インドの印象3 第3話「ヤモリ」第4話「天井の羽根」
第3話「ヤモリ」
インドには個性的な生き物が沢山いて、ヤモリもそのうちの一つです。多分、暑いアジア地域では普通に見られるものなんでしょう。フィリピンやインドネシアとかでも。もちろん日本にもいますが、それとの違いの一番は何と言ってもサイズです。普通、日本では10センチくらいではないでしょうか。嫌いな人は嫌いなんでしょうが、何だか雨蛙の長いようなのといった感じで、可愛らしく見えます。第一、人との接触を嫌うのですぐ逃げようとします。ところがあちらのは20センチが普通です。ちょっと大きいのになると30センチ近くなります。頭も比率的にかなり大きく、デカ頭に大きな口がつき、かなりの虫でも一口です。
両手を広げ「こんくらいのが前の道にいた」とか言うインド人もいました。この手のことをインド人はよく言います。人を驚かせるのがインドのジョークの基本、ちょっとでも相手が混乱したりすると、してやったりと喜ぶ、という図がよく見られます。「俺は騙されないぞ」とか身構えるのはやめましょう。そういう「文化」です。
蛇だったかトカゲだったかヤモリだったか忘れましたが、「タッカック」というのがいるそうです。樹上にいて下を通る人がいると、真上から落ちてきて、頭頂部に噛み付くとか。毒持ちなので人はイチコロです。へえー、とちょっと驚いてやることです。意地悪ではありません。礼儀です。これは私が帽子をかぶっていたため、
「帽子は大切だ」
と言い出し、この話につながります。その毒蛇は、どうも帽子をかぶっているのが分るようなのだ。
インドの人はあの強い直射日光の下でも、決して帽子をかぶりません。ココナッツオイルをたっぷり髪に塗り付け、クシでセット、
「これで大丈夫だ、お前もやれ」
となります。缶にたっぷりと入っていて、向かい合わせに孔を開け、そこから、かなりネトーッとしたのを手に受けて、その頃はまだあった髪に塗る。でも慣れないとかなり気持ち悪いこと請け合い。頭というより、その塗った手の方が。
大分年齢を重ね、髪がうんと薄くなってからのこと、つまり今までの話とは違い少し時が経ってからのことですが、その頃はもう、直射日光がかなりこたえるようになり、帽子というものを探した訳です。しかし、いいのが見当たらず、結局クリケットの審判用の白いのを買い、いつもかぶっていました。それがまた、彼らのユーモア精神に火を点けたのでしょう。
いつのことだったか、ある宿屋で、そこの経営者一族の一番若い男の子が、私が入り口の机で毎日の支払いをしていると、声を掛けてきます。ほんとうに他愛のない内容でしたが、やはり、そのクリケット帽が気になり、手を伸ばして勝手に取って、自分の頭に載せます。「俺、審判」てなことをやっておどけたかったのでしょう。ところが、取った後に現われた私の頭が「輝いて」いたので、まるで、引きつけでも起こしたかのように、突然の大笑いを始めました。
「お、お前、ハ、ハ、ハゲてんのかー!ヒーヒヒヒッ、ヒヒッ、ヒッ‥‥、クークククッ‥‥、そ、それでこの帽子を‥‥、ハヒハヒハヒ‥‥、ヒヒッ、」
そのあまりの激しさ、またしつこさに、私より、周りにいた彼の兄達の方が呆然としていました。ただ「お客様に対して失礼だぞ!」とか叱る文化ではないようで、弟に対して何も言いはしませんでしたが、何分間か続いたその間「どうなってんの」というような顔をし、こちらと視線が合わないよう目が泳いでいました。きっとその子は17、8歳には見えたんですが、本当はまだ12、3歳だったのかも知れません。インドの子供は大変ませて見えるものです。それに態度も堂々としています。丁々発止で物を売ったりもできます。あるいは、その子が宿主の息子であり、他の兄に見えたのはいとことか、いわゆる一族のものだったのかも知れません。
いや、何だか脱線気味です。要するに、こんなふうなジョークや笑いの種を生活の中に見つけて、インド人も生きているということを知ってもらいたかったわけです。結局その帽子はホーリー祭の混乱の最中、見知らぬ若者に「これおもろい」と、持って行かれてしまいました。これらもその一連のジョークの中に入ります。すべて「あっはっは」です。
話も時代も戻して、ヤモリのこと、彼らは逃げません。虫を捕食するのが仕事なので、人が近寄ったくらいで逃げていては始まりません。暗くなり、灯火に虫が集まってくるのをじっと待っています。壁の色はだいたい薄緑色に塗られていることが多いので、彼らもその薄緑に変身しています。樹上などでは保護色よろしく、グロテスクな色にもなるのでしょうが、部屋では近寄っても余り気味の悪さを感じさせないので、よく観察してみました。その方面のマニアではないので虫眼鏡なし、不確かなことしか言えません。が、とある驚くべきことを発見してしまいました。
頭の両側には耳の孔があります。そこは両生類のカエルとは違います。水に潜ったりはしないので。
さて、その孔をじっと見ていて、
「あっ!」と思うことに気付きました。
‥‥向こうの景色が見えるんです!
ははーん、こりゃ大分インドの「文化」に染まってしまったんだな、と思われることでしょう。確かにここには誇張があります。それは「景色」です。何しろ壁に張り付いている生き物ですから、そのいくら大きいといってもコモドドラゴンほどでもなし、壁から2㎝の高さ位にあるその孔に、目を持って行くのは不可能です。特に私はほお骨が高いので、いくら壁に押し付けても、壁が窪まない限り見られません。そこまで硬くはありません。
でもチラッとではありますが、確かに向こうの明るい薄緑色の壁が見えたのです。もし細い棒があれば、例えばあのゼムピンというやつ、細長い針金を楕円形にぐるぐると、運動場のトラックのような形に巻いたもの、あれを少し真っすぐに伸ばし、そっとその耳に差し込んだなら、何事もないかのごとく向こう側の耳の孔から出てくるというような。
「えー!脳みそはないのか!」
私もそう思います。だから決してそんなことはないと思います。でもひょっとすると、その方が虫の小さな音でもしっかり聴き取れるようになるとか、小動物の脳は小さなもので、貫通する耳道をまたがなくても十分にそのスペースはある、あるいは、あの大きな目がそうであるように、実は透明なウロコに覆われているんだとか。これ以上の追求はしていないので真相は分りません。
しかし、灯火に大きな蛾が飛んできたりします。
「うわ、やっかいだ」
と誰しも思います。所がサッとこのヤモリが現われます。何と頼もしいことか。問答無用で「パクッ」とやってくれ「ハイ、終了」です。虫というのは単に気持ち悪いというだけでなく、毒を持っています。これは冗談ではありません。「何これ、知らん、見たことない」というのが飛んで来て、見事刺され、何日も痛く腫れて不快な思いをしたことがありました。蚊でも蜂でも、蟻でもありません。蟻と言えば「シロアリ」が大量発生します。3月頃でしょうか。夜の街を流して行きます。各商店の看板のライト、イルミネーションに、無数のシロアリが群がって飛び回ります。しばらくして見ると、隣の店に移動しています、そしてまた次の店へと。まるで挨拶廻りに来ているようです。はて、どこまでそれを続けるのやら。さすがにここまで多いと、まあインドの言い方「ナユタ」とか使いたくなるような数では、いかな大食漢のヤモリ君といえども手には負えないでしょうが、パクパクと食べていることは確かです。
要するに家を守っているのです。日本語の意味そのままです。そして「犬」のお話の所でもちょっと触れたように、どうも縄張りを持っているようなのです。その辺も日本のとは大分違います。確固たる「我」を持っているというか。「一寸の虫にも五分の魂」と言いますがインドなら、「一尺のヤモリにも五寸の魂」でしょうか。「根性」と言ってもいいかも知れません。逃げも隠れもせずその部屋の領有権を争う、狩猟家といった感じ。
「いいか、こっちの壁は俺のもの。お前のは反対側の壁。だから、当然こっちの壁にある電灯に来る虫は、全部こっちのものだ。ほんでもって、天井は領有権を分け合おうではないか。」
一部屋に数匹はいる者たちの間では、このような取り決めでもあるのでしょうか。この種と同じかは知りませんが、爬虫類好きな人はヤモリでもペットにしている訳ですから、インドでは犬と同じでペットにまではしないまでも、嫌ったり追い出そうというような人はいません。食べ物豊富だし、迫害受けず自由だし、まるでヤモリにとって天国のような所ではないでしょうか。これが夜、寝ていると上から落ちてきたりします。
やはり、虫は灯火に集まるもの、それを求めて隅に追いやられている弱者でも、危険を冒して領界侵犯せざるを得ないことになります。しかし、勝手にひかれた目に見えない線を超えると、より大きい方のが、荒くれて迫ってきます。追い払われた方が逃げ惑い、手を滑らせるのです。かなりのスピードで追います。素早く逃げるためのテクニックとして落ちるのかも知れません。
「おっ、しめた下はベッドだ、落ちても痛くないぞ」と。
そういう関係を続けていると段々愛おしい存在になってきます。まあ、ちょっと日本に移入というわけにはいかないでしょうが。日本で同じような商売をしている者達が、被害を受けること間違いなしです。日本固有のヤモリとか、わが部屋にもたくさん生息するハエトリグモとか。猫を飼っている家では、猫が無関心ではいられないと思います。必ずちょっかいを出します。この点も不思議ですが、インド人は何故か余り猫を飼いたがらない、と言うか、ほとんど興味ないようです。飼われてないというより、野良でも少ない。時たま屋根の上を歩いているのを見かけるくらい。その辺はコルカタだけのことなのかは分かりません。
こういう環境があればこそ、彼らヤモリ一族の生存繁栄が約束されているということでしょう。ここでは日本を比較の対象としましたが、暑い地方、沖縄とかにはひょっとすると大きいのがいるかも知れません。無知なままインドでの印象を綴ってみました。
(第3話「ヤモリ」終わり)2020.4.23
第4話「天井の羽根」
インドは暑いので、必ず各部屋の天井には風を送るためのファンが付いていて、くるくるいつも回っています。おそらくこれがなかったら生きて行けないでしょう。
「あー、暑くて死にそうだ!」
などと我々は言ったりしますが、ちょっと日本とはレベルが違います。まあ、最近は日本も負けないくらい暑くなりましたので、
「でも、日本は湿度が高いから蒸し暑いんだよ」
と「自己の正当性」を主張、反論したくもなるでしょうが、おっと、こちらもおそらくインド(コルカタ)の方が上ではないかと思います。普通の生活空間が蒸し風呂化し、頭がボーッとしてフラフラしてくる時があります。そういう世界ですから、この天井ファン、シーリングファンは欠かせません。しかし、それを動かすには電気というものが必要です。当時のインドにはこれが足りません。するとどうするか。停電です。それも計画停電、いや、計画は計画ですが、それは大きなくくりでのことで、もっと適当であり「恣意的停電」と呼ぶべきものでしょう。
コルカタの発電所の所長が配電盤を前にして、こんな独り言を言っています。
「さーて、次はこの区域へ電気を送って、まあこっちはしばらくなしだな。」
多分こんな感じ。時には、
「あ、やっぱこっちか」
と気持ちが揺れたりします。その結果、電気は点いたり消えたり、その平等さに、適当に選ばれた地区はたまりません。突然の停電にすべての快楽を奪われ、
「ノーシーリング!!」と嘆く他はありません。
日本の田んぼの水の配分に似ていなくもありません。わずかな谷川の水で水田を作ってる村人達は、厳格な管理の元に時間を決めて水の向きを変えているそうです。あ、いや、全然そういう意味では似てないですね。何の前触れもなく適当にストップさせるだけですから。配電盤の前の人には、市民の嘆きの声や怨嗟の声は届きません。「平等」とはこういうことなんでしょう。
電気が通ってる限りは、夜中でもつけたままで寝ます。さすがに常に風が当たると、血行が悪くなってしまうので「消した方がいい」という気がしますが、毛布を頭からすっぽりかぶって、ぶんぶんファンを回して寝るのがインドの流儀です。
「何か理由はあるの?」
と思われるでしょう。はい、あります。大いにあります。蚊を吹き飛ばすためです。もしファンなしで寝たとすれば、蚊の大群に襲われ、大変な目に遭います。先ず覚えるべきインドでの生活のテクニックはこれでしょう。するとつまり、こういう夜中に電気を止められるのが一番人々はこたえます。汗みずくになって毛布から顔を出せば、わっと蚊に襲われ、パッと被ればウウッと息が詰まる、たまらず顔を出せばまたわっと襲われる。はい、この繰り返しです。実際にこういう目にあった人間のみが語れる真実です。初めは自分の出した息を繰り返し吸うことになる「密閉空間」化に堪えられなくなりますが、そこはそれ「慣れ」というやつです、仕方ありません、必ずマスターしなくてはなりませんので。
さて、先生のプロノッブさんの家での出来事です。あるとき尋ねると、部屋のペンキ塗りが始まっていました。家族総出で、慣れない作業に挑んでいたのです。どうもこういうことって、インド人苦手のような気がします。そもそも「ドゥーイットユアセルフ」というような概念がなく、ちょっとしたことまで、それをやる人(あえて「その道のプロ」とは書きません。これが今回の「伏線」のようなものです。)にやらせる、というのがインドの生活スタイルです。それによって多くの人が生きて行けるわけで、アメリカ人のように「家まで自分で作ってしまう」というようなことでは、そもそも社会自体が立ち行かなくなります。多くの人が、ちょっとした仕事で生きているのでした。
だからびっくりしたのですが、やはり仕事はすいすいと行ってるようには見えませんでした。
次の日また訪ねると、見知らぬ男が入って塗っていました。「高い方はもう無理」ということで、連れてきたそう。しかし、これがまた、どう見ても下手、と言うか、余りにもあんまりなので、呆れてしまいました。はっきり言って「常識」というものがないんです。今から塗ろうとする部屋の家具とか電気製品とか、汚したくないものは、普通外に出すでしょう。それをそのままで塗る、だからペンキのしずくがテレビや棚にかかる。でも皆「ふーん、そうなんだ」と見てるだけ、まるで「運命」の前に、あらがう術を持たないかのような人達。
見るに見かねて、さっと新聞紙をテレビの上に広げました。すると、
「おおーっ、さすが日本人!」
と皆感心する。でも普通誰でもそうするでしょ、と思うんですが、どうもそうではないよう、インドでは。
高い所は木製の脚立のようなはしご、つまり下がえらく広がった、A字型のはしごを壁にかけて塗っていました。もちろん暑いので、シーリングファンは回っています。私は用事があったのでその辺まで見た所で外に出て、夕近くまた帰ってきました。すると事件は起こっていました。
この男、そこまで下手とは。「折り紙付き」と形容したいほど。なにしろ、はしごを移動するのに、ファンを止めなかったのです。無造作にひょいと持ち上げて、動かす。
「ガンッ!!」
ファンに当たる。
「バキン!」
羽根が折れる。すると、次の瞬間
「ブーン」
根元から折れた羽根が飛んでくる。少なくとも長さ50cmくらいはあり、それが入り口で見ていた奥さんの二の腕に当たる。傷を負って、血が出る。
この後すぐくらいに私は帰ったようで、そのときプロノッブさんは奥さんに向かって、こう言っていました。
「お前の体はワックス(ロウ)のようだ」
ちょっと頭が混乱してきました。起きたことも起きたことですが、その反応も反応。額に手を当てて「ふーっ」とかカッコつけて天を仰ぐ、外国の映画かなにかのようなポーズでも取るしかないような。
「な、何かおかしくない?」
そう言いたい所、でも素朴な意見の前にはそんなの全く無力でしかありませんでした。
「お前はワックスを知らないのか、キャンドルのことだ!」
とご丁寧に解説。つまりちょっとしたことですぐ傷ができてしまう、ということだそうだ。幸い傷は浅いようで、大したことはなかったようでした。
--しかし、これはどう考えてもおかしい、何しろ言葉の向かうべき相手が違うだろう!--
しかし、そのへまをやらかした男は何も叱責された様子もなく、ちょっと暗い顔、気まずそうな顔はしていても、日当を手渡されて帰って行きました。もし払わなかったら、それはそれで騒ぎが起きたことでしょう。これは、また別のお話として書いてみたいのですが、インド人というのは一人に見えても、決して一人ではありません。彼の背後にはたくさんの仲間がいるのです。
「あの男はペンキ屋なんですか?」
と訊くと、
「いや、その辺にいる男だ」
とのこと。つまり便利屋のようなものなんでしょう。あの末広のはしごを所有しているということで、いろいろな仕事を請け負うということ。
もし、その場に私がいなかったら、話はこれで終わっていたでしょう。しかし夜になるとプロノッブさんはこう私に言ってきました。
「このままでは暑くて寝ることができない。明日、電気屋ヘ行き、新しいのに付け替えてもらうから、そのファン代を貸してくれ。」
全くどうしようもありません。「やれやれ」といった感じです。結局こっちにまでとばっちりの結末でした。
(第4話「天井の羽根」終わり)2020.6.17