ひとりぼっちの挑戦
彼女が日本で報道されるようになり、馴染みのない響きのその名前を覚えた頃は、「16歳の少女」と言われていたと記憶している。
NHKの番組「グレタ ひとりぼっちの挑戦(前編)」に映るのは15歳時点の彼女の姿だった。
テレビで見かけることが増えた「16歳」に至る前の彼女の姿は弱々しく、人と目を合わせることもなく、言葉もあまり発しない。
彼女の最初のストライキは「SKOLSTREJK FOR KLIMATET」(気候のための学校ストライキ) と描かれたプラカードを、掲げるでもなく ただ壁に立てかけ、その横でうつむきながら一人でじっと座り込んでいるだけ。
今でこそ 沢山の賛同者と共に活動をしているイメージだが、当初はほとんどの大人がそんな彼女を一瞬 横目で見て ただ通り過ぎていく。
今では考えられないような、そっぽの向かれ方だ。
彼女には、
・学校生活に難があり
・精神疾患をいくつか抱え
・記憶力が人の平均を遥かに超え
・お父さんの精神的なサポート
他者があまり持っていない これらがあることが、若くして周囲とは違う生き方や、求心力を持つきっかけを与えている。
そんな彼女が、気候変動対策は政治的課題としつつも、政治家とは「自分が既に成し遂げたことを発表する人々」であり、「環境のために 今後こうすべきと唱える人」がいないという矛盾点を、世界中の政治家が集まる場で 当人たちに向けて目の前で突き刺すことができたことが、世界中から賛同されるようになった理由の一つだろう。
そして、世界中の政治家たちにとって彼女という存在がいかに都合が悪く、否定的な姿勢を取ったり、あえて子供扱いして遠ざけるのかも、ここで明らかになった。
「大人に操作されている」と ネガティブな報道がなされていたのも それらの働きかけだったのだろうと推測できる。
一方日本では。
自分は中学生の頃、屋外の部活動をしていたため、夏休みは毎朝 その日の最高気温をチェックしていた。
朝6時に 寒さで目が覚めるので時計要らずで起床ができ、そんな日々の最高気温はだいたい28度くらいだった。
中学3年間の中で、一度だけ「最高気温32度」の日があり 部員たちは朝からずっとヘロヘロな状態で練習効率も悪く、普段は厳しい顧問の先生も 何度も休憩を取らせ 風通しの良い日陰に誘導してくれるほどだった。
あの日は何リットルの水を飲んだか記憶にない。
地面も乾くので、休憩時間にスプリンクラーを撒くとなったら、積極的に浴びに行った。
(スプリンクラーは本来、人間が浴びてはいけない。)
つい 何十年前の7〜8月が こんな気候だったことを自分は忘れていない。
最高気温が30度を超えたら大騒ぎしてたんだ。
日本の夏場の気温上昇が顕著になったのは、ちょうど自分が中学を出たあたりからだった。
明らかな気候変動に直面した自分もまた、環境問題に関心を抱かずにはいられない。
気候変動とは別の問題で、日本は原子力発電所の稼働をさせたくない人が沢山いる。
原発はリスクが高いから止めてほしい、それはもちろん人が持つひとつの意思であるが、そもそも人は 電気を使うから原発を簡単に止めることができない。
一人一人が電気を使わない生活、スマホがなくても回っていく生活サイクルを確立できるなら、自然と原発の出番はなくなる。
だがそれができない。
最新家電は次々開発される。
パソコンがなければ仕事にならない。
現金を持ち歩かずスマホで決済をする。
自分自身だって、ずっと使い続けてきたガラケーから今まさにスマホに替えようとしている。
電気使用の渦に、巻き込まれずに生きていくことが より難しくなっている。
このサイクルを断ち切る方法はないのか。
日本にグレタさんのような人が出てきて提案してくれないか。
奇跡をただ待つだけの国だからこそ、日本は彼女のことを「少女の活動」と遠ざけた表現をするのだろう。