アンクル編集子

ロイヤリティバンクの中の人。出版社勤務ののち独立し、雑誌やWEBなどに記事を執筆。柳原…

アンクル編集子

ロイヤリティバンクの中の人。出版社勤務ののち独立し、雑誌やWEBなどに記事を執筆。柳原良平作品の素晴らしさに魅せられ、本コラムの連載を開始。

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  • 柳原良平記事まとめ

    アンクルトリスの生みの親、グラフィックデザイナーの柳原良平さんに関する記事をまとめたマガジンです。 柳原良平ファン必見!

最近の記事

柳原良平主義〜RyoheIZM 46〜

天才の頭の中を凡人が推測 アイディアの泉 柳原良平の頭の中は、常に新しいアイディアで溢れていた。生前の柳原をよく知る人たちがそう言っていたので、きっとそうなのだろう。 だから描いてしまった絵に対して無頓着と言われるのもよくわかる。描いた途端、次の作品に意識が向いてしまうからだ。 妄想こその楽しさ 柳原にとっては船旅も、どの船に乗ってどこに行こうかと考えている時がいちばん楽しいそうで、いざ乗ってみたらそれほどでもなかった経験も少なからずあったらしい。 妄想は楽しいもの

    • 柳原良平主義〜RyoheIZM 45〜

      反骨精神、批判精神 作品に込められた思想 柳原良平は、どんなことでも間違っていると思ったら躊躇せず異を唱えた。漫画家時代の柳原が、風刺ネタも多く扱ったであろうことは容易に想像できる。 毎日の連載だから、いつもどこでもネタを考えていたと柳原は、自身の漫画家時代を振り返っていた。アンテナを研ぎ澄まし、世相をいろんな角度から眺めていれば、疑問を持つ事象に出会うことも少なくなかっただろう。 そんな柳原だから、切り絵にせよペン画にせよ、社会を風刺するようなアート作品が見当たらない

      • 柳原良平主義〜44〜

        客船と貨物船 どちらが好き? 柳原良平は、豪華客船より貨物船のほうが好きだと聞いた。豪華でラグジュアリーな船も素晴らしいが、どちらかというと力強い貨物船に、より大きな魅力を感じるという。 長い航海の間、人を飽きさせずに楽しませ続ける客船を人に例えるなら、芸人でありコンシェルジュであり、またシェフやソムリエであり、手品師でもあるといった、総合エンターテイナーになるだろう。 一方、シンプルに機能を果たす貨物船は誠実なビジネスパーソンだ。人に例えるなら、お客となったすべての荷

        • 柳原良平主義〜RyoheIZM 43〜

          しつこい男 「しつこい」とは 「しつこい」とか「執念深い」とかいう言葉は、あまりいい意味には使われない。「くどい」とか「いつまでもつきまとってうるさい」といった意味と解釈されているからだ。 ある日、柳原良平の性格をひと言で言うと?という質問に、「しつこい」と答えた人がいて、なんて失礼な!と驚いたことがあった。それも、よりによって柳原作品をたくさん所有し、公認コレクターと柳原自身が認めている藤井貢一氏の言葉だったからだ。 「しつこさ」ケース・スタディ しかし先の藤井氏か

        柳原良平主義〜RyoheIZM 46〜

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        • 柳原良平記事まとめ
          16本

        記事

          柳原良平主義〜RyoheIZM 42〜

          アニメ作家、柳原良平 漫画家になる前から 漫画家だけでなく柳原良平は、アニメ作家でもあった。そもそもアンクルトリスは、最初からテレビCMのためにデビューさせたキャラクター。つまり柳原は、1958年からアニメーション作家でもあった。漫画家として認知されるずいぶん前からの話だ。 そして柳原は2年後の1960年に、久里洋二、真鍋博とともに『アニメーション3人の会』を設立。これは日本のアニメーションの発展のために結成された自主制作グループで、定期的に上映会を開催し、それぞれが製作

          柳原良平主義〜RyoheIZM 42〜

          柳原良平主義〜RyoheIZM 41〜

           漫画家としての柳原良平 柳原良平は一時、漫画家だった。本人としては、まったくその気がなかったにもかかわらず。 きっかけはアンクル 1958年、アンクルトリスがテレビCMに登場。中年サラリーマンが仕事帰りにバーに寄り、または家に帰って、グラスを傾けつつリラックスするという庶民の日常を描いたこのCMは、その2頭身半のプロポーションとコミカルな動きで、当時の大衆から圧倒的な支持を受け、毎日産業デザイン賞を受賞する。 大メディアからのオファー その現象を見逃さなかったのが朝

          柳原良平主義〜RyoheIZM 41〜

          柳原良平主義〜RyoheIZM 40〜

          ピカソと柳原良平 キュビズム 『ゲルニカ』や『アビニョンの女』などで有名なパブロ・ピカソは、言わずと知れた天才画家。その作品は、それまで主流だった写実的な絵とはかけ離れていた。 歪んだ顔やモチーフなどが独特な構図で配置され、抽象的なタッチで描かれている。この手法はキュビズムと呼ばれ、ピカソはジョルジュ・ブラックとともに、キュビズムの創始者と呼ばれた。 キュビズムとは、遠近法を用いて写実的に描かれた従来の絵とは異なり、さまざまな視点からモチーフを捉え、それぞれの要素を、単

          柳原良平主義〜RyoheIZM 40〜

          柳原良平主義〜RyoheIZM 39〜

          描きたくない被写体 描こうと思えば 柳原良平は広告出身の画家でありデザイナーだ。発注されれば基本的にはなんでも描かねばならない。とはいえ、どんな注文があろうが柳原はプロ中のプロ。描けないものなどはない。だが描きたくないものがあるらしい。 少年時代に戦争を体験した柳原は小学校2年ですでに、すべての戦艦や重巡洋艦の名前を、漢字で読み書きができるようになっていたと。そのくらい船が好きで、そこから客船のフォルムの美しさに惹かれて「船キチ良平」になった。 船は好きでも 船につい

          柳原良平主義〜RyoheIZM 39〜

          柳原良平主義〜RyoheIZM 38〜

          切り絵と、上野リチの授業 恩師の影響 自身の切り絵について柳原良平は、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)時代に教えを受けた、上野リチに影響を受けているかもしれないと言った。 それで上野リチという存在を調べるうちに、この人がいなかったらひょっとすると柳原の切り絵は生まれなかったのでは?とまで思えてきた。彼女の授業内容や教育方針が、とても画期的だったからだ。 上野リチという衝撃 上野リチとは、フェリース・リチ・リックス(1893〜1967)というオーストリア人女性で

          柳原良平主義〜RyoheIZM 38〜

          柳原良平主義〜37〜

          切り絵のメカニズム 柳原式、切り絵の基本 柳原良平の切り絵を間近で見るたびに受けるインパクトは、どこからくるのか?とよく考える。構図や色彩感だけでなく、対象をシンプル化する潔さやデフォルメのセンスもあるのだろう。しかしよく考えると、そうしたアーティスティックな側面のみならず、職人技に裏打ちされた精密さも、ひと役買っている気がしてならない。 例えばの話だが、濃紺の台紙に円状の黄色い紙を貼れば『満月の夜』という作品になるかもしれない。だが柳原がそれをする場合、そう簡単には済ま

          柳原良平主義〜37〜

          柳原良平主義〜RyoheIZM 36〜

          横浜の表札ハーバー以外にも 柳原良平は横浜を愛したが、横浜も柳原良平が大好きだった。柳原が描く港町・横浜の絵は、横浜市民の誇りであり、自慢のタネとなっていた。だから横浜に生まれ育った多くの企業は、自社商品をアピールするため、こぞって柳原に絵やデザインを依頼した。柳原の作品は、横浜を象徴するアイコンのような存在だった。 その代表的な例が、横濱ハーバーで知られる洋菓子メーカー、ありあけで、その逸話は以前(第6回)に書いたが、他にも横浜にある多くの会社の広告デザインを柳原は手が

          柳原良平主義〜RyoheIZM 36〜

          柳原良平主義〜RyoheIZM 35〜

          子供のための抽象画 絵本を次々と 柳原良平は、絵本『かおかお どんなかお』(こぐま社刊)の大ヒットを受けて、いくつも絵本を出すことになる。『のりもの いっぱい』や『やさい だいすき』(同社刊)では、乗り物や野菜に顔を描いて擬人化し、対象物に親しみを感じさせるというやり方で子供の心をとらえた。 見えないものを描く ただ『かおかお〜』と『のりもの〜』の間に柳原は、ちょっとした冒険をしている。においという目に見えないものを描くことになったのだ。目に見えないものをどうやって描く

          柳原良平主義〜RyoheIZM 35〜

          柳原良平主義〜RyoheIZM 34〜

          絵本と擬人化 ヒットのわけは? 前回、柳原良平が描いたロングセラーの大ヒット絵本『かおかお どんなかお』が生まれた経緯について書いた。今回は、ヒットの要因について考えてみる。 たとえば子供が産まれ、絵本を買い与えようと考える親はみな、今ならばネット検索し、どんな絵本が評判になっているのか調べるだろう。口コミなども熱心にチェックするかもしれない。 大人には分からない 『かおかお どんなかお』の口コミを読んで面白いと思うのは、親はさほど面白いと思わないのに、子供が気に入っ

          柳原良平主義〜RyoheIZM 34〜

          柳原良平主義〜RyoheIZM 33〜

          絵本作家として柳原良平は絵本作家としても知られている。本コラムでも紹介した『しょうぼうてい しゅつどうせよ』(福音館書店刊)などは1964年、柳原が寿屋(現サントリーホールディングス)を退社し、サン・アドを立ち上げた年、つまり広告制作で超多忙だった時期に出版されている。ちなみに、このとき柳原は33歳。 翌1965年には、これも本コラムで紹介した『三人のおまわりさん』(学習研究社刊)で独特な挿絵を描いている。ただこの2冊は、ともに作者がおり、柳原は絵のみを担当。だがその後、柳

          柳原良平主義〜RyoheIZM 33〜

          柳原良平主義〜RyoheIZM 32〜

          PR誌と立体作品 中高時代から 柳原良平は、立体の製作も得意だった。高校時代から大阪商船(現在の商船三井)の工務部に出入りし、建造中の船が完成する前に、設計図を借りて(1/200縮尺で)模型を作ってしまったりしていたくらいなのだから。 と、この話は以前にも書いたが、柳原のアートに対する興味は、そもそも絵画など平面作品に止まっていない。実際に柳原は、寿屋時代にも立体をいくつも製作している。 ユニークなキャラクター それは、続々と店舗数を増やしていくトリスバーを応援するた

          柳原良平主義〜RyoheIZM 32〜

          柳原良平主義〜RhoheIZM 31〜

          駅を飾る大作 壁画がお出迎え 大桟橋や山下公園にほど近い、みなとみらい線の日本大通り駅。改札を出るとすぐ、柳原良平による大きな3点の壁画が出迎えてくれる。どれも柳原らしい作風なので、見る人が見ればすぐにそれとわかるが、知らない人でもこういう作品をみれば、きっと港町・横浜に来た感慨が深まるのではないだろうか。 壁画はいずれも陶器によるモザイクのような作品で、あの柔らかくて人懐っこいタッチの絵柄が5メートル四方ほどの大きさをもって目の前に立ちはだかるが、初めて観ても懐かしいよ

          柳原良平主義〜RhoheIZM 31〜