【短編ホラー】Speaker

 午前二時をお伝えします。深夜放送のお時間です。

 タイトルコールも音楽も無いと調子狂うな……。えーっと、気を取り直して、本日のお相手は私、ヤギサワアキラ。

 さて日増しに暑くなってきていますが、夏といえば真っ先に思い浮かぶものは何ですか? 
 人によっていろいろあるでしょう。でも、私とリスナーの皆さんが共有できるものといったらこれしかありませんよね。怪談。
 怪談と一口に言っても、いろんなのがあるんですね。最近ではご当地怪談なんてのもあるようです。

 ここでリスナーの皆さんのご当地怪談を聞けたらいいんですけど、生憎メールもファックスも受け付けてないんですよね、この放送。まあ、超ローカル放送なんで募集したところで大して来ないでしょうし、来たとしてもお化けスピーカーの話ばかりなんでしょうけど。

 ああ、合いの手もお便りのコーナーもなく一人で喋り続けるの、割ときついな。それで、何でしたっけ。そうそう、お化けスピーカー。我らが××町の誇るご当地怪談ですね。
 今夜は改めてその成り立ちから今に至るまでをお話ししたいと思います。

 約二十年前、町のある小学校の放送機材が後期早々、何の前触れもなく動かなくなったことから話は始まります。すぐに修理業者が呼ばれましたが、悪条件が重なり復旧のめどは立ちませんでした。
 当時私は中学生だったのであくまで聞いた話ですが、校内放送なしの生活は相当不便だったらしいです。
 それでも何とかやっていけたのは、ひとえに生徒数が少なかったおかげでしょうね。あの頃にはだいぶ過疎が進んで、一クラスしかない学年もありましたから。

 最初の怪異が起きたのは、時計を見て動く生活に小学生たちが慣れてきた頃でした。真夜中、ちょうどこのくらいの時間です。校庭へ向けられたスピーカーから、突然女の人の声が流れだしたのです。
 声は一人の指名手配犯の名前と罪状、そして隣県にある大きなショッピングモールの名前を、それぞれ三度繰り返したそうです。

 手配犯が捕まったのはその二日後でした。
 謎の放送が話題になったのは、犯人が放送のあった時刻、件のショッピングセンター周辺にいたとニュースで報じられた後でした。不思議なものであの放送が正しかったとわかるや、実は私も、僕も聞いた、なんて人が何人も出てきました。
 ああ、ちなみになぜ小学校のスピーカーからだとわかったかですが、位置的にそこしか考えられなかったからです。

 話を戻します。一通り笑ったり怖がったりすると、またああいう放送があるんじゃないか、という声が上がるようになりました。その期待に応えるように二度目の放送があったのは、数日後のことでした。
 朝、登校するなり「またあったぞ!」と叫んだクラスメイトの顔を、私は今でも憶えています。喜びと優越感、畏れと預言者めいた使命感がないまぜになった顔でした。彼は鞄からノートを引っ張り出し、強盗殺人犯だという男の名前やそいつがいるという駅の名前を大声で読み上げました。
 ほどなく放送通りの場所で件の男が捕まりました。次の日は学校中その話題で持ちきりでした。
 運良く二度目の放送を聞いた男子は、一躍人気者になりました。ですが私は彼に群がる一団の中へ入る気にはなれませんでした。面白くなかったのです。彼が私には羨ましくて仕方ありませんでした。

 その夜から私は、自室の窓を開けて網戸にして寝るようになりました。放送が聞こえるようにです。季節が良かったので暑くも寒くもありませんでした。ド田舎なので泥棒の心配もありません。玄関の鍵をかけない家もあったくらいですし。
 枕元に紙と鉛筆を用意して待ちましたが、万全の態勢で床に就き、夜中に一度も目覚めることなく白紙とともに朝を迎える日が続きました。

 中学校では学校の近くに住む人たちによる放送の有無の報告が恒例となっていました。私はいつも寝覚めの悪さや不安を抱きつつ彼らの登校を待ったものです。彼らの「今日はなかった」の一言を聞いて初めて、私は落胆とともに自分が気付けなかっただけじゃないんだ、という安堵を受け取ることができました。
 身近なところで、自分の知らないうちに不思議なことが起きていたなんて、仲間外れにされたみたいでなんか悔しいじゃないですか。

 期待、落胆、焦燥、安堵をハイペースで繰り返すのは随分と消耗しました。
 どうして私はここまで謎の放送に執着したんでしょうね。今でも疑問です。でも、その執着がこの瞬間に繋がっていることを思うと、そういう巡り合わせだったのかもしれません。

 さて、二度目の放送から一週間、ようやく、ようやく寝て待つ私に果報が訪れました。
 ノイズがかった陰気な女の声に目を覚ました私は、すぐさま布団から半身這い出し、枕元の筆記用具を手に取りました。寝起きの割にスムーズに動けました。でもやっぱりいくらか寝ぼけてたんですね。何の感慨もありませんでした。繰り返し読み上げられる文言を、私は書記のように書き綴っていきました。
 放送が終わると私は手元のものを枕元に押しやり、逆再生のように布団へ這い戻るとすぐに眠ってしまいました。正常な感覚を取り戻したのは翌朝のことです。昨夜無造作に放り出した紙を恐る恐る拾い、聞いた通りのことが書かれているのを確認すると、私は思わず掻き抱くように紙を胸元に押し当てました。

 さて、メモを鞄に忍ばせて登校した私は、机に突っ伏して定例報告を待ちました。溶けるように校舎に広がる朝の喧騒のひときわ盛り上がる瞬間、「放送あった」と上擦った声が響きました。それに続いてたどたどしく読み上げられた文言は、私のメモと一致していました。にわかに騒がしくなった教室で、私は密かに笑いを噛み殺していました。
 その日心霊放送を聞けた幸せ者は何人かいましたが、彼らの声はある一人の「午前二時ごろに放送が流れた」という新情報に掻き消されました。私は放送を聞けただけで満足していた自分の視野の狭さを呪いました。

 真に私が自らの後手後手っぷりを思い知ったのはその翌日でした。ある女子が、前日の放送が入ったICレコーダーを持ってきたのです。少し前から毎晩仕掛けていたそうです。
 機械を通した女声は、私をなんとも不快な気分にさせました。仲間内だけの秘密の遊びや、こっそり交わした特別な約束をどうでもいい奴にばらされたような気分、と言えば伝わりますかね。

 テレビに送ろう。そんな声まで上がりました。後で聞いたところ、その子はレコーダー女子協力のもと実際にテレビ局へ音源を送ったそうです。まったく相手にされなかったようですが。
 ネットにアップするという手はなかったのかって? 当時は二十年前、まして過疎の進むド田舎です。手軽で便利なSNSどころかパソコンすら子供の手の届くところにはありませんでした。

 そうして心霊放送はブームを呼びましたが、流行りと廃りはセットです。
 ついに放送機材が直ってしまったのです。
 怪現象の元凶と目されるものが直ったのだから、心霊放送もおしまい。そんな空気が漂いだしました。
 楽しみがなくなってしまうのって、ああもむなしいものなのですね。内臓の代わりに腹の底へ鉛を流し込まれたようでした。

 その夜も窓は網戸にして寝ました。その次の夜も、そのまた次の夜も。朝の定例報告がおざなりになろうと、冷たい夜風が吹き込もうと、私は床に就く前に窓ガラスを開け放つのをやめませんでした。半分は惰性です。たかだか二週間なのに、すっかり身についてしまったのです。
 残り半分は……何なんでしょうね。強いて言うなら反発心とか意地でしょうか。

 一人で黙々と物思いに耽っていると、知らず知らずのうちに考えが捻じ曲がってくるものです。
 またあの放送を聞きたい。ここで終わりのはずはない。どうすればもう一度放送を聞けるのだろう。
 放送が止んだ原因は放送機材が直ってしまったから。なぜ整備された機材じゃ駄目なのかなんてわかりやしませんでしたけど。じゃあ、放送を再開させるにはどうしたらいいか? もう一度機材を壊せばいい。
 衝動と怯懦との間を行きつ戻りつしながら、私はその思いつきを何度も反芻しました。

 私は少しずつ破壊的な熱情へと傾いていきました。
 浮ついていた私に冷や水を浴びせかけたのは、他でもないあの女の声でした。血のかわりに驚愕が全身を駆け巡るような目覚めは、後にも先にもあれっきりです。
 内容を書き写しきるのと放送の終わりは同時でした。布団に潜りなおすと、待ちかねたように疑問が噴き出しました。なぜまた心霊放送が? 機材のご機嫌は関係なかったのか? そもそも今のは本当にあったことなのか?
 あぶくのように浮かんでくる「なぜ?」を弄ぶうち、私はもう一度眠り込んでしまったようです。再び目を覚ました時、指先にはメモが引っかかっていました。


 
 田舎のすごいところはその情報伝達能力です。おかげで私も一時間目が始まるまでには求めていた答えを得ることができました。
 まず、昨夜の心霊放送は本物だったようです。放送が再開した理由ですが、ある男子高校生によって昨日の夕方、放送機器が破壊されたんだそうです。いやはや、ものすごい勇気と実行力ですよね。
 私は自分と同等、いやそれ以上に怪現象へ入れあげる仲間がいたことに震えるほど歓喜し、自分が思い描くばかりでついぞ実現できなかったことをやってのけた彼に尊敬の念を抱きました。

 放課後、さっそく私は彼の家へ足を向けました。クラスメイト達と駄弁る中で、私はすでに彼の名前から住所、家族構成まで把握していました。
 彼の家にはいかにも揉め事の真っ最中みたいな近寄りがたい雰囲気と先客がありました。気遣わしげな親戚や友人、話し合いに来た学校だか警察だかの関係者、そして物見高い野次馬。
 彼とさしでの話なんかできそうにないと悟るや、私は踵を返して帰路につきました。

 ところで、人の噂も七十五日と言いますが、七十五日という期間をどう思いますか? 今の私なら、断然長すぎると答えますね。でも、この頃にはまだ七十五という数字が現実味を持っていました。
 退屈を紛らわせる物や施設が少なかったものですから、噂は貴重な娯楽の一つでした。
 私のクラスでも日に一度は必ずどこかでその話題が持ち出されました。私は積極的に話の輪に入り、それが叶わない時にはそばで聞き耳を立てました。

 おかげで多くの情報が手に入りました。私が一番驚いたのは、男子高校生の動機です。彼が言うには、スピーカーの声は行方知れずになった彼の姉の声だそうです。姉の声が聞きたい、その目的が知りたい。その一念が彼を器物損壊へと駆り立てたらしいのです。
 この姉というのは跳ねっ返りのお嬢さんで、地元に残れという親たちを振り切って町、というか村を出ていったきり、実家とはほぼ絶縁状態。家族の中で唯一繋がりを保っていたのが年の離れたたった一人の弟であるその高校生。それが、少し前からぱったり連絡が取れなくなってしまったらしい。
 この話を聞いて、より一層私は彼とコンタクトを取りたいと思うようになりました。そうすれば、もっと怪異の深いところへ触れられるような気がしたんです。

 しばらく経った頃、夜中の二時にまた放送が入りました。
 いい加減飽きてきたらしい者と色めき立つ者とできれいに分かれた教室の中、私は彼……ああ、なんかわかりづらいですね。これからは彼のことを、仮にAと呼ぶことにします。私は、私たちの中の誰とも違う気持ちであの放送を耳にしたであろうAに思いを馳せました。

 順調にその数日後、三度目の放送を迎え……られたら良かったのですが、現実はそれほど甘くありませんでした。再び機材が直ってしまったのです。見た目には派手に壊されたようでしたが、傷は浅かったようです。
 お察しの通り、それきりまた心霊放送は途絶えました。クラスメイト達の態度は急速に冷めていきました。まるっきり前の状態へ逆戻りです。私の心にもあの悪い考えが舞い戻ってきました。ただひとつ前と違ったのは、私がその誘惑を受け入れたことでした。

 いかに機材へ深刻なダメージを与えるか。どうやって逃げおおせるか。ここからどうAと繋がりを作るか。私は終日頭を絞りました。そして悩んだ末、一番近い土曜の夜に計画を実行へ移しました。
 それは月の冴えた晩でした。両親が完全に寝入った頃を見計らい、私は軍手をはめ、前年の夏祭りで買った狐のお面をつけると、水で満たしたペットボトルとA宛ての手紙を手に自室を出ました。玄関の戸は開閉の際ガラガラと音が鳴るので、家からの脱出には風呂場の窓を使いました。

 月とまばらな電灯に照らされた町、いいえ村は色がモノトーンに沈み、輪郭ばかり鮮やかで、どこか現実離れして見えました。
 ゴミ捨て場から、あらかじめ見繕っておいたレンガブロックを拾い上げると、私は速足で出身小学校へ向かいました。
 夜の学校は、日のあるうちとは違った顔をしていました。建物という眠りを知らない怪物が、夜通し人の訪れを待っている。そんな幻影が私の前に立ち込めていました。
 私は意を決して校門を乗り越えました。

 私は一目散にグラウンドの方へ駆けていきました。通り抜けざま、ちらりと確認した事務室には明かりが点いていて、宿直の先生か警備員がいるようでした。
 校舎は校庭より一段高いところにあります。私は太ももくらいまであるコンクリートの段をのぼり、その上の芝生を踏んで目的の窓の前に立ちました。私はにわかに緊張してきました。
 周囲に人の気配はありません。二つ隣の職員室も闇に沈んでいます。私は数歩下がると、軍手越しに掴んだレンガを思いきりガラスへ投げつけました。

 不思議なことにその先、音の記憶が抜け落ちているのです。何度思い返しても、レンガが透明の空間に白くひびを入れ、亀裂を押し広げて向こう側へと落ちていく様子ははっきりと見えるのに、ガラスの割れる音がどうしても聞こえてこないのです。警報装置が作動したのかもわかりません。
 私は穴から手を突っ込んでクレセントを回し、窓を開けました。踏み入った先は小さなスタジオでした。放送室はその向こうです。二つの部屋を隔てるドアには鍵がありましたが、スタジオから放送室へ行く分にはつまみを回すだけでオッケーです。ついに放送室への潜入を果たしました。
 蓋を開けたペットボトルを、暗い中うっすらと見える種々のつまみやスイッチの上で逆さにしました。機械は断末魔のように鋭い音を響かせたような気もしますし、死のように静まり返っていた気もします。
 水の出がじれったいほど遅く感じられ、よほどこのまま逃げようかと思いましたが、そのうちにボトルは空になりました。私は来た道を逆に辿って母校から駆け去りました。

 見慣れない夜の町、いえ村を楽しむ余裕なんか消え失せていました。それでもAの家へ寄り、手紙をポストに入れることとレンガをゴミ捨て場に戻しておくことは忘れませんでした。
 家へ転がり込み、靴を片付けて自室に帰ってくると、汗が一気に噴き出しました。息も上がりました。
 私はお面と軍手とボトルを部屋の隅に投げ、布団に潜りこみました。眠気とは程遠い興奮の中にいましたが、そうでもしなくては追い立てられるような気分から逃れることができなかったのです。

 ようやく気を落ち着けて得たまどろみは、あの声によって破られました。間違えようがありません。私が一応犯罪と呼ばれる行為に頼ってでも聞きたいと願った声でした。
 その晩に限って筆記用具の用意を忘れた私は、女の告発を復唱し、必死で頭に叩き込みました。そして放送が止むと、電池切れのように意識を失いました。
 


 機材破壊後初の月曜日の夕方、私はAの家近くの空き地に居ました。
 Aに出した手紙の内容は、大事な話があるから次の月曜日の何時にA家近くの空き地に来てほしい、という簡単なものでした。これを私は失敬した母のきれいな便箋に丸文字でしたため、差出人として架空の女性の名を記しておきました。ラブレターに擬したわけです。
 このように手間をかけたのは彼一人で来させるためです。今Aは交友関係を絶たれています。知らない人と会うなら家族が付き添ってくるかもしれませんが、恋愛関係となれば気を利かせてくれるでしょう。

 空地の隅にある背の高い草の茂る一角に身を隠してAを待ちました。狙い通りAは一人でやってきました。私は本当に他に誰もいないか確かめると、彼の前に姿を現しました。
 これから会話の再現がちょくちょく入りますけど、細かいところまでは憶えていないのでだいたいこんなことを言っていた、程度に聞いてください。あと、訛りは省いてお送りします。
 Aはちょっとガタイの良い、でもどこにでもいそうな男子高校生でした。察するところがあったのでしょう。目が合うなりAは「あの手紙を出したのはお前か」と不快そうに訊いてきました。

「そうです。ごめんなさい。さしで話すにはこうするしかないと思ったんです。お姉さんとスピーカーの関係を聞かせてください」
「嫌だよ。お前ほど手の込んだことする奴はいなかったけど、あの日以来いろんな奴にあれこれ訊かれてうんざりしてるんだ。だいたい、お前誰だよ」
「八木沢晃って言います。僕は本気です」
「帰れ」
「もし僕が修理された放送機器をもう一度壊したとしたら、本気と認めてくれますか」

 台詞ごとに声を変えて喋るの結構しんどいですね。今までお便り紹介で何度もやってきましたが、こんなに長いのは初めてです。うまくできているといいんですが。
 さて、話の続きですが、ええと……。

「もし僕が修理された放送機器をもう一度壊したとしたら、本気と認めてくれますか」
「まあ、そのくらいやったら信じるさ。でも、残念だったな。誰かが先にやっちまったらしい」
「それ、壊したの僕です。僕がやりました」
「は? 証拠は?」

 この質問は、もちろん予期していたものでした。
「あの偽ラブレターをお宅の郵便受けに入れたのは機材破壊の帰りです。余白に針で字を書いてあります。上から鉛筆でこすると『機材を水浸しにしました』って浮き出てくるはずです」
 私は用意してきた鉛筆をAに渡しました。Aはその場で私の隠したメッセージを確認しました。
 顔を上げたAは、幾分表情を緩めて言いました。
「わかった。信じるよ。それで、何が聞きたいんだ?」

 何か知りたいとは切に思っていましたが、具体的に何が知りたいかを深く考えたことはありませんでした。私は思いつくままに喋りました。
「どうして放送の声をお姉さんのものだと思ったんですか? 機械を通すと声って結構変わりますよね」
「よく電話してたから、機械越しの声も聞き慣れてたんだよ。あと、喋り方とか間の取り方も姉貴にそっくりだったんだ」
「なんでお姉さんはあんなこと、してるんでしょうか」
「こっちが知りたいよ。弟の俺にも姉貴の意図がわからない。っていうか、姉貴のことお姉さんって言うのやめろ。お前の姉じゃないだろ」
「じゃ、何て呼べばいいですか」
 Aはお姉さんの名前を教えてくれました。ここではとりあえずBさんとしておきます。
「それで、俺から姉貴のことを聞いてどうしたいんだよ。まさか、声だけの姉貴に惚れたとか」

 声に惚れた。Aのこの言葉は私の胸にストンと落ち着きました。声の主を異性として意識したことはありません。でも、確かに私は惚れていたのです。何に? 怪異に。
 私は持てる限りの語彙を尽くして放送を耳にする喜び、待つもどかしさ、人知を越えたナニカへの恐れと憧れ、誰かと共有したいような独り占めしたいような葛藤をぶちまけました。
 私の熱情がどこまで伝わったのかはわかりません。でも、Aはお姉さん、いえBさんのことを少し教えてくれました。

 Bさんは警察官で、最後の電話では何か大きな事件がもうすぐ解決できそうだと話していたそうです。
 電話がつながらなくなった少し後、AがBさんの部屋をたずねたところ、そこには誰もいませんでした。隣近所に訊いてみたけれども、どうも数日前から帰っていないらしい。心配になって両親に伝えてみたが、相手にされなかったとか。
 親などを介さず連絡し合う手段を持たない私たちは、次の放送があった日の夕方、同じ時間に会おうという曖昧な約束をして別れました。
 


 放送機材はAの時よりもずっと深刻なダメージを負っていたようです。水と電気って本当に相性悪いんですね。犯人探しはもちろん行われましたが、私の仕業とはバレずに済みました。
 告発の声はAと会った約一週間後に再び夜の村を漂いました。
 その日の学校は珍しく放送絡みで盛り上がりを見せていました。クラスメイト数人が兄弟と連れ立って夜の交番を見に行ったというのです。交番は放送の聞こえる位置にあります。彼らの話によると、放送が始まるなり駐在さんは紙に何事か書きつけ、声が止むと慌ててどこかへ電話をかけていたそうです。

 放課後、私はAと会いました。前菜代わりに昼間聞いた話をすると、Aは嬉しそうな顔をしました。私も満足を覚えながら、メインディッシュたるBさんの話を待ちました。
 ですが、Aは期待に反してこんな質問を寄越してきました。
「なあ、八木沢だっけ? お前、姉貴のこととか放送のこととか知りたいんだろ。その代わりに頼みごとを聞いてほしい」
 Aの声には縋るような切実なものがありました。私は素直に答えました。
「それは……内容によります」
「俺から聞いたことは少なくとも全部終わるまで、できれば死ぬまで誰にも言わない。放送設備が直ったら壊す。その前に全部済むかもしれないけど。この二つを引き受けてくれないか?」
「それくらいなら」

 空地の草は無残に枯れ、もう私の隠れられる場所はありませんでした。白茶けた景色を眺めていると、Aが重い口を開きました。
「姉貴、もう死んでるんじゃないかと思うんだ。で、喋ってるのは姉貴の幽霊」
 Bさんは何かを深く知りすぎてしまい、口封じのため誰かに殺された。しかしBさんは死してなお罪人を追及しようとしてあの放送を始めた。放送と放送との間が空いているのは、きっと犯人の居場所や証拠などを調べているせい。Aはぽつりぽつりとそんなことを語りました。

「さっき、放送がもう長くないようなことを言ってましたよね。どうしてそう思うんですか?」
「姉貴がいなくなってもう一か月経つから。まあ、迷信? 言い伝え的な?」
「Bさんを殺した人の心当たりはあるんですか?」
「それが、全然。最後の電話で身近に悪い奴がいるって聞いたくらいだ」
「Bさんに付き合っている人はいなかったんですか?」
「いなかった。これは断言できる」
「これから放送はどうなっていくと思いますか?」

 それまではするすると言葉を重ねていました。けれど、この質問だけは重い響きを持って私の口を離れました。
「さあ……。始まったんだから、いずれは終わるんだろうな」
 前と同じように次の約束をして、私たちは別れました。去り際、Aが一つの日付を口にしました。それは二週間ほど先でした。
 Aはその日の夜空けておいてくれと言い、暗く笑いました。
 


 それから十日のうちに、私は二度放送を聞きました。二度目の放送は、十年以上前に起きた未解決の猟奇事件についてでした。犯人は警察のお偉いさんの身内で、犯行はもみ消されたとのことです。これにはクラスも沸きました。大人が話題にしているのもちらっと耳にしました。
「とうとう核心に辿り着いたぞ。姉貴が告発したかったのはたぶんこれだ。失踪前の電話の内容とも合う。とうとうやり遂げたんだ!」
 二度目の放送後、会うなりAは張り詰めた声と表情で言いました。

「なあ、ところで夜空けといてくれって話憶えてるか?」
 私は黙って頷きました。
「よかった。じゃあ夜中、一緒に放送を聞きに行こう。一時五十分頃、小学校の正門前集合でどうだ」
「いいですけど、なんでその日に放送があるって思うんですか?」
「いなくなった日を考えると、その日はちょうど四十九日なんだ。何かするにはぴったりの日だろ。俺たち姉弟は似てるんだ。だから、わかる」
 そう言うAの姿はまるで物に寄り添う影のように、すぐそばにあるのに決定的に違う領域へ片足を突っ込んでいるみたいに見えました。

 約束の日、私は例の狐のお面を頭の横、目の邪魔にならない位置につけて家を抜け出しました。懐中電灯も持ちました。
 待ち合わせ場所には既にAがいました。Aの第一声は「何そのお面」でした。
「面が割れないように。前もこうしていました」
「お前、面白いな。俺なんか顔も制服もそのままで正面突破だったよ」
 それきり私たちは黙って、晩秋の冷気に浸されていました。

 だんだん頭の奥が痺れてきて、どれくらい待っていたのか、あとどれくらい待てばいいのか、わからなくなってきました。
 そんな時です。ブン、という重い音とともにスピーカーがオンになったのは。
私とAは同時に顔を上げ、校舎に目を据えました。

 少しの間の後、ノイズがかったあの声が、ある日付を口にしました。それは心霊放送が始まる少し前でした。隣でAが息を呑みました。
「その日、女性が殺されました。被害女性の名前はBといいます……」
 スピーカーの声は落ち着いた調子で事件の経緯を語りました。Bさんは警察官で、偶然お偉いさんの身内の悪事を知ってしまい、口封じのために殺されたこと。死体は山に遺棄されて未だ見つかっていないこと。
 音源が近いせいか、通り過ぎていく声に体を撫でられているような気がしました。

 スピーカーは死体の在り処、実行犯の名前と居場所、そして殺人を教唆した人間の身元をいつも通り三回ずつ告げました。
 不意に、Aが一歩踏み出しました。私があれっと思った時にはもう彼は校門に駆け寄り、乗り越えるべく手を掛けていました。私もそれに倣おうとしました。しかし次の瞬間、辺りに響き渡った音が私たちの動きを止めました。

 音。最初はそう思いました。ですがすぐにそれが声だと気づきました。一か月半に及ぶ計画を成し遂げた喜びと、今しがた自身が告発した犯人たちへの嘲りが目一杯込められたけたたましい哄笑でした。
 体が芯から冷えて、外の寒さなんか忘れてしまうほど怖かった。それなのに、どうしてか私たちは耳を塞ぐことも逃げることもせず、凄惨な勝ちどきに聞き入っていました。
 笑い声は途絶えるのも突然でした。息継ぎのような引き攣った音がしたかと思うと、プツリとスピーカーがオフになりました。

 笑声の余韻が冴えた空気に尾を引いていました。先に呪縛を逃れたのはAでした。Aは門を乗り越え、駆けだしました。私は慌てて後を追いました。
 Aが校庭手前を右に曲がると、彼の持つ懐中電灯の光は建物に隠れて見えなくなりました。Aと同じ所で右に曲がると、Aは校庭に面したスタジオの窓を叩いて「姉貴、姉貴」と呼び掛けていました。覗いてみましたが、スタジオも放送室も真っ暗でした。
 騒いでいたら当直の人が来てしまいます。私は何度も帰ろうと言いましたが、Aはこちらに目もくれません。
 やがて彼は懐中電灯を暗闇へ続くガラスに打ち付けだしました。時を同じくして、何枚か離れた窓に黄色っぽい光が現れました。光は人影を伴ってこちらに近づいてきます。
 私はお面をしっかりとつけ、Aを置いて逃げました。
 


 それから数日のうちにBさんの遺体が発見され、殺人の実行犯も捕まりました。でも、結局Bさんが最後の方に告発したお偉いさんたちやBさん殺害の指示を出した人は何のお咎めも受けず、殺人は痴情のもつれで片づけられました。
 AとBさんは果たして、この結果に満足できたのでしょうか。それはわかりません。Aとはあれ以降会っていないのです。

 しばらく後、風の便りでAが高校卒業後、警察官を志して村を出たと聞きましたが、ちゃんとなれたのかは不明です。
 なぜBさんがここのスピーカーを使ったのかも謎のままです。ちなみにその小学校は数年後、生徒数不足から統廃合となり、役目を終えました。

 私の方はというと、普通に中学生生活を送り、卒業後は地元の高校へ進学しました。部活は放送部にしました。放送を待ち焦がれた日々や、あの声を耳にできた瞬間の喜びはずっと私の中から去りませんでした。
 その頃ですね。ラジオパーソナリティに憧れるようになったのは。喋りの勉強としてラジオをよく聞いていたせいもあるのでしょうが、根底にはあの心霊放送があったように思います。

 高校を卒業した後は村を出て働き始めました。
 仕事に慣れて訛りも抜けてくると、私はラジオパーソナリティの夢を実現させるべく、オーディションを受けて回りました。落ちまくってもめげずにあちこち巡っていると、一カ所、私を拾ってくれるところがありました。
 最初は小さい仕事ばかりでしたが、採用を機に会社は辞めました。けれどもラジオの仕事だけでは食べていけないので、アルバイトで生計を立てました。

 さて、パーソナリティも板についてきた頃、お盆に帰省した時のことです。懐かしく居心地の良い実家で迎えた夜、私はなかなか寝つけずにいました。
 かつての自室で窓を開けて、網戸越しに古びた隣家や道路をぼんやり眺めていると、不意に女の声が涼しい夜風に乗ってやってきました。
 その声は音割れせんばかりにヒステリックでした。やたら喚き散らすのであまりよく聞き取れませんでしたが、彼女は姑への不満や恨みを訴えているようでした。
 喋りはお世辞にも上手いとは言えませんでしたが語気の強さは並一通りではなく、私はまるで自分が叱られているかのようにその場を動くことができませんでした。
 しばらくして尻すぼみといった感じで声が途絶えると、私はやっと我知らず詰めていた息を吐くことができました。気づけば、腕には鳥肌が立っていました。

 翌朝一番、私は母に昨夜耳にしたものについて訊きました。母は世間話でもするような軽い調子でいろいろ教えてくれました。
 廃校になった小学校は、あの放送の件で一部の若者から心霊スポット扱いされていた。そんなある晩突然そこのスピーカーから声が流れだした。声は家族への感謝を語った。謎の声にあったいくつかの名前から、声の主はその日の昼間亡くなった人らしいと推測された。
 遺族や友人が元小学校へ行ってみると、どこの不良の仕業か、校庭向きのスピーカーが無残にも破壊されていた。外に向きのスピーカーは建物にそれ一台だけ。しかも廃校に電気は通っていない。場所的にも他のスピーカーから放送が為されたとは考えられない。人々はオカルティックな結論を受け入れざるを得なかった。

 死者による放送はその後も何度かあり、死者の言葉を伝えるスピーカーはいつしか、お化けスピーカーという愛称とともに村の公然の秘密となっていった。住民はスピーカーに好意的だった。死んでも最後にメッセージを残せることに希望を見出していたのだ。
 だから廃校がリフォームされて老人ホームに生まれ変わった時も、校庭向きのスピーカーだけは壊れたままにされた。館内放送のために放送設備が通電されても、ちゃんと壊れたスピーカーからこの世を去った人の声は流れた。だから私が耳にしたのもそれだろう。ちょうど昨日は誰々さんのところのお嫁さんが亡くなったから。

 さて、採用から数年後には、パーソナリティの仕事も充実してきました。収入が安定してきたので、私はバイトを辞めました。
 お便りを読み、音楽を紹介し、ゲストと会い、番組が終わり、また始まり、パートナーが変わり……。そんなことを繰り返すうち、いつの間にかこの業界に入って十年以上が経っていました。
 ずっとこんな生活が続いたらいいのに、と思っていました。また、こんな生活がずっと続くと信じてもいました。
 だから、考えたこともなかったんです。とっぷりと日の暮れた収録帰り、信号無視の車に撥ねられて死ぬなんて。

 苦痛を感じる間もなく即死できたことだけは幸いでした。私を轢いた運転手は、車から降りることすらなく逃げ去りました。
 私は死人としてのこれからを考えました。まだ成仏する気分にはなれませんでした。思い巡らす私の心に、ふとあのスピーカーが大きな存在感を持って浮かび上がってきました。次の瞬間にはここ、昔は小学校で現在は老人ホーム、かつては心霊放送で名を馳せ、今はお化けスピーカーで名高い放送室に立っていました。
 壊れたスピーカーに声を乗せる方法も、はじめから知っていたかのように、自分の中にありました。

 最後のチャンスに一番言い残したいことを考えた時、何より強く霊魂を占めたのは、あの心霊放送でした。
 Aが高校卒業以来ここに戻ってきていないとすれば、心霊放送の顛末からお化けスピーカーの由来まで、すべてを知るのは私一人ということになります。この不思議な話を私の亡骸とともに葬ってしまうのはあまりにも惜しい。

 さて、喋るにあたって、私は最後までラジオパーソナリティらしくあることを選びました。聞いてくれているかはわかりませんが、母や親戚、友人に生放送をお届けしたかったですし、事故直前の収録は最後の仕事として満足のいく出来ではありませんでしたから。
 それに、私の道はこの放送室から始まりました。
 放送開始は愛し憧れた心霊放送と同じ二時にするつもりでしたので、記憶を解きほぐし、手繰る時間は十分にありました。
 


 これで私の話はおしまいです。
 もう夜明けも近いですね。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
 今夜のお相手は私、ヤギサワアキラでした。
 次の放送がいつ、誰によって為されるのかはわかりませんが、その時までごきげんよう。

 良い一日を!

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