あえて個性に没頭(DIR EN GREYの再燃)——自己肯定のはなし
最近、以前よりも自己肯定に成功してきている。
まあリアリストなこと(遺伝子や偶然は受け入れるしかなく自分は自分であるしかないことの自覚)や内向性の高さ(自分の内面がきになること)、何かしら信念があるタイプであることから、もとから肯定的ではあった。
単純に年をとったこともあるだろう。しかし以前は頭ではわかっていても認められなかった。
認められるようになった理由はいくつかある。
まず、保守的態度(小林秀雄がいう古典主義の立場から見た個性)で見ると、ただの珍奇な特殊性である個性が、現代になって重要になてきたからだ。
(私は自分に否定的な特殊性があると思っているため、保守の態度に惹かれていた)
次に、改めて細かくいうと…
個性が重要になった理由は、現代は近代的価値(冷戦後よりも多様な大きな物語。かんたんに言えば、多くの人が価値を感じるもの)が力を無くしたからだ。
さらに、科学という”大文字”が発展することで、技術を持つ研究者や労働者以外の民衆にとっては労働市場で不利になった。(それは機械のような人間は不要になったということ)
また、以前の大きな物語(ここでは中産階級的な幸せという感性)が崩れたため、個性を持つ・出すことは労働市場でのプレイヤーとしても、個人がメンタルヘルスを良い状態で保つにも、前よりも独特さが重要になってきているように思う。
かんたんにいうと以前はくだらないと思っていた概念(個性)が現代では強みに変わったからだ。
ここでも合理の限界
個性はたとえば好みとして表れる。それを素直に楽しむことは自己肯定である。それは洗練されておらず稚拙かもしれない。技術的には拙いかもしれない。周囲からの評価は高くないかもしれない。人に好きと言いにくいものかもしれない。それでも好きに浸れる状態が自己肯定感をもった人の境地である。
ただし場合によっては、日常に埋没している人にとって上記は容易な態度であり、そういう人は今回の話の対象に当てはまらないだろう。
へんな人が「正統」に傾倒
私がここまで自己肯定に心を動かされれるのはなぜかと考えると、いまの自己肯定に至るまでにマクロなことのほうが価値が高いと思うようになった時期があるからだ。また保守的態度が良いと思うようになった経緯があるからだ。それは自分で認めたくないタイプの特殊さ(個性)も持っていたからのように思う。(この感性は西部邁が革新から保守に変わった流れにどこか似ているのではないかと思う)
マクロは今でもある。(国家というか)まとまった国はあるし、マクロ経済、社会の構造はある。ただそれは現実に必要なものがあるだけで、観念としてのマクロはもうない。
ただ、私が生まれたときにはすでに大きな物語はなくなっていた。
だから私は小さなものが無数あるなかからマクロな近代的観念にあえて個人的に価値を置いたことになる。そのときは近代的自由の観念が尊すぎたからだ。(いまでもそう思っている。オールドリベラリストのような感性に近いか)
ただ上記のような価値観や感性は現代では裏目に出ることがある。
弱くなり、生きるのがつまらなくなるほうに向かわせる可能性がある。
💭この文も、現代思想的な感性が一般的に浸透するのに時間がかかっていることを示す一例になるのではないか。
祝祭としてのロック
上に書いたような自己肯定に関することを思いついたのは、10年前に好きだったDIR EN GREYを最近聴きなおしていて、なかでもVINSHKAから火がついたことがきっかけとしてあった。
相変わらず音楽を技術面よりもロマン主義的に聴く私は、今回の聴いた音楽の快楽をバタイユなどがいう「祝祭」ととらえた。
最近までマクロな近代的な価値観のほうにあえて寄りたいときは、ロックの立場や主張する感情は古くさいと思っていた。
なぜなら、自己に拘泥し、その檻の中でいつまでももがいているように見えるからだ。
なぜ逃げないのか?逃げないし自己を疑わないから暗いままでいじけているのではないかと。これは今も思う。浅田彰がいうパラノという感じ。
たしかにロックが表す感性はモダン(近代的自我がある)なのは変わりないけれど、受け止め方を変えることにした。
私は遊牧民ではないから結局パラノによるストレスはあるし、現実、自己という"まとまり"もある。
そのため、祝祭ごと生活に混合された現代であっても、あえて強い・いかにもな祝祭を意識して享受することにした。
(これは自己肯定ができるようになったからできたことだと思っている)
○■成田悠輔さんについて推測
きっと知的趣味は洗練されている。合理的にコンテンツを追っているからではないかと思う。
知性が高いと、何かに偏ることができないから。
しかしその結果、いまの時代に必要なこと、有利なパーソナリティーになることにかけては裏目に出ているのではないかと思う。
何ならば趣味が良いかをわかっていて、それを設計していった結果なのか……。