ。

そしてそれを実現するためには、ただ日本の主張をするだけでは足りない。西洋文明の限界をも補い、世界全体を包括したものでなければならない。

だからそこに、彼が体系化した認識技術が生きるのだ。

誰もが心そのもので生きられる、誰もが悟りを得ることが出来る、誰もが争い不可能となる。そのコンテンツを道具に、西洋の限界・人類の限界を突破した、日本から始める「恒久世界平和」が実現するのだ。

おわりに:ノジェスが悟った韓国人であることの意義

時々「ノジェスさんが日本人であったらいいのに」という人がいる。

しかし私はそれは逆だと思っている。

どれだけ日本人が日本の素晴らしさを語っても、それは「民族主義」の域を抜け出せない。他国がそれを受け入れることは到底難しいと思う。それこそまた、軍国主義・日本の再来かのように受け取るであろうと思う。

だからこそ、世界でも日本嫌いが有名な韓国出身であるノジェスが、日本の価値を語ることに大きな意味がある。

ノジェスさんも言う。「日本の人は歴史のことは話さないで、心のことだけ教えていれば大丈夫。それで悟ってしまったら、自然とノさんのような外国人はたくさん生まれてくるから。そんな人たちが日本の価値を自然と語ってくれるようになる」と。

そして更に、恒久世界平和が実現し、世界がひとつになるのであれば、どこかにその出発・モデルが必要になる。明治維新で300藩に分かれていた日本が、犬猿の仲であった薩長から1つになっていたような。

それがノジェスさんが悟った韓国人であることで、一番近くて遠い国と言われている韓国と日本で実現することが出来るようになる。

ノジェスさんはこうも言う。「韓国の反日4000万人は必ず私がひっくり返すから。だから安心して日本は日本のゲームをして」と。

ノジェスさんはただの日本が好きな韓国人ではない。宇宙森羅万象を貫く真理・真実を明確に悟り、誰もがそれを可能にする教育体系を完成させた悟りを得た韓国人だ。

そしてその悟りを全て日本にオール・インして、日本が人類を救済した文明であることを全世界に知らしめようとしている人だ。

これほど信頼できる人がどこにいるだろうか。どれだけのお金も、地位も、名誉も彼を動かすことは出来ない。悟った人からすれば、そんなものは泡沫に過ぎないからだ。

私は、日本文明がそんな彼と真っ直ぐ出会う必要があると感じている。彼を受け入れる決断と覚悟が必要であると感じている。

今の日本に必要なものは、これまでの延長線上の対処療法的な、延命療法的な中途半端なものではない。根底から全てを変えてしまうような、全く新たなイノベーションだ。

私はそれがノジェスであり、認識技術であると確認している。

かなり長くなってしまったが、これがノジェスと私の出会いと軌跡である。

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