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下人が雨宿りをした京の境の今ー羅城門跡(南区)ー

大都市でありながら、中心街を外れると喧騒を離れ、今も昔の情緒を残す歴史深い地・京都。

数十年前、高校1年生現代文(国語総合)で習った芥川龍之介『羅生門』。

   ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗りの剥げた、大きな円柱に、きりぎりすが一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。

芥川龍之介『羅生門』冒頭部

仕えていた主人の家をクビになった下人が、途方に暮れながら羅生門の楼閣にたどり着き、一晩休もうと思った楼閣の上で、死人の髪を抜く老婆の行為に逡巡しつつも、悪となる道を決意するという小説でした。

実は今でも高校1年生「言語文化」という科目の教科書に載っており(現代文・古文という科目は廃止されました。言語文化は近代・現代小説&古文・漢文)、人口に膾炙する作品として今も親しまれています。

その『羅生門』の舞台、羅城門が京都の南区に残されていますので、ご覧いただこうと思います。


◎あまりにもひっそりとある羅城門跡
場所は九条通に面した場所。東寺から西に向かってしばらくすると北側に位置し、九条旧千本の信号の東側と思えばすぐ見つけられます。

周辺にはコインパーキングを見つけないと止まることができない、車通りの多い九条通のところです。

実は羅城門跡、今は公園になっています。
九条通に面する歩道に「羅城門跡」という石が立っており、これがあるから場所がわかるようなものです。

◎羅城門公園前にある矢取地蔵堂

羅城門跡の石の右には公園に向かう歩道、左にはお堂がある

それならば九条通に面したこの建物が何かと言うと「矢取地蔵堂」と言います。
かつて人に恨まれた空海が矢を射られたときに、身代わりとなったという逸話からそう呼ばれているようです。

車通りの多い九条通に向かって立つ矢取地蔵堂

その恨んだ当の人間が、西寺の僧だということだが、西寺が早くから廃れていったことも、こうした話が生まれる素地になったのかもしれません。

現存の地蔵堂は明治期の新しいもの
左の石に愛宕山大権現の文字がある
明治期に立てられた地蔵堂

矢取地蔵自体はとても小さいお堂なのですが、中に入ってお参りをすると左に扉が。

なんとお堂の左は学習塾になっています

◎羅城門公園

広がる住宅街に開けた一角がある
遊具と石碑のミスマッチがすごい

地蔵堂の右側から奥に進むと小さな公園があり、その中に異彩を放つ大きな石碑が立っています。
固く守られたその石こそが、当時の羅城門があったという印になります。

現在ではその当時の面影もただ想像することも難しい住宅街が広がる場所で、その石もただ遺構としての存在に過ぎませんが、同じ場所に立ち、その歴史に触れた感慨の深さが胸に過るものです。

周囲に張り巡らされた大土居は秀吉の時代。多くの歴史が児の場所にはある

平安時代の京の入口。
この場所はどのように栄え、そして廃れていったのでしょうか。
それを想像するのもロマンがあるというものです。

《行き方》
近鉄「東寺」から徒歩15分
京都市バス「羅城門前」下車すぐ

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