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それが被害と気付くまで/島本理生『ファーストラヴ』

この搾取されていく感覚は、果たして加害者に理解してもらえるのだろうか。

読後、一番に思ったのはそれだった。

「人生を悲劇と喜劇に分つのは、”逃げ場”があるか否かである」というシェイクスピアの本を読んだ事がある。

父親を刺した環菜に改めて「動機はそちらで見つけてください」と言われたら、「貴女には逃げ場がなかったから」と答えるしかないと思った。


環菜のような不遇な環境でなかった私でさえ、彼女が受けた被害の正体に心当たりがあった。

昔、友人の恋人に突然車の中で手を握られた事がある。友人が少し車から離れていたほんの数分の出来事だ。
振り払う事はできなかった。
硬直した私の肌の質感を確かめるように触りながら、「嫌がらないんだね」と勝ち誇ったように言った男の声はよく覚えている。

また、保健体育の教科書に載っているような性行為だけで十分なのに、恋人に口戯を要求され、半年以上拒み続けていたら突然後頭部を抑えつけられて無理やり口に含まされそうになった事は今でも痛む傷である。

私だけに限らず、本書の中で描かれる被害の火種はそこら中に落ちている気がしてならなかった。

友人も、通っている塾講師に家庭の悩みを話し、心を開きかけた矢先に突如抱きしめられ、キスされた事があったと話していた。「嫌?」と聞かれ、友人がフリーズしていると、その男は舌を捻じ込んできたという。

「なぜ抵抗しないのか?」と聞かれても答えられない。当時の私達は知らなかった、としか言いようがない。突然そんな風に一方的に搾取される可能性を、知らなかった。
いくら親に言い聞かせられていても、心身共に未熟だった私達は、本当の意味で理解出来ていなかったのだ。


物心ついた頃から幾度となく受けているような、他人からの搾取による恐怖と嫌悪は、分かりやすい。

電車の中で必要以上に密着された時の吐き気。臀部を触られたり、股間を押し付けられた時の不快感。
隣に座った男の手が太腿の下に押し込まれた時の鳥肌。スマホを見ているフリをしてスカートの際を盗み撮られた時の衝撃。

古本屋で立ち読みしていた時の、背後を通過しながら臀部に手を当ててくる男の後ろ姿。
私の近くにある本を取るように近づいては足を撫でてくる男の湿った前髪。

友人の中には、制服のスカートを刃物で裂かれた子や、鞄を持っていた手の甲に剥き出しの性器を擦られた子もいた。

全て一生忘れられないだろう。


しかし、対話を重ね、”個”として認識してもらっているはずの相手から道具のように扱われる惨めさは分かりにくい。

相手の欲望を見抜いて対処しなければ搾取され続けるだけなので、まだ物事の分別を付けられない少年少女が深刻な犠牲者になってしまうのだろう。

どこにも逃げ場のない彼女達が、信頼関係を築きたいと願った相手から根こそぎ尊厳を奪われてしまっても、煙に巻かれて分からなくなる。

加えて、相手が保身のために“最悪の一線”を越えないよう計っていた場合、「◯◯された」と被害の卑劣さを表す共通言語がない。


そんな靄がかった被害の重みと根深さがどれほどのものか、この本の中で環菜が体現することで垣間見せてくれた。

物語であるけれど、この事件をきっかけに、未成熟期に受ける全ての性被害がその後の人生に重要な影響をもたらす事が広く認知されれば良いな、と強く思った。

また、一人では家も借りられず、働けもせず、誰かの庇護下に置かれなければ生きていけない少年少女を「精神的に大人」や「対等な立場」と勝手に解釈する利己的な人が、一人でもいなくなるよう切に願う。







end.

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