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noteは良いよね。少しでも心穏やかに生きていきたい。

人間とはつい自慢したくなってしまういきものなのでしょうか?
わたしだって、ちょっとリッチな食事をしたり、良いホテルや旅館に泊まったり、贅沢な経験をした時なんかは、つい魔が差して自慢したくなってしまうことがあります。
幸いInstagramなどはもうやっていませんし、今はすぐに会える友達もいませんので、自慢する機会はありませんが。でもInstagramをやっていた頃は、多少そんな時もありました。
「良い生活してるでしょ〜」って見てもらいたい気持ちを自覚しながら写真をあげたりなんか。がっつり自慢には見えないように、けれど、ほんとうにそう自覚しながら。
でも上には上がいて、他の人見ると、あぁくだらないっておもって、だからInstagramはもうずうっと前に辞めました。
だからといって、キラキラやリッチに見えるもの全てが自慢とは思っていないし、贅沢で美しい世界を見せていただけるのはありがたいとも思います。美しくて、わたしの見たことのない贅沢な世界は憧れというかモチベーションになるというか、目の保養になるというか。とりわけ外国の並外れた超リッチな生活や美しいものや贅沢な場所にはほんとうに楽しい気分にさせてもらったりもします。

Instagramはその人の世界観が出ているものが好きでした。そのひとの好きなもの、楽しそうな顔、どういうところに行ってどんな経験してるのかとか、そのひとのパーソナリティがよく現れているものが好きで、そういう人のをフォローしたり楽しんで見ていました。そういう人アカウントってどんなに楽しそうに、そしてキラキラして見える生活を送っていても決して自慢に見えないんです。
だから、わたしは感じるのです。このひとは自慢したいというか、自分を良く見せたいと思っている、あるいは承認欲求の奴隷だってことが。
だれでも承認欲求はあると思います。わたしもあります。だからこうして誰かに読んでもらいたいと思うのです。
わたしにとって人間の行きすぎた承認欲求は不快なのです。明らかに自慢したいんだなぁというひとはわかります。だからInstagramもなるべく見ませんが、素敵な世界観があるひとや憧れの人だけ極たまに見たりします。最近は商業的になりすぎていて、そちらの方がずっと不快ですが。

わたしは少しでも心穏やかに、他人と比べず自分の幸せをしっかり感じて生きていきたい。
他人のことが見えすぎる世の中で多くを見過ぎないこと、それにつきます。

わたしは、目に見えるもので人と自分を比べるから心病むのだとおもいます。
そんなこんなでnoteはわたしにとって最適です。少なくとも文章を書く人はちゃんとそのひとの考えがあったり想いがこもっていたり、勉強になる内容があったり、内面が重視されているとおもいます。そしてみなさんの記事を読むのは面白いです。
わたしはそういう世界が好きです。


追伸、わたしは写真も好きなので、Instagramは写真好きの方たち中心にもっとアートな空間になってくれればいいのにとおもっています。それと広告や宣伝を入れるのやめてほしい。

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