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インドの印象2 第2話「カラス」
第2話「カラス」
動物にからめた人々の生活譚を続けます。ティベッタンボーディングハウスは5階にあったので、窓からよく外の景色を見ていました。素晴しい眺め、というわけではありません。しかし、空の眺めというのは、世界中そう変わるものではないと思います。空気の透明度とか細かい話を抜きにすれば、青い空にぽっかりと雲が浮かんで‥‥ということで、コルカタで見た雲というのはだいたい日本で言う所の「入道雲」というやつですね。この「立体感」というものが大好きなので、よく眺めていました。
1度か2度、夜になって真っ暗なスクリーンに、見事な天空ショーが始まったことがありました。稲妻です。ミニアチュールによく描かれていますが、日本人からすればおそらく「何と恐ろしい」という気になるでしょう。所が実際見ると違うんです。もちろん「雲と雷は雨期の到来、インド人の待ちかねた季節」という解釈もできるでしょうが、そういう心情的なものではなく、「動く風景」として楽しむことができました。
インドの空はずっと遠くまで続いています。その遠くの方、ガンガーの向こうの水田に囲まれた村々の上あたり、多分そんな所で音もなくただ、稲光だけが、何故か垂直ではなく水平に、それこそ稲の上を、右からら左に、左から右に、花火のような光が伝わっていきます。瞬間、その光によって雲が映し出されます。遠く音も伝わらないから怖いわけがありません。まさに古い「幻灯」の様でありました。
さて、地上はどうでしょう。インドの現実が広がっています。すぐ眼下は鉄くずの集積場になっていました。全体は何十メートルもある敷地で、そこを波を打ったような鉄板とかで区画分けをし、それぞれにトラックがやってきて赤茶けて、さびだらけの古びた鉄屑を降ろして、それをまた山のように積み上げて行きます。その鉄くずの山の壁がこっちの煉瓦を積み上げてできたビルのほんの3メートルほどまで迫っています。鉄の山の上には作業する人が乗っていて、手に鉄棒を持ち、その先端についている円柱状の重い鉄塊で、どすんどすんと空き缶とかを押しつぶしてはいましたが、必死の様子でもなく、何だか少しのんびりしたものに見えていました。
その周辺には路上生活者達がいました。表通りなどは、うっかり遅くなって真っ暗になった頃に帰ると、舗道上は布を敷いて眠る人であふれ、踏んずけたりしないよう、抜き足差し足でそっと歩かなくてはならないくらいです。しかし、その区分けの鉄板の壁に張り付いたような形で、何処からか、かき集めてきたような材木を使って、小屋を作り付けている一家が住んでいました。背の高い、痩せて、ほお骨の突き出た、それこそ精悍な顔つきの父親が、一家を率いてるといった感じで、表の路上で、取り壊した家から出る古い木材、割れた板を縄で縛って束ね、燃料とかで売れるんでしょう、汗を流して毎日一生懸命でした。
彼の家族もまた一日その辺で働いています。こちら側のビルと、鉄くず置きの仕切りの鉄板の間の地べた、まあ、路地とでも言うんでしょうか、そこに座って作業をします。前に一個の煉瓦、手には金づち。古板から出てくる折れ曲がった釘を煉瓦に載せ、金づちでトトンと叩けば、あら不思議、ほとんど一、二発で真っすぐに直します。サッと手をすべらせ、真っすぐになった釘を横に払い、次の曲がった釘を煉瓦に載せ、またトトン。この繰り返し。簡単そうに見えても、長年やってるから1回2回で直せるんでしょう。これが妻の仕事、あ、いや、妻だけではありません。おばあさんもむすめ達も、皆周辺に座ってやっています。5、6歳の女の子まで本当に器用に手を動かして。(赤ん坊だけが、おしめもせずにそのでこぼこの地面の上にオッチンしています。)手も動いていますが、口も動きます。会話は何やら、常に弾んでいました。
おそらく、それらの真っすぐに直した釘は、業者の手を通して「再生古釘」として販売されるはず。曲がった釘はいくらでも現われます。直しても直しても、尽きないようでしたが、得られる収入は、ほんのわずかだったと思います。何しろ、遠目にも光った釘ではなく、本当に真っ赤に錆びているのがわかる、大変古いもののようでした。だから、もう柔らかく、簡単に直せたのかも知れません。直して使うと危ないから、溶かして使う方がいいように思いますが、彼らの考えと言うか、システムは違っているようでした。
そのすぐ横の方では、家はあるが、仕事もせずにブラブラしている若い連中、若者が、円盤でできた玉突きゲームのようなのを、これまた日がな一日飽きもせずやっていたりしました。何ともコントラストの激しいもの、彼らとて多分、怠け者というのではなく、仕事がないからそうしていただけなのでしょう。
もっとも、これは私が勝手に思っているだけで、確かめたわけではないのですが、インドでは、たとえ学校を卒業したとしても、すぐに「就職だ」という感覚ではなく、その必要が来るときまで、例えば結婚とか、その日までは特に仕事をするわけでもなく、家で家族と一緒にいることが多いような気がします。妻を貰って一家を構えるには家族を養うための仕事がいる、じゃあひとつ誰かに頼んでみるか、というような感覚。
人生に対する考え方がちょっと違うと思います。エリート達はまた違うんでしょうが、一般の人達の「家族」というものは、大変に結びつきが強く、極端な話、家族のうちの誰か一人が、何処かにつとめておれば、それで結構、皆が食べて行けるので、兄弟、息子、いとこだろうが、一緒に暮らし、必ずしも職に就いてなくても、何となく仲良く、皆が暮らして行く、というような感じです。 しかし、そんな「勤め先」とかを持たない「路上生活者」は、また話が違います。皆、必死で何かをやっています。
さて、いよいよカラスの登場です。このカラスがまあ犬に負けず劣らず沢山います。真っ黒ではありません。ちょっと小型で、肩の辺りが灰色がかっています。よく知りませんがひょっとしてこれを「ワタリガラス」というのでしょうか。「どうして机に似ているのでしょう?」というやつです。いや、それはどうももっと大型のようで、どうやらイエガラスと言うようです。まあ、ここは動物専門ではないので、これ以上の詮索はやめておきます。別に日本式の真っ黒のもいるらしいんですが、見かけたことはついぞありません。で、このお家のカラス君の方が、見ていると鉄くずの山に飛んできて、針金を丹念に物色し、やがて1本ずつくわえては飛んで行きます。一体何にするんだろう?全く分りません。
カラスというのは「何でも食べる」というのが通説のようです。もちろん「屍肉」もです。だから、ガンガー(ガンジス川)のほとり、遺体の焼かれるガートの周辺にはこのカラスがたくさん住んでいるそうな。何とも薄気味悪いですが、これも大自然のサイクルの一つということでしょう。路上に、何か食べものをうっかり落したとします、するとすかさずカラスがやってきて、さっとくわえて持って行きます。「ちっ、やられたか」と、まあ、別に落ちたものを拾って食べるわけではありませんので、そうは思わないでしょうが、路上を綺麗にしてくれていることは確かです。しかし、それにしてもですよ、「針金を喰うカラス」ってのは聞いたことがありません。でも、目の前では日に何本も何本も。
日が暮れると、カラスは帰って行ったのか、姿を消します。人も仕事を終えて、夕食の準備となります。そういう薄暗い頃、先ほどの一家の前を通ったりすると、路上、ロウソクをともし、子供らが集まって何かしています。「何してるんだろう?」と思って覗いてみると、ノートを広げて勉強をしているんです。
「あっ、そうか、ちゃんと頑張ってるんだ」
と感心しきり。
そしてもっと見ると、字が‥‥ベンガル文字でもヒンディー文字でもない、右から左に書く「アラビア文字」なんです。それぐらいの知識は仕入れてインドへは行っていたので、驚いて「ウルドゥー?」と訊くと「ハーン(そうだ)」とのこと。おそらくウルドゥー語を話す北西地域から来た人々なんだろう。コルカタにはインドの貧しい地域から逃れてきた人々が、まともな職を得ることもままならず、路上生活を余儀なくされているという現実があります。その辺は映画とかにもなっていて、「渡河」という映画はそんな内容でした。しかし、子供でも昼間は太陽の火の下で仕事をし、夜はロウソクの火の下で勉強をする、すごい!
でも、正直、その時思ったのは、
「ここまで来てもまだウルドゥーか!?」
というものでした。
日本人だったら、普通そこの土地の言葉を勉強するもの。郷に入っては何とかです。ここはコルカタ、ベンゴリをと。ところがインドの人は自分たちの言葉を何時までも忘れません。それともイスラム教徒だから宗教的理由、コーランを読むために必要だからでしょうか。覗き込まれた女の子はこっちを見上げ言いました。
「ペンシル、ドー」
ドーというのは知りませんでしたので、怪訝な顔で、
「ドー?‥‥ディージエ(ください)?」と訊けば、
「ハーン、ディージエ」
鉛筆が欲しいんだ。
でも、その時は持ち合わせがありませんでした。
やがて冬が近づき、木の葉が落ちる頃になりました。インドでも「落葉」ってあるんだ、とその方が少し驚きでした。一年中暑いんだったら、一年中緑の葉っぱが生い茂ってるんだろうと、何となく思っているもの。その大きな葉が一枚また一枚と落ちて行き、やがてすっかりなくなって、枝がむき出しになってしまいました。全ての木々がそうなったというわけではなく、落ちる木もある、ということなんでしょうが、喬木の多くが枝になりました。するとどうでしょう、謎が解けるときが来たのです。
枝のあちこちに黒い塊のようなものが見えます。日本だったら「ああ宿り木だ」ということになりますが、そこでは違いました。何とカラスの巣でした。別に山に帰ってたわけではなく、すぐ近くに巣を作っていたんです。だから「イエガラス」。なおもじっと見つめると、
「ん?何だかおかしい‥‥」
そう、その巣は、あの針金でできていたのです。
「そういうことだったのか!」と大いに納得。腑に落ちるとはこのこと。トンビに油揚、カラスに針金‥‥。
日本でも枝で作った巣に、ちょっと針金ハンガーが混じったりしてることはあるでしょう。でも全編これ針金!中に卵があり、そこでひなも育つ。ちょっとは痛いだろうし、いくら寒くなったとはいえそこはインド、まともに陽が当たれば、鉄ならうんと熱くなってしまうんじゃないか?と、他人のセンキを頭痛に病むような。木も重くてたまらんだろうし、強い風でも吹こうものなら、堪えかねて太い枝ごと折れてしまうんじゃないかとか。深くじっと数秒間、たたずむのでした。
ことほど左様にインドの生き物、人々はたくましくできていて、驚くようなことがしばしばありました。 過酷な自然や、過酷な状況を、知恵と工夫、バイタリティで乗り越えて行く。
「こりゃインドはそのうちきっとすごいことになるぞ」
と思っていました。
80年代までインドは自国の産業保護という名目で、ほとんど経済的に鎖国のような状態でしたが、それがかえって発展の妨げになっていると気付き、開放政策に転じてからのインド、90年代以降は、目覚ましい発展を遂げて今も尚、進撃中です。しかし、それらの元となるのは、こういう背景があってこそのものだと思います。その当時の日本人のインドに対する印象は、無気力だとか、神秘と瞑想の国というようなものが多かったように思います。外国の旅行者がどうしても接せざるを得ない公的機関の人、つまり役人などは、確かにとんでもない所があって、それはそれで面白いので、また別に書きたいと思いますが、ところが実際接してみる一般の人たちは、日本人を圧倒するような、エネルギッシュな人達でした。
音楽でもそうです。深く静かで、瞑想的な面もあれば、やがてとんでもなくエネルギーに満ちあふれたものになって進んで行きます。インドの産業と同じようにインドの音楽も、広がっています。
ところで、あの鉛筆、お金を渡せばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、物乞いならいざ知らず、働いてる一家の子にそういうことをすると、トラブルになったりするといけないので、自分で買って現物を渡そうかと思っていました。しかし、何やかやするうちに病を得て、急遽帰国することになったため、あとからちょっと後悔する羽目になりました。「あの時渡しておけば、もっとインドに寄与できたかもしれないのに」と言えば大袈裟ですが。「俺は後悔なんか絶対しない生き方をする」とか言う人がいたりしますが、まあ、人間後悔はつきものだと思います。何年か経って、懐かしさのあまりまた行ってみると、残念ながらもうそこには誰も住んではいませんでした。と言うか、そんな作り付けの木造物そのものがなく、かなり州政府が外部からの流入者を排除に動いたという話もあり、その辺一帯の路上ミシンの仕立て屋もすっかりなくなっていました。きっと頑張った末に、もっといい仕事と住居を手に入れたんだと思います。そう願うしかありません。
このお話では、まるでカラスの巣と流浪者の家を同列に比較したかの如くですが、そういうつもりは毛頭ありません。ただ、乏しいものを使って必死に生活するインドの人や動物の姿を、垣間見た見聞で描いてみました。
(第2話「カラス」終わり)2020.4.22